テント日誌11月16日─ 裁判の現状から

経産省前テントひろば1163日 商業用原発停止426日

お知らせの通り、12月3日(水)にテント裁判の第9回の口頭弁論が行われますが山場を迎えています。これは国側が急いで結審を要求しているからにほかなりません。予測されたことですが、彼らは法の精神というか肝心の部分を無視するか歪曲して、条例を適用して自己の主張をしているに過ぎません。これは全般にわたることですが、国側の主張への反論を紹介します。僕らの立場が鮮明になっています。少し長いですが、お読み頂いて12月3日には裁判に参加ください。また、裁判についての意見や見解をお寄せください。裁判の進行に合わせて僕ら内部の議論をふかめましょう。(M)

テント裁判の現状と展望
-この間の裁判所における国の「反論意見」についてー    (E・O)

この間、2014年10月14日の第8回裁判を前後して、国は9月24日に第2準備書面、11月4日に第3準備書面を裁判所に提出し、「原告の本件請求に理由があることは明らか」であると主張し、そのうえで「速やかに弁論を終結」して「請求認容の判決」を出すように裁判所に求めている(第3準備書面の第8頁)。
そこで、以下では上記2つの書面(第2、第3準備書面)における国の「反論意見」を紹介し、裁判の現状と今後の展望を述べる。

(1)原告・国のパブリック・フォーラムの理解について
原告・国は「被告らの占有権原に関する主張は、その内容からしても明らかに失当」(第2準備書面の第11頁第15~16行)として、以下のように言う。
憲法21条1項は、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって、たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは許されないといわなければならない」(最高裁昭和59年12月18日第三小法廷判決・最高裁判所刑事判例集38巻12号3026ページ)ものである。被告らの主張するパブリック・フォーラムという概念についても、せいぜい「集会をもとうとする者は、公共施設の利用を要求できる権利を有する」というものにすぎず「所有権や本来の利用目的のための管理権に基づく制限を受けざるをえない」ものであって(伊藤正己・憲法〔新版〕292ページ参照)、本件の被告らのように、国の所有権や管理権を侵害して、本来の利用目的を達し得ないような状況で継続的・排他的に国有地を占拠することについての適法な占有権原の根拠となり得るものでないことは明らかである。
したがって、被告らの占有権原に関する主張は、その内容からしても明らかに失当である。(同書面第11頁乃至第12頁)

しかし、上記原告側の「反論意見」は、「他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは許されない」とする最高裁の判決を絶対視しているにすぎず、しかも伊藤正己判事が退官後に、自己の最高裁昭和59年12月18日第三小法廷判決に対する「少数意見」に関連して述べた学術論文(伊藤正己著「憲法〔新版〕」1990年1月、弘文堂発行)を意図的に誤って引用をすることで、パブリック・フォーラムの法理が「国有地を占拠することについての適法な占有権原の根拠となり得るものでない」という独断に到達している。この「反論意見」は、私的な土地所有者とのアナロジーによって、公有地における政府の広い裁量を容認する「特権論的思考」を前提とするものであって、以下に述べるように今から120年近く前の、1895年のアメリカ・マサチューセッツ州最高裁で争われたデービス事件(Commonwealth v. Davis)判決でのホームズ判事の論理を踏襲した、古い考え方に過ぎない。
さらに原告・国は、第3準備書面の第6頁においても、なお、「被告らの主張するパブリック・フォーラムという概念が…国の所有権や管理権を侵害して、本来の利用目的を達し得ないような状況で継続的・排他的に国有地を占拠することについての適法な占有権限(ママ)の根拠となり得るものでない」と主張している。しかし、以下に述べるように、本件土地の利用目的を曖昧にしたまま、福島での原発事故の責任を回避した原告・国のこのような主張は、公有地に関する政府の「特権論的思考」を前提にして国民の意見表明権を抑圧する明らかに過剰な規制であり、政府の政策を批判する者の公的な意見を抑制することで言論の自由を否定せんとする訴権の濫用なのである。

(2)アメリカ憲法裁判でのパブリック・フォーラム法理について
一般にアメリカにおける憲法裁判では、その46年後の1939年に出されたヘーグ事件(Hague)判決が、パブリック・フォーラム法理の歴史においてその起源をなすものと言われている。このヘーグ事件は、市当局の事前の許可がなければ、道路などの公共の場所で印刷物を配布したり、集会を催したりすることを禁止する市条例の合憲性が争われたものである。このヘーグ判決の相対多数意見を執筆したロバーツ判事は、上記ホームズ判事のような「特権論的思考」を前提とする論理に依拠した市当局側の主張を否定し、当該条例のもとでは合衆国市民の表現活動が恣意的に制約される危険性があると、次のように述べた。
「道路および公園は、その権原(title)がどこに存していたとしても、記憶にないほどの昔から公衆による使用のために信託的に(in trust)保有されてきたものであり、大昔から集会、市民間の意見交換および公的問題の討論という目的のために使用されてきた。そうした道路や公園のような場所の利用は、大昔から、市民の特権、権利、自由の一部とされてきたのである。道路や公園を、公的問題に関するコミュニケーションのために使用するという合衆国市民の特権は、全体の利益のために規制されることもある。そのような特権は絶対的ではなく、相対的なものであり、一般の快適さ、便益に従属し、平和や秩序と調和するものでなければならない。しかし、この特権は、規制の装いのもとで、奪われたり否定されたりしてはならないのである。」(Hague、307U.S. at 515-516)
このようなロバーツ判事の意見が後にパブリック・フォーラム法理の起源となって、公有地における政府の規制裁量に一定の限界が設けられることになった。ここで、公有地であればどこでも、政府の規制に限界があり得るとはされていない点、すなわち公有地一般ではなく、公園、道路(街角)など「大昔から、市民の特権、権利、自由の一部」の伝統のある場所に限定されていることに、注意が必要である。伝統のない公有地については、120年前のホームズ判事の論理が生きているのである。
その後、このホームズ判事の「特権論的思考」を前提とする論理を否定したのは、1972年のグレインド事件(Grayned v. City of Rockford)判決におけるマーシャル判事である。彼は、公有地における表現活動は、その場所が果たすべきと期待されている通常の活動ないし機能と、その表現活動とが両立する限り、保護されるとした。すなわち、「表現活動のために公的場所を使用する権利は、それに勝る理由によってのみ制約することが許される……決定的に重要な問題は、表現の行われる方法が、特定の時間における特定の場所の通常の活動と基本的に両立しないものであるどうかである。」として、基本的両立性が担保される限り、政府の規制としてのパブリック・フォーラムからの表現活動の排除は、原則として公的場所を使用する権利に対する政府による「援助の撤回」ではなく、政府の過剰な規制による「自由の制限」として、観念されることになった。
このようなグレインド事件判決を契機に登場した「私人の表現の機会を拡大することによって、公共討議の質と量を向上させようとする積極主義的な理解」(松田浩2010)に対して、フォーラムのパブリック性を以下のような3類型に区分したフォーラムカテゴリー分析という「消極主義的理論」がアメリカ最高裁内部で多数派を占めるようになった。この3類型については、神戸大学・浦部法穂名誉教授が次のように説明している。
第1は、「伝統的パブリック・フォーラム」(traditional public forum)であり、これは、道路・公園など、伝統的に(大昔から)公衆の表現の場として利用されてきたパブリック・フォーラムである。第2は、「指定された(または、限定的)パブリック・フォーラム」(designated or limited public forum)であり、これは、公会堂・公立劇場・公立学校施設や公衆に開かれた公聴会など、政府が公衆(公衆一般または限定された範囲の公衆)の表現の場として設けたパブリック・フォーラムである。第3は、「非パブリック・フォーラム」(nonpublic forum)であり、これは、第1、第2にあてはまらないすべてのフォーラムである。ここにおいては、政府は、表現行為に対する規制が合理的なものであり、また、ただ単に当局が表現者の見解に反対であるという理由だけで表現を抑圧するのでなければ、時・所・方法の規制に限定されることなく、そのフォーラムを本来の目的に従って維持することができる、とされる(以上、浦部「意見書・表現の自由とタウンミーティング」より)。
ここで、パブリック・フォーラムとは、一般にカタカナ語として通用しているものであって、「パブリック」には「公衆」「聴衆」「公開の」という意味が、「フォーラム」は「政府から独立した討議空間」を指す。日本では「公共フォーラム」(田村 哲樹「デモクラシーのためのアーキテクチャ、アーキテクチャをめぐるデモクラシー」、宇野重規ほか「デモクラシーの擁護」所収、2011年ナカニシヤ出版)あるいは「公開フォーラム」(キャス・サンスティーン「インターネットは民主主義の敵か」2002年毎日新聞社、訳者:石川幸憲)などと翻訳されているのであるが、いずれにせよ公共の空間を市民が発言者あるいは聴衆として利用するとき、その空間の性質を定義する用語であると理解されている。

(3)原告・国の意図的な誤引用について
さて、伊藤正己判事は1989年9月に最高裁の裁判官を退官した後に上記「憲法〔新版〕」を出版した。そこには、集会結社の自由の1項目「(ア)集会の自由の内容」について、次のように記載されている。
「集会の自由を保障することには、目的、時間、方法のいかんをとわず、集会の開催、集会への参加、集会における意思形成とその表明、さらにそれの実現行為などを公権力が妨げてはならないという内容が含まれている。公権力による制限や干渉を禁ずるという側面は、自由の本来的性格からいって当然であるが、集会には、公園、広場、公会堂、道路といった一定の場所の提供を拒んではならないという内容も含まれている。」(同書292頁)
ここまでは、集会の自由の内容について、伊藤元判事の見解の主要部分であるが、原告・国はまったく引用をしていない。そして、これに続く伊藤元判事の見解のうちの下線部分(以下の下線部分①と②だけ)を引用することによって。意図的な誤引用を行った。
「別現すれば、公共施設の管理者たる公権力に対し、集会をもとうとする者は、公共施設の利用を要求できる権利を有する①ということができる。地方自治法が普通地方公共団体に公の施設の設置を義務づけ(地自244条1項)、「正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない」(同2項)と定めているのは、その趣旨に基づく。これらの施設は、それぞれ本来の利用目的をもっているが、同時に集会により一定の表現を行う場としても有用であり、これらを「パブリック・フォーラム」ということができるから、その機能にかんがみ、所有権や本来の利用目的のための管理権に基づく制限を受けざるをえない②としても、集会の自由に可能なかぎり配慮する必要があると考えられる(最判昭59・12・18刑集38・12・3026における伊藤補足意見参照)。」(同書292頁)
ところが、上記したように「被告らの主張するパブリック・フォーラムという概念についても、せいぜい『集会をもとうとする者は、公共施設の利用を要求できる権利を有する』というものにすぎず『所有権や本来の利用目的のための管理権に基づく制限を受けざるをえない』ものであって(伊藤正己・憲法〔新版〕292ページ参照)」としたのである。
原告・国は最初の引用部分①により、パブリック・フォーラムという概念には、公共施設の利用を要求できる権利など、地方自治法の規定する権利内容を含む、という本来の趣旨を「せいぜい…というものにすぎず」と勝手に修飾することで、公共施設の利用を要求できる権利があたかも集会の自由の権利の全てであるかに歪曲した。つぎに、引用部分②が後段の主文に対しては副詞節をなす文節にすぎないのに、「その(すなわち、公共施設の)機能にかんがみ、(所有権や…を受けざるをえない)としても」という、文の前後関係を抜かして引用したことで、主文節に記載されている「集会の自由に可能なかぎり配慮する必要がある」という伊藤元判事の考えを、見事に180度反転してしまった。こうした引用方法を意図的な誤引用といわないで、何と言えば良いのだろうか。
以上、原告・国は伊藤元判事の見解を意図的に誤って引用することにより、本来の土地所有者に物理的損害を与えることなしに精神的な打撃を与えるに過ぎないパブリック・フォーラムという概念で認識された占有行為を、適法な占有権原の根拠ではないと言い募っているにすぎない。また、本件土地の占有目的が占有による損害の程度を充分に上回るものであるとき、本件土地における言論、表現行為は、憲法が保障する「表現の自由」の一部としての「必要場所による特定表現の権利」として認知されなければならない。とくに、本件土地が次に述べるような「公開広場」「公共空間」として設置されたものであることに鑑みれば、原告・国はその使用を容認する義務を有するさえ言える。

(4)原告・国の図面差し替えについて
国は、本件訴訟に先立って、2013年(平成25年)2月18日に「占有移転禁止仮処分」の申立書を東京地裁に提出し、翌月6日に東京地裁は仮処分決定を行い、同月14日に仮処分を執行した。
これは、本件訴訟の対象物件と占有者を特定することを目的にした裁判手続きであって、申立書の第15頁には、対象物件である土地を特定する物件目録が「別紙」として綴じ込まれている。そして、物件目録の「項目1.」には「(経産省の)所在、地番、地目、地積」がそれぞれ記載され、さらに「項目2.」で「上記記載の土地のうち、別紙図面1のアイウエアで囲まれた斜線部分(約89.63平方メートル)。」「なお、上記斜線部分の位置関係は別紙図面2の赤線で囲った部分のとおり。」と記載して、16枚目と17枚目にそれぞれ別紙図面1,2を綴じ込んでいる。そして、ご丁寧にも申立書18枚目には、上記図面が東京法務局によって昭和49年3月15日に作成された「地図に順ずる図面」(公図)であることを証明する平成25年2月15日付の書面まで添付している。
被告らは、第8回口頭弁論で陳述した準備書面(12)で「原告の準備書面(2)に対する求釈明」として「本件土地の従前の使用形態・目的について」を、「歩道を通行する市民の小休憩等を目的とする行政主導型の小広場空間、いわゆる「ポケットパーク」(小公園)として設置され、そのように使用されていたのではないか。」との指摘を行った。
これに対して、原告・国は「原告が本訴に先立って申し立てた占有禁止(ママ)仮処分(御庁平成25年(ヨ)第461号。以下、「本件仮処分」という)の申立書に添付された別紙図面1と本件訴状に添付された別紙図面1はそもそも異なる図面であり、このことは両図面を一見すれば明らか」(第3準備書面の第3頁)と釈明した。しかし、「占有移転禁止仮処分」の申立書16枚目に綴じ込まれた別紙図面1には、そのアイウエアで囲まれた斜線部分を指す説明書きが「ポケットパーク平面図 S=1/80」と記載され、これに対して本件訴状の別紙図面1には「アイウエアで囲まれた斜線部分」についての説明書きは抹消されたものが添付されたのであって、被告らはこの点を指摘した。ここで問題は、何故に異なる図面に差し替えたのか、である。
訴訟記録によれば、原告・国は、2013年(平成25年)2月18日に「占有移転禁止仮処分」を申し立てた後の、2月21日と2月28日の二度にわたって、仮処分の「訂正申立書」を東京地裁に提出している。最初の訂正は「申立人指定代理人大塚周平の役職」が「企画調整課一係長」から「課長補佐」への訂正である。この訂正については、2頁の訂正前の「当事者目録」を別紙1とし、訂正後の「当事者目録」を別紙2として、合計4枚(第2頁から第5頁)を「訂正申立書」に綴じ込んでいるが、役職は当然に変更になるから、あえて修正しなくてもよいとも考えられる。
そして問題は後の訂正である。この「訂正申立書」は、表紙に「本事件について、別紙図面1を別添のとおり、差し替えの上、訂正する。」と記載され、別紙ではなく「別添」と記載された「新たな別紙図面」(アイウエアで囲まれた斜線部分を指す説明書きのないもの、以下では「新たな別紙図面」という)に差し替えられている。そして、この「新たな別紙図面」が2013年3月29日に提起された本訴訟の訴状にも使用されることになったのである。
この点に関して、原告・国は上記第3準備書面では、その第4頁第1行乃至第6行で、おおよそ以下のような言い訳を展開している。
①「仮処分の申立書を裁判所に提出した後に、裁判所の指示に基づいて、」
②(仮処分執行時の)「公示に用いるために、」
③「本件土地部分についてより明確に特定すべく」
④「改めて作成・提出した図面であり、」
⑤「本件訴状を作成するにあたっても、物件目録記載の本件土地部分について明確にするために、」
⑥「本件訴状別紙図面1を選択して添付したにすぎない。」
こうした国の言い訳は、素直に読めば①に言うところの、「(仮処分時の)裁判所に言われたから」ということに尽きている。しかし、当初に添付した別紙図面は、事前に法務局から図面を取り寄せ、それを証明する書面まで添付して提出されているのであって、この別紙図面1とともに経産省敷地の全体図である別紙図面2も添付されて、両者の位置関係が明示されている。そうである以上、本件土地部分の特定が不明確であるはずはなく、「新たな別紙図面」を改めて作成しなくては本件土地部分が特定できない、とするまでの必要性が存在したとは思われない。しかも、本件訴状の提出時に「新たな別紙図面」を「選択して添付したにすぎない」というが、ここではどのような理由で「選択」したのかを問題にしているのである。したがって、この点での原告・国の釈明は俄かには信用することができない。
以上のような図面の差し替えの経緯や被告国の弁明からして、それが本件土地の用途について「行政へのアクセスを容易にするなどの機能」「庁舎清掃等の行政の遂行に必要な用途」として使用されていたとする原告・国の主張(例えば、第3準備書面の第7頁第20行乃至第8頁第1行)との整合性を目的になされたと推認させるものであるだけでなく、本件土地が交差点に対面する敷地隅に位置して、その三面で広く公道に面する扇状の公開空地であって、フェンスにより経産省建屋を囲繞する植生植込み地とは区別された「公開広場」「公共空間」であり、俗に云う市民に開放された「パブリックスペース」であることを否定できないことは明らかである。

(5)原告・国の占有当事者の認定について
原告・国は、被告らが準備書面(14)等で本件各テントが民法上の組合契約に基づいて設置されたと主張したことに関連して、「被告らが本件土地部分全体を占有しており、被告ら以外の支持者らしき者は占有補助者」であると繰り返し主張している。
原告・国は、本件訴状に添付した証拠(甲第14号証および第15号証)により被告2名が本件土地部分を占有する者であると主張した。しかし、上記証拠により当初の被告とされた人物が別人であるとの被告らが指摘したことにより、その後の2013年9月6日提出の準備書面(1)において、上記甲第14号証として提出していた2013(平成25)年2月15日付の報告書(経済産業省大臣官房厚生企画室室長波留静哉作成のもの)の別表(被告及びその他の者が本件各テントを訪れた日を特定する調査結果)および甲第15号証として提出していた2013(平成25)年2月15日付の報告書(経済産業省大臣官房厚生企画室室長波留静哉作成のもの)の写真(平成24年4月17日、4月26日及び5月2日に撮影したもの)をことごとくに差し替えて、被告を誤認して特定していたことを訂正した。原告・国がこのように被告を別人と誤認した理由は、書面により本件土地の使用を申し入れた際に氏名を明らかにした2名だけを形式的な占有者としただけで、それ以上の根拠はまったくないままに、この2名を「被告ら」と指定したことに起因している。
すなわち、上述した甲第14号証の報告書に添付された別表には、氏名が特定された被告ら2名のほかに、AないしOの氏名が特定されない15名の調査結果が一覧で示されていること、この報告書の作成者が「平成24年8月10日から平成25年2月5日の間にわたり、監視カメラの映像に基づいて調査した結果、示威活動をするたなどのために本件各テントを訪れたことが確実に確認できた者は、別表のとおりである」として、映像資料から「確実」に17名の者を確認して被告2名とその他の15名の「被告ら以外の支持者らしき者(占有補助者)」を特定したと「調査結果」を作成していること、そうであるにもかかわらず実際には被告2名(占有者)と「占有補助者」とを誤認していること、さらに上述した甲第15号証の報告書に添付された写真①~③を撮影した経済産業省大臣官房個人情報保護室の個人情報保護1係長である堀口和幸もまた、「本件各テント周辺の状況を調査し、写真撮影を行ったところ、正清太一が、淵上太郎又は支持者らしき者と共に、原子力発電所の再稼働等に反対する示威活動を続けていることが確認された」としながら、被告2名(占有者)と「占有補助者」を区別し得なかったこと、等々を考慮するならば、本件土地部分全体を占有する「被告ら」と、「被告ら以外の支持者らしき者は占有補助者」とを区別する根拠自体が明らかでない。したがって、被告らが本件土地部分全体を占有しているとの原告・国の主張には、何らの根拠も正当性もないことは明らかである。

(6)付録 パブリック・フォーラム等関連論文 2014.11.11更新
著者 論文名 発行日 枚数 備考(出典、出版社など)

1 横大道 聡 第5章 パブリック・フォーラム法理 2013.Z.  10 「現代国家における表現の自由」(弘文堂)
2 横大道 聡 序章 2013.z.  5 「現代国家における表現の自由」(弘文堂)
3 辻 雄一郎 パブリックフォーラム論は言論の自由法理の必要条件か 2013.3.  25 孝忠延夫「多元的世界における「他者」」(関西大学)所収
4 成原 慧 表現の自由・アーキテクチャ・パブリックフォーラム 2013.1.  7 憲法理論研究会編「変動する社会と憲法」(敬文堂)所収
5 斎藤日出治 原子力発電と「市場経済全体主義」 2012.7.7 7 ルネッサンス研究会レジュメ
6 高橋義人 パブリック・フォーラムにおける匿名性と情報テクノロジー 2012.3.  10 琉大法学第87号
7 井形文佳 パブリックフォーラム論 の受容と拡大の可能性 2012.3.  15 法制研究別冊:学生法政論集(九州大学)所収
8 中林 暁生 パブリック・フォーラム 2011.5.  13 駒村圭吾編「表現の自由;1;状況へ」(尚学社)所収
9 高橋義人 「公共空間」の民営化と「パブリック・フォーラム」論 2011.3.  19 琉大法学第85号所収
10 田村 哲樹 デモクラシーのためのアーキテクチャ、アーキテクチャをめぐるデモクラシー 2011.12.22 15 「デモクラシーの擁護」(2011年ナカニシヤ出版)所収
11 福井佑介 「公的な場」とパブリック・フォーラム論との関係性について 2011. .  20 生涯教育学・図書館情報学研究vol10所収
12 松田 浩 「パブリック」「フォーラム」 2010.Y.  11 長谷部恭男編「講座人権論の再定位; 3」(法律文化社)所収
13 烏賀陽弘道 SLAPPとは何か 2010.6.  7 法律時報82-7所収
14 浦部法穂 意見書「表現の自由とタウンミーティング」 2009.3.30 13 タウンミーティング国賠訴訟、京都地裁判決について
15 前田稔 思想の自由と「公的な場」の「公正」 2006.9.  10 図書館界所収
16 高橋義人 パブリック・フォーラムの法理と公共の討論 2005. .  21 大分県立芸術文化短期大学研究紀要 第43巻所収
17 キャス・サンステイン 第2章 アナロジーと理想 2003.11.30 15 「インターネットは民主主義の敵か」(毎日新聞社)原題; REPUBLIC.com
18 西方聡哉 表現の自由の制約に対する欧州人権裁判所の統制 2001.9.  18 神戸法学年報所収
19 圓谷 勝男 表現の自由とその制約 2001.3.1 18 東洋大学法学会「東洋法学」所収
20 紙谷 雅子 パブリック・フォーラムの落日 1993.9.  12 樋口陽一編「現代立憲主義の展開 上」(有斐閣)所収
21 紙谷 雅子 私有地における表現の自由 1984.7.15 4 ジュリスト818所収
22 伊藤正巳 パブリックフォーラムに関する少数意見 1984.12.18 6 駅前ビラ配布事件最高裁第3小法廷判決
23 長岡徹 ショッピングセンターにおけるビラまき行為4(判例紹介) 1981.12.1 3 判例タイムス451所収
24 野口昌宏 宇奈月温泉事件(事実と判決) 1935.10.5 3 大東文化大学法学部・野口昌宏
テントからのお知ら
12月3日(水)15時 テント裁判第9回口頭弁論《103号法廷》
午後2時 地裁前集合 抗議集会
午後3時 第9回口頭弁論
午後5時 裁判報告集会(参院議員会館講堂)
発言: 川内現地報告 勝又美佐子(原発いらない福島の女)河合弘之他

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川内原発テントの連絡先
<連絡先> 脱原発川内テント 鹿児島県薩摩川内市久見崎町久見崎海岸(郵便物は久見崎簡易郵便局留)Tel 090-3919-0604(渕上)090ー3202-7897(小川)090-7276-9035(福田)090-5339-2243(江田)
e-mail sendai.tent@gmail.com ブログ http://sendai-tent.tumblr.com