経産省前テントひろば1807日後
千客万来の日でした 3月19日(土)
さて19日は総がかりの日で、人は出たり入ったり、合計三十人を超えたかも? とても盛況でした。
スタート時から、総がかりの場で撒くチラシを取りに来た人たちで賑わっていました。
彼らが行ってしまうと丸の内署の私服が3−4人で来て、申し訳ないが右翼街宣車が何十台も通るので、いっときだけ幟を下げてほしいと言います。
彼らはこの頃、我々のことは無視ですよ、というと、今日は何十台も通るので、我々も見張っているから大丈夫とは思うが、怪我でもするといけないから、と。彼らに「あいつらはたいしたものじゃないから無視しなさい」と言ってやってくださいよ、というと、そういう話の通じるのもいるが、そうじゃないのもいていろいろだから、と言います。
そうこう言っているうちすぐに街宣車が見えてきたので、数本の幟を椅子ごと倒し、数本は1mほど縮めて低くし、第二テントの幟だけをそのままの高さに残しました。
街宣車は21台ほど通りました。途中に警察の車が入っているので、車列としては40台ほどになりました。ぐるっと、回って後で戻ってきた車ものべ5−6台ありました。
こちらに悪口や罵り言葉などを言ったのは1−2台だけでした。
(夕方、帰りは全然関係ない音楽を流しながら走り去るので、彼らは本当に「勤務時間だけ」右翼をやっているのだなあと感じます。)
街宣車が通り過ぎた直後、今度はキリスト教の街宣車が来ました。今度はなんだ!とおもってみると、Cさんの車でした。
いつもより多い人数で楽しくたくさん歌を歌い、楽しく過ごしました。
途中から寒くなり、M子さんは、来るなり毛布に包まれてしまって、びっくりしながらおしゃべりに興じていました。総がかりが終わって続々と人が増え、16時になったのに気付かず、少し長くやりました。(H・Y)
経産省前は終日の雨降り 3月21日(火)
雨の中、正午前に傘をさして、いつものように台車で経産省門前に到着。
座り込んでいても傘をさしているので、経産省を出入りする人たちと目が合わない。幸いに風はなく寒さもそれほどではないが、さすがに座り込みに参加する人は少なく、常時2~3人で午後3時になる。
後半担当のAさん、Fさんが現われたところで、事務所に戻ることにする。夕方まで雨が降り続き、後半の予定時間を早めて5時過ぎに戻ってきた。
〈O・E)
テントの跡地がまた変わった。 3月22日(水)
風がものすごく強い。気温は15度にもなるというけれど北風で相殺される。朝、座り込みグッズを積んだ台車を押していくと、途中で洗濯屋さん(テントの毛布等の洗濯でお世話になった)に「元気?」と声を掛けられる。また、大口弁護士にも行き会い、「今日は風が強いから気をつけて」と言われる。風が強いので、バナーをつけるのをやめた。
今日は午前中に井戸川裁判があり、その傍聴者が何人か立ち寄ってくれた。午後は都立高校の「君が代」処分者の裁判があるはずだった(延期になった)ので、それに来た人も寄ってくれた。
また、元テント常駐メンバーのSさんとKさんも座り込みをしてくれた。なんだかんだとテントはにぎやかだった。通行人とも会話になり、カンパもしてくれた。
こんなこともおこった。経産省玄関から盲人の女性が出てきた。女性は道がつかめず歩行に難儀していた。経産省側はなんのサポートもしない。帝国警備保障の守衛もただ見ているだけだったので、Bさんがサポートして、女性を財務省まで送って行った。Aさんが経産省の守衛に障碍者をサポートしようなんてキャンペーンしているのに、何にも手を貸さないのはどうしたことかと言いに行ったら、「ここは敷地内です。出てください」と言って本部に電話かける始末だ。あきれた役所だ。
新しいことがひとつ。テントがあったところがまた変化した。大きな液晶パネルが登場した。何を写すものなのかわからない。ともかく、「花壇にする」と工事をはじめ、敷地を鉄柵で囲んでつつじを植えた。終わったと思ったら、監視カメラを新しく設置しなおす工事をした。植えたつつじの一部は抜かれ、無残だった。監視カメラの設置が終わったと思ったら、今度はわざわざ作った鉄柵を壊して、穴を掘り、コンクリートで固め、配線をしたと思ったら、3/20にパネルが登場した。この無計画ないじくりましに一体どけだけの金がかかったか。情報開示をした方がいい。(T・I)
強い風でまるで真冬のように寒かった 3月24日(金)
午前中私用のため準備に参加できず、荷物運びなどをFさんに替わってもらい、遅れて経産省前に行った。1時頃到着すると、既に4名ほどが座り込みをしていた。しかも、幟旗6本が強風のため、ちぎれんばかりに旗めいていた。今日は、晴天だが強い北風のため体感温度はまるで真冬だ。
以前テントがあったところは2種類のディスプレイが建っていた。どんな表示をするのか、見ものである。我々の非暴力の脱原発テントを暴力的に強権的に追い出し、原発推進の広告塔にするのであろうか?セコイ大臣のやることだから分かったものではない。
2時ごろ、Eさんの知り合いであるというカップルがやってきた。「私たちはパレスチナ支援の活動をしています。オリーブ油の販売等を通して得た収益の中から、その一部を脱原発の運動にカンパします。」と言って1万円を超える金額をカンパしてくれました。丁寧にお礼を言い、有難く頂戴しました。
東京の桜の開花宣言が発表されてから日が経つのに、北風が強く寒かったせいか、1時~2時頃は金曜日にしては座り込みの人数が大変少なかった。それでも、4時を過ぎるころには常連のメンバーがやって来て経産省への抗議行動の準備が始まる。
最近、4時から始まる文科省前での抗議行動にテントのメンバーも何人か参加するようになった。政府による原発棄民政策の被害者と相通じるところがある朝鮮学校の無償化適応除外の高校生たち。共に支援連帯をしていきたい。(S・S)
寒空の中で座り込み・抗議行動・お茶サービス 3月24日(金)
霞が関ビル等に遮られて日陰になった経産省本館正門前は、冷たい風が吹いて寒い。それでも、座り込みしながら数人で籠池政治談議。首相官邸内の夫人付き役人(経産省出向の谷査恵子)の仕事を公務ではないとはひどい、FAXという物証がある以上安倍首相は退陣するべきではないか、死なば森友!とか。17時からは抗議行動。地下鉄入口に急ぐ人にテントリーフを配布。一週間前に前橋地裁が、原子力安全・保安院(経産省)の規制行政を違法と断じて賠償を命じたことを再確認、改めて経産省に責任をとれと抗議した。風があまりに冷たいので座込みは早めに退却(片付けをFさんやSさん他に依頼)。それでも夜のお茶出しは好評で、国会前にも出張サービス。暖かい飲物が喜ばれたはず。(K.M)
政治家に必要なのは見識なのだ 3月24日(金)
今日は経産省前での抗議集会のある日だったのだが、その前に高校時代の友人たちと花見に出かけた。青山墓地の桜だ。外務省前の早咲き桜は満開だが、こちらはまだ、つぼみがちらほらという程度だ。ヒガンサクラという満開の木はあったが、咲いている一輪の花をみつけては、おおここに咲いているぜ、と言った具合だった。僕の田舎の家は桜並木の堤防の下にあった。だから、物心がつくころから桜は見て来た。お宮のある小さな山の沿いに流れる川に堤防はあったが、そこでは満開時には賑やかな祝宴があった。そんなこんなで大人になっても花見は好きだった。花見の季節になると気持ちは浮き足しだった。花見にまつわる思い出は尽きないのだが思い出すものの一つは吉本家(吉本隆明一家)の花見だった。そういえばあれは谷中の墓地だったが、大きな墓地には桜がある。青山墓地のまだ咲かぬ桜を見ながらそんなことを考えるともなく考えていた。
墓地には桜が良く似合うというべきか。桜のさくころくらいは亡くなった人を弔い、亡き人のことを思い出せということなのだろうか。現在では死が遠くなってきている。なかなか死者のことに思い出せないし、死者の声に耳を傾けられない。何かと忙しい時代なのだ。これは僕らの関係というものが希薄になって行くことをあらわしてもいるのだろう。少年の日に三木清の「死についてエッセイ」(死は恐ろしい事ではなく親しいものになった)を読んでから何かにつけて考えて来たことだが、死は実体ではなく精神の糧だという親鸞の死についての考えが一番にしっくりきた。これは死が関係(他者)のことを考える精神的な糧だという意味だろう。自己の死についていてはどんな考えても考えいたりえないところがあり、死は他者の死として僕らには存在する。そして、死とは関係の喪失であり、関係の断絶である。あるいは時間の喪失と言い換えることもできる。だから、死は失恋に似ている。失恋が関係(対象)を失うことであるように。これは僕らのこころに深い衝撃や悲しみをもたらしたにしても、それは関係をうしないことであり、その断絶にあうことだ。死が精神の糧ということは関係のことを自覚す、それにこころを及ぼすとすることだ。
死にゆくものの願いは生あるものが自分のことを思い出してくれることである。そして生あるものは死者の声を聞くことである。再生することだ。これは失われた時間を記憶において再生することなのだ。僕らの実存、現存在は不断に失われて行く時間を再生することであり、それでこそ充たされてあるのだし、もしも僕らの生が空虚であるとしたら失われて行く時間を取り戻せないことだ。死を死者の声を聞くことにしえてないことだ。現在は僕らにそんな心的な余裕を与えないのかもしれないが、関係を希薄にしていく時代ともいえる。このことの自覚がとても大事な時代なのかしれない。一輪の花も珍しい桜の木の下をあるきながそんなことを考えていた。
一通り墓地を歩き、お茶の後に友人たちと別れ、経産省の前にきた。集会のだいぶ前だったが風が強くて寒かった。この寒さで開花宣言が出されているのに桜もなかなか咲かないのだろうか思った。この寒さの中で座り込みを続ける皆さんには感謝の気持ちでいっぱいだが、僕はそこに加わるにはもう少し体力の回復がいる。それでも、せめて金曜日の行動くらいにはと足が向く。それだけ経産省などの所業は腹立たしいのである。連日にわたり、森友学園や豊洲市場問題がテレビをにぎわしている。豊洲市場問題では石原慎太郎元知事の証言をみた。何がものの本質か、自分は何を問われているのか、それすらも気がつかずに言い訳がましい弁解をする石原慎太郎にがっかりした。
肝心のことは土壌汚染の強い場所に生鮮市場を移行させることの認識であり、それについて石原がどういう認識―理解をしていたかである。彼はその重要性を故意に無意識にさけ、技術的な解決で処理しようとしたに過ぎなかった。石原には環境汚染のことなど、頭にあがらなかったことか、誰かが勝手に騒いでいることぐらいだったのかもしれない。尖閣列島のことに抱いた関心に比すれば問題にならぬ程度のことだった。石原がヘイト的(蔑視的)な中国人や韓国人に対する発言を繰り返してきたこと、あるいは女性に対してもそうしてきたことと同じ根の問題だ。彼のこうした見識(思想)の問題の問題が政治的な豊洲移転を結果させ、豊洲市場問題を露呈させていることに気がついていないし、そこに政治家としての責任があることに気がついていない。お粗末な見識が何を結果したかの反省がない。僕は政治家の見識の重要性を想起した。現在では政治家を選ぶことの難しさも含めてである。
このことはトランプ米大統領についてもいえることだ。彼の馬鹿さ加減は彼の現在の諸問題に対する見識にある。彼の政策が政治的停滞や混乱を招いているのは彼の見識の浅薄さの結果である。彼を持ちあがる頓馬な知識人はいるが、彼らはトランプの政治的見識のお粗末を無視する。彼等は政治家の大事なところ見てはいないのである。石原のこの問題は彼の原発発言にもよく表れている。彼の原発についての見識はお粗末なものだが、これを似たり寄ったりの自民と公明党(与党)の政治家を隠れ蓑にして原発行政を推進する官僚にも怒りはわいた。石原の政治的な判断を隠れ蓑にして豊洲市場移転を決めた都の官僚たちと同じことを経産省は原発再稼働においてやっているのだ。専門の知識がいることをいいことにして。
東芝の原発事業での苦境が、これも連日に渡って報じられている。東芝関連の事業体に勤めている人は不安でならないだろう。こういう経営者を頭に抱いた社員や従業員にはお気の毒というほかないが、原発推進から離れられない電気労連などの組合も考え直すべきだ。連合を通じて民進党が脱原発にふみきることを妨害している電気関係の労働組合はそれを見直すいい契機ではないか。これは経営者の原発問題についての判断の誤りに端を発しているが、彼等の原発についての見識のもたらしたものである。この東芝の原発事業へののめり込みの力になったのは経産省の官僚と伝えられている。彼等は政府の中枢(官邸のスタッフ)にあると伝えられるが、責任を問われることもなければ、その自覚もなかろう。
原発再稼働など現在進行形で進められる原発行政がこういう面々で進められることへの不安があり、僕らは経産省に向かって声をあげ続けている。彼等は耳東風的に無視するか、聞こうともしないような対応に見える。だが、彼等の大半は重要な決定には参与できず、決定を進める技術的な諸作業にたずさわっているだけで、内心は不満や不安はあり、僕らの声を聴き取り、内心は期待しているのかも知れない。原発に対する人々の関心は自然に潜在化する面は避けられないが、それは関心が希薄になったことじゃない。こういう持久戦型の運動は難しさがある。けれども、この数年を振り返れば国会や霞が関街で異議申し立てをする運動や人々は増え、それは一つの光景になってきている。悲観することはないのだ。時には前橋地裁の判決のように朗報もとどくことがある。僕らは声をあげ続けるだろうし、それを止めない。それは東日本大震災や原発震災の死者、あるいは死に追い詰められている人たちの声を聴き続けることであるのだ。 (三上治)
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●院内ヒアリング集会「使用済み核燃料と原発コスト」
経産省前テントひろば
日時:3月28日(火) 14時半~17時半(14時15分から通行証配布)
経産省ヒアリング(依頼予定):15時~16時:使用済み核燃料
16時~17時:原発コスト
場所:参議院議員会館 B102会議室(地下1階、定員36名)
主催:経産省前テントひろば(電話070-6473-1947、メールtentohiroba@gmail.com)
紹介:参議院議員 福島みずほ事務所
大阪高裁・高浜3.4号機仮処分判決3/28(火)確定と緊急行動
一年余り前、川内原発に続いて再稼働を強行し、直後、案の定アクシデントを起こし緊急停止。
直後の大津地裁で停止決定をうけた高浜原発3、4号機。
強引な再稼働推進で、規制委担当課長を過労死させたり、その後もクレーン転倒事故等も起こした関西電力は性懲りもなく、大阪高裁に控訴。
週明けの3月28日(火)、その決定が下され、現地では当日、傍聴~緊急行動が行われます。
首都圏でも連帯しようと、経産省前テントひろば院内ヒアリング(14時15分~入館証配付、半~事前集会、15時~17時)の後、17時半から、関西電力東京支社に対する緊急申し入れ行動が行われます。
(※仮に再稼働反対派が今回も勝訴した場合でも、「地裁、高裁、民意に従い、ここでスッキリ再稼働を諦め、脱原発しなさい」として行いますが、逆転敗訴→間もなく再稼働強行となる危険性が大だと懸念されています)
場所:富国生命ビル内
東京都千代田区内幸町2ー2ー2
経産省(前テント)と東電の大通沿い、ちょうど中間辺りです。
主催:再稼働阻止全国ネットワーク
TEL 070-6650-5549
●3月31日原子力防災・避難計額 ヨウ素剤の事前配布を求める
院内集会&政府交渉 13時30分~ 参議院議員会館B107号室
3月31日(金)5時~6時経産省前抗議行動 テントひろば主催
官邸前