テントを気にして見ている人に気軽に声を…
チョット春めいたかなと思う朝でしたが、午前中陽の当たらないテントはまだまだ寒い。国会通りと外務省周辺にはベトナム国旗と日章旗がはためいていた。ベトナムから国賓がやってくるのだろう!何の目的での来日か知らないが、日本からの原発輸出だけはやめて欲しいものだ。
今日は昼間の責任者正清さんが「さよなら原発鹿児島パレード」に出張したため、ピンチヒッターのYさんSさんと一緒に座り込む。11時半を過ぎると陽がさしてきて少し過ごしやすくなった。自転車で通りがかった若い男性原発推進の考えのようだった。理由は原発が無いと高い石油を買わなければならない。
そして原発がなくなると原爆を作れなくなるから困るなどとんでもないことを言う。北朝鮮も原爆を持っているし、日本が攻められたらどうするんだとまで言うのでびっくり!40年以上脱原発運動に関わっているS女史が原発反対の初歩から得々と説明してテントのチラシを渡し、原発のコストは安くないというチラシも入っているのでよく読んでくださいとお願いした。救いは彼がS女史の話を熱心に聞いていたことだった。
次に来た若者今日は何かイベントがあるのですか?と聞く。昨日日比谷で集会があったけれど…今日このあたりではありませんと言う、と残念そう!九州から4人で東京に働きに来たが、3・11以後3人は放射能がこわくて帰ってしまって自分だけ残った。自分は原発のこと気にしていなかったが、最近考えるようになったと言うので、勉強して下さいとチラシをお渡した。
テントを気にして見ている人たちが気軽に声をかけられる雰囲気を心がけたいものです。(I・K)
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さよなら原発!かごしまパレード」に6千人集結、川内原発の再稼働拒否
16日(日)は、「さよなら原発!かごしまパレード」に参加した。テントからは渕上、正清ふたりのテント裁判被告など数人が参加、「再稼働反対 テントひろば」ののぼり旗を掲げて歩いた。
昨年12月15日に薩摩川内市で開催された「集まろう ストップ再稼働! 12.15in川内」で3月16日の一万人集会が予告された。3.11後3年の催しが全国各地で開催される中で、まだどの原発の再稼働が有力か見えない中で、どれだけの人が鹿児島に集まれるかと心配した。が、ちゃんと原子力規制委員会が「かごしまパレード」を後押ししてくれた。パレードの3日前3月13日(木)に規制委が定例会議で、審査書案作成の第一号を川内原発に決めたのだ。
集会は午前10時開始の「太陽の広場」から熱気を帯び、NO NUKES STAGEで種々の音楽が奏でられる中で、鹿児島県内金曜行動や再稼働阻止全国ネットワークが紹介され、川内博史前衆議院議員や福島瑞穂議員や県議会議員が再稼働阻止を強く訴えた。
午後1時の集会開始時には、鹿児島中央公園は芝に座る人々で一杯になった。山本太郎参議院議員が大阪弁で力強い挨拶をして衆議院鹿児島2区の補欠選挙への独自候補の擁立を訴えて開会、集会実行委員会の共同代表約10人が演壇に並び、向原祥隆さんが怒りの基調の挨拶をした。次に、全国から集結した13人が演壇に並び順にスピーチ。木幡ますみさんが福島特に大熊町の現状を切々と訴え、続けて再稼働阻止全国ネットワークでなじみの泊、志賀、伊方の方々のアピールが続いた。また、柳田さんが阻止ネットの説明をし、岩下さん(阻止ネット、テントひろば)が4月から薩摩川内市に滞在して現地と連携して闘う決意を表明した。最後に「ストップ再稼働!さよなら原発!3.16鹿児島アピール」を高校生二人が読み上げて集会を盛り上がった。
柔らかな日差しを受けながら、参加者は2つの隊列に分かれて鹿児島市内を練り歩いた。にぎやかな天文館周辺のデモは、警察の規制もなく、好感を表明する沿道の人たちも多く、気持ちよくデモができた。その後、現地の方々と特にテントからの参加者達との交流の場も持った。
いよいよ正念場。川内原発の再稼働を阻止し、国内原発稼働ゼロを続けて、世界の原子力マフィアの目論みを砕くべき時だ。原子力規制委員会が再稼働促進委員会であることを多くの人が認めるようになった今、東京で、九州で、鹿児島で、薩摩川内市で、全国の人たちの力を結集していかに再稼働を阻止するか。一人一人の力が試されている。(K.M)
(K.M)