経産省前テントひろば1807日後
今年最後の脱原発青空川柳句会が開かれた 12月27日(日)
雲一つない青空で暮れにしては暖かくて良かった。
6人の参加でした。
乱さんが出した席題は「暮し」と「思う」
入選者にはいつものように乱さんからみかん・バナナが、特選を取った人には来年はもっと乗りが良いようにと海苔の佃煮が配られた。
暮しの秀句
フリーター その日暮らしも 送られず (柚っ子)
この暮し 電化で便利に なったやら (落葉)
原発で 夢見た暮し 海の底(まごじい)
おだやかな 暮らしに勝る 国富なし(ふ64)
年の瀬に 上がらぬ暮し 増す支出(まごじい)
特選
Go Toも Go To Eatも 他人事 (乾草)
思いの秀句
思うのは 誰しも平和 この日月 (落葉)
脱原発 思いをつなぐ 座り込み (乾草)
安倍という 総理がいたと 思い出し (柚っ子)
政治家も 思うにまかせぬ 新コロナ (まごじい)
安倍のウソ 原発の事故 ウソとウソ (原子力ガリレオ)
特選
座り込む 想い揺るがず 脱原発 (ふ64)
新年初めの句会は1月31日(日)です。
仕事納めの日だからか働く人が目立った 12月28日(月)
今日の座り込みは予報されていた雨も降らず晴天で陽射しもあり風もなかったので楽であった。今日から終わりが3時なので太陽が金融庁のビルに隠れる前に撤収することができ、経産省前特有の寒風に晒される事もなかったのでラッキーであった。のぼり旗等のくくりつけも慣れてきたので綺麗に並べる事が出来た。
相棒Sさんの経産省批判のアピール、反原発CDを掛けたあとOnさんが持ってきてくれたCD・フォークソング伝説・を掛けた。高石友也の受験生ブルースなど往年のヒット曲満載だったので楽しむことができた。今日は仕事納めの日なので経産省前を通る人はこの近くで働いている人ばかりで一般人は少なかった。(保)
久しぶりに川内から上京してきたEさんにあった 12月29日(火)
薄曇りのなか事務所で208号ニュースを印刷、その横で、Yさんがいつも座り込みの支援品を送ってくれる西東京市の久世さんと電話で話をしている。支援品の入った段ボール箱の中には手紙もあって、その手紙は明治記念大磯邸園の案内が付いた便せんに、リニア設置についての署名要請などとともに久世さんがその大磯邸で23歳まで過ごしたと書かれていた。この明治記念大磯邸園は明治150年を数える今年11月に開園し、一般に公開されたもの。神奈川県の大磯町は「明治政界の奥座敷」といわれるところで、大磯邸園内には伊藤博文、大隈重信、陸奥宗光、西園寺公望などの邸宅が残っているそうだ。
人通りの少ない昼の経産省前では、一緒に座っているOさんから昼の弁当を分けて頂く。本館の6階あたりの一室には灯が点いており、あと3日となった2020年末の、片付け仕事中だろうか? 茨城から上京してきたという女性が虎の門病院に向かう途中で立ち寄られた。Iさんは在日の女性と大きな声で話をしている。そこに、H君、そしてニュースを受け取りにIさんがやってきた。その後、N君、Nさんなどが所用で立ち寄られ、Hさん、Aさん、最後にS女史が2時半ちかくに現れる。Yさんは参加された皆さんに署名用紙を回していた。3時前に事務所に引き上げてくると、久しぶりに川内からEさんがやって来た。みなさま、良いお年を。そして来年もよろしく。(EO)
来年も頑張ろうと思います 12月30日(水)
朝は雨が降っていたがやんだ。今日は休みの日なので、テント立っていた交差点の角のところにセッティング。新鮮な感じ。「汚染水流すな」と「福島忘れるな」とひまわりの静岡のバナーを出す。思ったほど寒くはない。1時過ぎには陽もさす。人通りは閑散。当番2人の他2時頃にレジェンド斎藤が来られる。それからHさんが「今年もご苦労さんでしたと言いたいと思って来た」と来られる。
今日の終わりは3時。斎藤さんは「よいお年を」と言ってくださり、「明日12/31も明後日1/1も来ます」と言って帰られた。保っちゃんは今日もパンを焼いてきてくださる。人が少なかったので、Tが全部もらう。
来年も頑張りましょう。(T・I)
大晦日だが賑やかな座り込み 12月31日(木)
今日は大晦日、虎ノ門交差点より経産省前に到着するまで、前も後ろにも歩行者はゼロ、セッティング中も僅か2人であった、車道を見ても車は時々通過すだけで凄く静かな前半の座り込みであった。
面前の経産省ビルを見ると2F・4F・11Fの一部が点灯している、原発を廃炉決定するまで、私達の抗議行動が一日も休まず続く事をしっかりと彼らの頭に叩きこまねければと改めて力が入る。
後半になってからは長老のSさんやレジェンド斉藤さん、0さん姉妹、三軒茶屋のWさん達が参加して賑やかになる、特にWさんが差し入れてくれました今川焼きをご馳走になる。時に、あるお一人がマスク着用している事を忘れていたのでしょう、二つに割って、さあ食べようとする段になって、両手に今川焼きを持ってわ~食べられないと大慌て皆さんの大爆笑をかう。また財津昌樹さん作成の、「トイレで知る・考える」カレンダーを0さんよりプレゼントされたTさんは、1月より12月まで書いてある言葉を、読み上げて盛んと頷き、それに自論も加えて論評皆さんからの質問も出てかなり有意義な時間を過ごした。
撤収後は7名で、お蕎麦屋さん「砂場」にて軽く乾杯をして、年越しそばを頂いた。(Y・R)
来年は原発推進の動きと真っ向から立ち向かう年だ 12月31日(木)
「なんとなしに来てしまった大晦日」。もぐもぐとつぶやいているのだが、それにしても一年が経つのは早い。いつものセリフながらそんな思いがしてならない。コロナ禍の下での新年、どんなものになるのやら。巷のスーパーなどはにぎわっていたけど、政府などの呼びかける静かな正月になるのか(?) 友人のハガキに親しい人が亡くなって寂しいとあったが、本当にそうである。今年は友人の野辺送りをした。寂しさが遺る、それを否応なしに実感する年の瀬である。
正月には息子が孫を連れてやってくる。経産者前にテントを張って生まれ孫たが、上の子は来年小学校の三年生になるし、下の子は一年生である。孫たちはこれからの世代の出現であり、その感慨を持ったのだが、僕のやってきたことは孫たちに伝わるのだろうか、それは可能なのだろうかと考えることも多くなった。このことは同時に僕の祖父や親父たちは僕らに何かを伝えようとしていたのか、あるいは伝えたかったのだろうか、と思うことに重なる。想像するしかないのだが、これは僕らが孤独から救われて、癒されていることでもあるのだが、こんな自問が増えた。この十年、経産省前にテントを創り、座り込みを続けてきたことも孫たちにどう伝わるのか、伝えられるのか、死者たちはどう考えていたのかを繰り込みながら、考え続けることになるのだろう、と思う。それはテントや座り込みの10年近い歳月が僕らにもたらしてくれている厚みのようなものだろう。
菅首相が脱炭素社会を提起し、そこで原発の推進を掲げることで、これまで沈黙しながら、陰で原発推進をやってきた原発推進派が活気づいている。福島原発事故以前に民主党政権が提起していた原発推進に舞い戻ったような動きである。冗談じゃないよと言いたい。
原発がクリーンなエネルギ―であるという問題は核のゴミ問題を含め検討され、否定されてきた、この議論を無視した話である、10年目を迎える「3・11」を目に僕らはこの動きに対応して行かなければならない。来年のことをいうと鬼に笑われるらしいがそんなことはかまっていられない。来年は原発推進の動きに立ち向かう年になると思うが、月並みだが、頑張ろうぜと言っておこう。 (三上治)
:::::
経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき!
その158テロ攻撃が原子炉にとって最大最悪の脅威! 怖いのは地震・津波・火山だけではない~9.11で狙われ、3.11で地震・津波に襲われた原子力発電所~
2020年12月29日 木村雅英(経産省前テントひろば) 広瀬隆さんが、3.11事故以前から、地球上で飛び抜けて地震多発国である日本列島を「原子炉時限爆弾」(ダイヤモンド社、2010年)と憂いていた。東電福島第一原発事故を経験し、福井地裁樋口裁判長の大飯3・4号機の運転差止判決(2014年5月)や大阪地裁森鍵裁判長の設置許可取消判決(本年12月)などで、司法が主として地震ゆえに稼動を止めるのは当然である。
一方、「テロ攻撃:原子炉にとっての最大最悪の脅威」(岩波科学12月号)で佐藤暁さんが「原子力安全の全体的な体系における大穴となり得る」と憂いている。詳細は是非原文を読んでいただきたい。
◆ハイジャックされた旅客機が原子力発電所を標的に(9.11米国同時多発テロ事件)
2001年9月11日の同時多発テロ事件で、砲弾もミサイルも積まずに緊急発進したF16戦闘機の女性戦闘機パイロットが、(ハイジャックされた)大型旅客機UA93の撃墜を命じられ、体当たりを決意していた。幸い、UA93の乗客たちの英雄的な行動で人の少ないところに墜落させられた(“F-16 pilot was ready to give her life on Sept.11″)。
さらに事件後に明らかになったことは、ハドソン川沿いにあるインディアン・ポイント原子力発電所(ニューヨークから40km)が標的候補に上がっていたこと。一民間施設である原発が標的候補になったのは、彼らにとってとてつもなく特別な費用対効果があったから。
◆航空機テロに対する原発の耐性 冷却水を供給し続けなければならず、制御建屋や分電盤などを収納した電気系統建屋が破壊されてはだめ。PWRプラントは一旦火がついたら消すこともできず、格納容器が火あぶりとなる。BWRプラントは、……、長期間の電源喪失(SBO)から脱出できない。議論が盛んな米国でも、航空機テロは設計基準脅威から除外されている。
◆テロリストの脅威に対する防衛 自爆も怖れない原子炉を標的にしたテロリストにとって、不可逆的な原子炉事故に至らしめ、多量の放射性物質を外部環境に放出することが成功。原子炉事故は当分の間勝手に進行するという点でテロリストの味方。自衛消防隊の空気ボンベを背負って入ればあちこちの配管に爆弾を仕掛けて破断させることができる。……。 日本では、設計基準脅威が「保安情報」だとして一切その内容を語らないが、秘密にする本当の理由は、守備力の低さが露呈するからではないか。 そして佐藤さんは「テロリストによって誘発される重大事故の影響は、解析によって予想された重大事故をはるかに凌ぐ可能性があり、住民の避難も間に合わない。」と結んでいる。 米国では、各原子力発電所には本物の自動小銃を持った平均120~130人の守備隊が配置されているそうだ。地震・津波・火山のみならず、航空機テロなど人為の脅威にもさらされている原子力発電所は、日本列島に張り巡らされた地雷のようだ。こういった点からも、原子力発電所は絶対に稼働させてはいけない。
1月4日(月)テントひろばの新春集会 15時~16時30分
今年は恒例の持ちつきはいたしませんが集会はやります
1月8日(金) 経産省前抗議集会(新年最初の集会)
17時~18時 経産省前テントひろば
(1月1日金の集会は休み 座り込み12時~3時はやっています)