今回は民俗学研究者であり、「東北学」と言う独自の研究スタイルを作り上げた赤坂憲雄さん(学習院大学教授)の興味深いエッセーを紹介する。ゴジラとナウシカを対比されるこのエッセーの手法には、私自身一種の物足りなさを感じる。しかし、商業映画とは言えその時代を反映しており、しかも今日的状況に対する隠喩が込められていると思う。現代を知るための手法と思えば、それはそれで納得できるのだ。以下紹介したい。
【リレー連載/3・11のあとにわたしはそれを読んだ、観た、聴いた……】 『風の谷のナウシカ』(アニメ版) 赤坂憲雄
3・11から、しばらくは言葉を失っていた。地下の書斎に籠もって、ただパソコンの画面に眼を凝らしつづけた。思い出したように、テレビを見て、新聞を読んだ。メディアからは、取材や原稿の依頼があった。受けられるはずがない。言葉がなかった。
5、6日目であったか、山形の若い友人からの電話が繋がった。かれはその晩、「赤坂先生は沈黙を選ばれています」とツイッターに書いた。恥ずかしさに打ちのめされた。沈黙なんてものじゃない、語るべき言葉がないだけだ。言葉がこのまま戻って来なかったら、と想像した。体験したことのない畏怖の感覚に、身がすくんだ。
それから、パソコンの小さな画面で、『風の谷のナウシカ』に見入った。むろん、アニメ版である。少しだけ、人心地が戻ってきた。さらに、『ゴジラ』を、やはりパソコンで観た。この順番はあるいは、逆であったかもしれない。
その翌日であったか、活字の本が読みたくなって、手に取ったのが『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』(石光真人著、中公新書)である。なぜ、はじめて読む気になったのが、この本であったのか。わからない。ただ、なにか覚悟を決めねばならない、とぼんやり感じていた。そのために読んだ。
ここでは、『風の谷のナウシカ』と『ゴジラ』について語りたいと思う。
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じつは、3・11から2週間あまりが過ぎた頃に、つまり、なんとか覚悟らしきものを固めて間もなく、わたしは「海の彼方より訪れしもの、汝の名は」という30枚ほどの文章を書いている。ある文芸誌からの依頼であった。これが掲載されるまでには、ひと悶着があった。こんなモノを載せたら、大騒ぎになると、編集部はあきらかに怯えていた。空気は刻一刻と変化していたから、いまとなっては、あのときのやり取りがわかりにくい。ただ、世間は喪に服していた。その空気を乱す、ふさわしくない原稿、いや、許しがたい原稿と判断されたことだけは、たしかなことだ。
きっと、それが文学作品や思想の書に拠って書かれていたならば、問題にはならなかったにちがいない。しかし、それは『ゴジラ』/『風の谷のナウシカ』を中心に据えた震災論だった。こんな喪に服さねばならないときに、アニメ映画や怪獣映画について暢気に語っているとは、何ごとだ、ということであったか。疑いもなく、わたしの原稿は忌みモノだった。怯えだけが伝わってきた。ついに、忌避の理由があきらかに語られることはなかった。結局、前文に、言い訳めいた数枚をくっつけて掲載された。
たぶん、災厄と犠牲というテーマが浮遊していたのだ、と思う。
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『ゴジラ』という映画は、1954年秋に封切りされている。わたしは、その前の年の5月に生まれた。だから、『ゴジラ』を映画館で見たわけではないし、第五福竜丸事件についても多くを知らずに来た。
この年の3月1日、南太平洋のビキニ環礁で、アメリカは水爆実験を行なっている。広島型原爆にして約千個分の爆発力をもつ水素爆弾が炸裂し、海底に直径約二キロメートル、深さ73メートルのクレーターが形成された。このとき、日本のマグロ漁船・第五福竜丸をはじめとして、千隻を越える漁船が被爆している。第五福竜丸の無線長が半年後に亡くなった。しかし、実際の被爆者は2万人を越えるともいわれている。
『ゴジラ』はいわば、この事件を背景とした、いわば反核映画そのものであった。そして、皮肉なことには、いや、おそらくはそれゆえに、日本国家はこの年に、「原子力の平和利用」に向けて最初の一歩を踏み出したのである。
『ゴジラ』という映画は、現実にも巨大な災厄の影に覆われていた。この巨大な災厄を鎮めるための犠牲というテーマが、くりかえし姿を現わした。生け贄の島の娘と、ゴジラに蹂躙され逃げ惑う東京の人々、そして、最後にオキシジェント・デストロイヤーという、原爆を超える最終兵器を特攻兵士のように抱いて、ゴジラを退治する化学者の芹沢。原水爆も、ゴジラも、人智を超えた巨大な災厄として眺められている。と同時に、科学やテクノロジーにたいする牧歌的な信頼は、いまだたしかに存在した。
ところで、アメリカはビキニ環礁において、16回の地上または大気圏での核実験を行なっている、という。見えないゴジラは、南太平洋から日本列島へと、少なくとも16回は来襲していたのではなかったか。太平洋はたっぷり汚染されて、わたしたちは汚れたマグロをたっぷり喰らっていたのではなかったか。思えば、わたしが子どもの頃には、「放射能の雨に当たると、頭がはげるぞ」と、冗談めかして、大人たちから脅かされたものだ。わたしたちは核に関して、いまだに、知らないことが、知らされていないことが膨大に存在するのだということだけは、記憶に留めておこう。
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それから、30年の時間を経て制作された、アニメ版『風の谷のナウシカ』のなかにも、災厄と犠牲のテーマが見いだされる。しかし、その肌触りはまったく異なっている。『ゴジラ』が、あくまでも近代という時間のなかに閉じこめられていたのにたいして、『風の谷のナウシカ』はきわめて複雑にして繊細な、まさしく近代のかなたに向けての眼差しや世界観に支えられていた。
風の谷の人々にとって、押し寄せてくる王蟲の大群はまさに大海嘯であった。王蟲の怒りは大地の怒りであった。「火の7日間」と呼ばれる核戦争によって、巨大文明は崩壊し、荒れ果てた大地にはどこまでも腐海の森が広がっていた。『風の谷のナウシカ』もまた、犠牲のテーマによって幕が引かれる。ナウシカという少女がみずからを犠牲として、王蟲の怒りを鎮め、風の谷を守った。その前段に置かれた、最終兵器としての巨神兵の吐く放射能の火は無力だったのである。
たとえば、『ゴジラ』の戦略は、近代によって近代の毒を制することだった。近代科学とテクノロジーへの絶対的な信仰が生きていた。『風の谷のナウシカ』はまさに、そうした信仰が肥大化し暴走したはてのカタストロフィーのあとに、それでも生き永らえてゆく人々を主人公とした、千年後の物語世界だった。
3・11以後の世界は、思いがけぬかたちで、いま『風の谷のナウシカ』の跡を辿りはじめているのではないか。
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それにしても、わたしが福島の原子力発電所が次々に爆発する映像の衝撃のもと、言葉を探しあぐねながら、ゴジラとナウシカを選んだ直感だけは、誤りではなかったかもしれない、と思う。ヒロシマ・ナガサキからフクシマへと、あるいはチェルノブイリからフクシマへと繋がれる、負のイメージ連鎖は、きっと避けがたいものだ。だからこそ、『ゴジラ』から『風の谷のナウシカ』へと、わたしは思想の道行きを辿らねばならない、と感じている。
『風の谷のナウシカ』、とりわけその漫画版は、まさに21世紀を予言した黙示録的な作品として読み継がれてゆくはずだ。わたしたちはいずれ、この汚染された大地や森や海とともに生きる覚悟を固めるしかない。風の谷という、腐海のほとりに生きる人々の姿は、わたしたち自身によって生きられる現実そのものとなったのだから。
その人達はなぜ気づかなかったのだろう
清浄と汚濁こそ 生命だということに。(『風の谷のナウシカ』漫画版)
それでも、明日への希望を紡ぐことができるか、という問いが、そこに転がっている。3・11以後のいまこそ、『風の谷のナウシカ』について、本格的に語らねばならないと思う。そのための準備を少しずつ始めている。
福島第一原発から2百キロメートル離れて、もうひとつの腐海のほとり・東京にて――。