テント日誌1/30日経産省前テントひろば―507日目

暦の上では立春のすぐ近くである。季節や日々の移ろいをこんなに気にするようになったのも何かと言えばテントのお陰である。友達が季節感あふれる写真を送ってくださるのだが、それを見る気持にも切実さが増したようだ。誰かが年を取ると天皇に好意的になると書いていた。天皇と自然がどこか通底しているのなら、分かる気がする。ただ、自然への親しみや思い入れが深まったことは確かであるが、自分は天皇のことは興味がないというか関心がない。多分、今の私が自然に親しみを増してきているのはもっと時代的なことのように思える。時代の転換ということの反映だと思うがどうだろうか。文明も含めた時代の動きからきているように思う。機会あれば誰かと話してみたい。

安倍内閣はその言辞を抑えた振舞いをしているように思う。世界からの右傾化批判を気にしてのことか7月の参院選挙を控えてのことか。でも、小さな意地悪運動のような「生活保護費削減」なんてところに彼らの地金が見えている。過日、厚労省前で生活保護老齢加算の復活を求める申し入れがあったが、当たり前過ぎることである。防衛省の予算は聖域のように増額してこれは何だと言いたい。アベノミクスやらに片棒をかずくだけのメディアは現実をみるべきだ。

民衆のための政治という一番あたりまえのところがどこかその辺からこの内閣のことを見る視点が大事なように思う。3・11も2年目が近づく今、何が出来て何が出来ていないのかはっきりさせて行く必要がある。復興が大事だ、福島事故対策だというが何が今問題か、それをはっきりさせて行こう。むかしから問題が分かれば半ば解決に等しいというが、問題がほとんど分かっていないのではないかという思いがする。これは自戒を込めていうのだが自分たちにもかえってくる言葉のようにも思う。

テントにはいろいろの人が企画を持ち込んできていただいている。でも、まだ、多いとは言えない。持久戦的な様相の日々であるがテントを支えていくのは多くの人が足を運んでいただき、多くの企画でも持ち込んでやっていただくことである。30日の朝は韓国のテレビ(KBS)の取材があった。テントの風景や座り込みの女性を長く取材していたが、明日は「希望の牧場」に行くとのことだった。韓国は新自由主義の結果、格差が日本以上で大変とのことだが、脱原発運動での連帯も大事で取材歓迎である。 (M/O)