テント日誌3月12日 経産省前テントひろば914日目…商業用原発停止178日目─春は間近ではあるがなにか寒々しい気分がする日々だ

多分これは自然というか気候的なものではない。春は間近であるし、春めいた感じを時に感じることが多くなっているからだが、どうも寒々しい気分がしてならないのである。これは自然の要因ではなく、政治的、社会的のものによるだと思う。安倍政権はアベノミクスという名で金をばらまき、花見酒の経済の現代版をやって、人々の気分を和らげようとしてきたのだろうが、背後での強権政治体制のそれに増して気分を苛立たせているのだ。

大手企業を中心とする賃金アップは花見酒経済の仕上げだろうが、ここから先は消費増税後の転落が待っている。アメリカと歩調をしての金融緩和政策が国家的借金(国債残高)を積み上げるだけで、一時的なカンフル剤の役割しか果たしえないことは明瞭だが、この繰り返しの循環の中で事態はどんどん悪化して行くだけである。1929年の世界恐慌の教訓から金本位制から管理通貨制に移行した現代の矛盾を誰しもが気ついてはいるが、ここを超える経済社会の構想を描くことは困難だ。

戦後の日本はバブル経済の崩壊後、第二の敗戦と呼ばれる事態に入り、停滞から脱しえないできた。これは重化学工業を中心とした経済の高度成長後の社会に進み得ないことであり、既にアメリカなどが経験してきたことだ。アメリカはこのポスト第二次産業後の社会を金融経済と軍事経済(産軍複合経済)で支えてきた。これにはドルの基軸通貨としての維持が不可欠であり、金との交換停止後の管理通貨としてドルへの変化を踏まえそれをやってきた。日本はアメリカのこの経済体制に圏として深入りしながら、アメリカを模倣してきた。だから、日本経済も金融経済化と軍事経済化の模倣度(武器輸出の緩和と経済の軍事化の進捗)も強めてきた。また、戦争体制についても同じことであり、集団自衛権の行使に向けた憲法解釈の変更はそうしたものだ。長引く経済の停滞と不況の深化が近隣国に対する対抗意識と退行的振舞いを激化させていることも関連することである。

どこか日誌とは無関係なことを書いているように見えるが、「3・11」以降に日本社会がどこに復興の道を持てるか考えてきたことを、降り返ってみたていたら、どうも気分はこんな風になった。民主党政権は展望を持っていなかったが、まだ模索しようとする雰囲気はあった。安倍政権は2000年代の前半の政治社会の構想に戻ることで、「3・11」が提起したものを無視しているように思う。彼らにとっては「3・11」は一つの事件に過ぎなかったのである。これは何故だろうというと、原発震災も含めてこの大震災をどう考えるか、とりわけ政治、社会的にどう考えられるかの難問がここにあるのだと思える。その鍵をなすのは原発問題である。

経産省の前で被災者たちへの黙とうをしながら、脳裏をかすめたことの一つはそんなことだった。もちろん「3・11」のもたらしたものはもっと個別的で、具体的であり、そこに何よりも大事なことがあることは承知の上でのことだ。政治、社会的にということはそれらを踏まえてのことであるが、そのところに踏み込んだ考えがなかなか出てこないことが、「3・11」から三年目になる現在の不透明感をなしているように思う。この日はいろいろのことを伝えてくれたし、それはそれで大事な契機ではあったが、僕らの現状は原発問題を軸にして政治的、社会的な未来を考えることの困難性に立ち向かうことを強いている。安倍政権が大震災を歴史的事件としてではなく、一過的な災害としてやり過ごすことに対決していける僕らの根拠は何か。それを模索し続けながら、政治的な動きに対抗して行くという僕らのあり方は変わってはいない。どこまでも、どこまでもそれをやり抜くしかない。それが現在だ。そんな自己確認めいたつぶやきしかできなかった『311』三周年だった。(三上治)