本当はこと改めて「テントの展望」なんて語っても仕方がないのかもしれない。僕もこういう儀式めいたことを語ろう、とは思っていない。でも、どこか、文切りめいた言葉というか、その意義も分かっているという意味でこれを使わせてもらっている。テントは何処まで持つのか、想像もできない間にここまでやってきた、というのが正直なところである。だから、その先と言うか、展望は分からないのだというべきかもしれない。一寸先は闇とでもいうべき状態に陥るのか、それとも望外の道が開けてくるのかもしれない。同じことはテントを保持しての闘いの意義や意味ということについても言えるのかもしれない。行動の渦中にあるとき、そのことに意義や意味というものは分からないものだし、行動してしまうこと自体が何事かという他ないのだからである。
僕の周辺では老いを迎えての別れを経験することが多くなっている。一方では新しい命の誕生に喜び感動するが、他方は滅して行く悲哀を感じている。これは人の世が繰り返してきたことなのだが、重ねる年齢の中でその微妙に変化して行く様を我が心の内に見ざるを得なくなっているといえようか。自分の日常身辺の様はある意味ではあまり変わらないと言えば変わらないのかも知れないが、他方でもう一つの世というか、その動きは変わってきていると思えてしかたがない。歴史的に類推すれば、第一次世界大戦後の平和な時期が1929年の世界恐慌の後に国家間抗争と国家権力の強権化がやってきたような重もぐるしい時代になってきたように思える。それはいつの間にか対外的敵対意識が浸透し、その水位が高まってきてこれは何だという思いにとらわれることがおおくなった、というべきか。かつて、戦中派の大学教師がナショナリズムの嵐がやってきたらひとたまりもないぜ、と語っていたことを時々想起する。第二世界大戦に向かう世界でのナショナリズムの高まりと国家権力の強権化も、人々がそれと気づかないうちに、何かが浸透し、気づいたら世界は変わっていたというようにあったのではないか。そういう変りかたを、僕は様々の現象に感じる。それが多くなったといえる。
「どうも違う」「やはり変だ」という直観とともに、やはり、時代は違うはずだという疑念と言うか、希望もまた自分の中にある。そう簡単に歴史は繰り返さないということだ。これには繰り返させない、という思いも混じっているのかもしれない。人々の意志とその表示の力はナショナリズムと超権力化という国家的な動きを止めて行けるという希望があるのだ。1930年代にシモーヌ・ウェーユは「空なる望み」に未来を託せないと言ったが、「空なる望み」ではないと思う。僕は自問自答しながら、こんなことを思っている。
テントはこうした希望を持った人々の集まりだし、それが響き会う場だ。官邸前抗議行動もまたそうだと言えよう。その場は希望だけがあるのではない。失望も、人々の希望を萎えさせることもあり、それは僕らの現実がそうであるように矛盾の満ちた場である。人は繋がりたい、自分の希望を共同のものにしたいと思ってテントにやってくる。それを実感させるとともに、それに反することもまたある。これは歎くことではなく、テントが生きた現実の中にあるということだ。持久するということの困難性とはこういうことであり、そこに持久戦の意味があるのだと思う。繋がりたい、希望を共同化したいという願いは簡単ではない。ひとたび、論議が始まればこのことはすぐにわかる。理由は簡単のことだ。それぞれが自分の言葉で語っているようで、その言葉が歴史的な他者の言葉に拘束されているからだ。少し、難しく言えば、党派の言葉にということだ。国家がナショナリズムや超権力に向かうことは、自分の言葉が失われ拘束されることだ。宗教的な言葉によって自分の言葉(自由)が失われることだが、この宗教的な言葉は国家だけでなく、それに対抗しようとした部分もまた保有してきたのであり、僕らを拘束している歴史的遺伝子でもある。それに不断に自覚的で、自問し続けなければ、僕らは自分の言葉(自由)を保てない。
運動は矛盾に満ちたものだ。それは希望と同じことだ。運動の場としてのテントも同じなのだろう。その展望は僕らがその行動の中で、この矛盾を問い、さしあたってはもう一つの矛盾を生みだしていくことだ。繋がる言葉、希望を共同のものにする言葉を発見して行くことだ。これは時代に抗する言葉の発見と持続の中での転生である。「金より命」「経済効率よりも生活」というのはテントにもたれされた言葉だ、この言葉が人の繋がりや、希望を深めるものになっていけるか。そこが展望といえば展望なのだろう。 (M/O)