経産省前テントひろば1807日後
ネットで渕上さんの死を知った人も立ち寄られ 3月20日(水) 朝からメールで淵上さんが亡くなられた連絡があった。淵上さんは自宅で、穏やかな死をむかえられたようだった。闘いをやりきって亡くなられたと思う。淵上さんは1月4日のもちつき大会のとき、テントひろばに来られ、原発がなくなるまで、経産省前のこの抗議行動はやめないと言われた。
グッズをもってテント前に着くと、元都立高校の教員で「君が代」斉唱の強制に反対して処分されたFさんが来ていた。今日は、高江のヘリパット建設に警視庁の機動隊が派遣され、暴行を働いたことなどにたいする裁判の日だった。Fさんもそれに参加する予定だそうだ。104号の大法廷で行われたが、傍聴抽選に外れた人たちが座り込みに参加してくれた。ネットで、淵上さんがなくなられたことを知っている人、また、テント前で聞き、初めて知る人など様々であったが、みなさん、彼の死を惜しんでいた。
それから今日は日比谷図書館で、植村隆さん裁判の報告集会が日比谷図書でありそれに参加する人も寄ってくれた。水曜日の規制庁抗議に参加したNさんが、本日も自家用マイクを身に着けて、経産省に対して抗議の演説をした。 テント撤去の裁判の弁護団の一瀬弁護士、吉田弁護士が座り込みの前を通りがかり、淵上さんの話をする。入れ替わり立ち代わり、いろいろな方が寄られた。 (T・I)
テントに泊った若者、渕上さんともっと話して… 3月21日(木) 今日は代々木公園で「さよなら原発全国集会」があったので テントのブースの設置などのためいつものメンバーのYさんはそちらへ。 私が11半ごろ事務所へ向かって行くと前を土曜当番のOさんが歩いていたので驚く。2人で事務所に着くとまもなくTāさんもやって来た。
皆代々木に行って経産省前が手薄になると思って来てくれたと言う。感謝です。 3人でいつもより少なめの荷物を積んで経産省前に着くとすぐ高級自転車の人がやって来た。早くも代々木に寄ってからこちらに来たと言う。 心配した雨も降らず、好天気のせいか大勢の人だったと聞いて安心した。 経産省前は風が強く幟旗を低くしなければならなかった。 勿論バナーはつけられない。 代々木はどうだろうと思いながら座り込む。
テントのあった頃泊まってくれたと言う若者も渕上さんのことを知ってやって来た。渕上さんともっと話をしたかったと後悔した様子。 ちょっと遅れてやってきたTさんがほかほかの肉マン・餡マンをプレゼントしてくれ、みんなで美味しく頂いた。今日はひっそりした座り込みだと思ってやってきたのだけれど、精勤の斉藤さんも現れて何と7人になり嬉しかった。(I.K)
ありし日の渕上さんの映像にみんな見入った 3月22日(金)
久しぶりに定刻に事務所到着、上着を着ていると汗ばむほどなので上着を脱いで、グッズを階下に降ろす。荷つくりを済ませて一休み。そのうちにイロハのお姉さん方がやってきて出発前の談笑が始まる。11時半になり事務所を出発。
順調に経産省正門前に到着。今日は昨日と打って変わって風が弱い。幟旗3とバナーを2本正門前に設置。座り込みを開始する。日差しが大分強く、花粉も大量に飛んでいる模様でマスクが離せない。
やがてTyさんがやってきて座り込みに参加する。彼女も花粉症の様で、今日の花粉の多さを訴える。Sさんが持参のマスクを1つ提供し,貰ったTyさんがマスクで顔を覆うのであるが、サイズが大きい小さいで一同爆笑する。詳細はカット…
そのうち、Fさんが車で到着。昨日、代々木公園で開かれたさようなら原発の集会でも実施した、一昨日亡くなられた渕上さんのDVDのビデオを今日ここ、経産省正門前でも流したい。機材を降ろすから手伝ってくれとのことだった。みんなで設置のお手伝いをする。準備ができたころは薄曇りの天気になりビデオ上映にはうってつけの空模様となった。
在りし日の渕上さんの映像が映るとみんな食い入るように見入る。テント設置の初期の懐かしい映像や今年1月4日の餅つきの頃の姿が次々と映し出される。原発反対!再稼働反対!の力強く訴える声が聞こえてくる。いつもは、通り過ぎるだけの通行人も、何やら珍しそうに振り返りながら通り過ぎていった。(S・S)
渕上太郎さんへの想いと経産省への怒り 3月22日(金)
17時からの経産省抗議行動は、前日のさようなら原発全国集会で鎌田慧さんも落合恵子さんも触れられたように、3月20日(水)朝に逝ってしまった淵上太郎さんへの想いと脱原発実現への決意を共有する集会になった。一部を紹介する。
由井さん:渕上太郎が「海員風雲力?」を出版、チベット支援を契機に雲南省の松茸輸入、口は悪いが「人3獣7」で話した三上さん:70年安保、安倍政権阻止、和製タンポポ、九条改憲阻止で共に闘った上村さん:淵上さんは、心がきれい、金に執着なく、伊方現地で持ち主で無くリュックを叱ることも。木村:淵上さんと院内ヒアリング集会に取組み、プルトニウム・核のゴミ・核燃料サイクル・エネルギー基本計画・トリチウム汚染水など、経産省を攻めた 堀口さん:食べない人、かっこいい人、信念を貫いた人 勝さん:9年近く闘った革新的同志 帯谷さん:2011年12月から参加、「奇跡のテント」だった、多くを学んだ、民主主義はくそ度胸だとも 斎藤美智子さん:長らく反原発を訴えている、未だに原発を止められない経産省は何だ? 旭さん:脱原発を実現できたら渕上と一緒にビールを飲みたい 乱さん:人民の利益のために死ぬのは、泰山よりも重い。ファシストのために死ぬのは、鴻毛よりも軽い。 山本さん:20日の朝、自宅で介護士さんが身体を拭き終えて出て行くときに、淵上さんが笑顔で手を振って、そのまま逝ったそう。通夜が23日、告別式が24日。なお途中で、藤原さんが準備したビデオで渕上さんの動画を観て、沖縄からの「友へ」の歌を聞いた。
また、関西から来られた若狭ネットから院内集会の報告を受けた。 前田さん(若狭ネット):先ほどまで参議院議員会館で「放射線副読本」について文科省を交渉した。2億円かけて全国の小中高に配布。2回目の改訂は自民党国会議員の圧力で、章立てを1放射線の知識ー2福島原発事故の順に、「はじめに」には「二度と原発事故を起こさないように」でなく「二度といじめが起こらないように」と記述、公衆被ばくの実効線量限度(1 mSv/年)を無視? 教育現地から疑問も出ている。
この集会には私も参加して、終了後に文科省原子力損害対策室の担当に、先ほど「東電は被災者に寄り添った対応」と2度も話したが、東電はADR和解案を8つ以上も拒否しながら東海第二運転延長・再稼働に資金支援することを追及した。東電への指導を要求したら、指導は経産省の役割、と逃げた。やはり元凶は経産省・資源エネルギー庁か。 (K.M)
桜は咲き始めているが、冬に戻ったような一日 3月23日(土)
冬に戻ってしまった霞ヶ関。顔に風があたるとマスクをしていても寒いのでコートのフードを被る。その姿はまるでオビワン・ケノービ(買い被り)。座っていると寒いので身体を動かしながらの立ち話が多くなる。Sさんはいつも通りマイペースでじっと座っていた。
Kさんは今日と明日も参加する運動があるのでお通夜と告別式にいけないということで渕上さんへの香典をお預かりした。やりたいことを、やるべきことをやるのが何よりの供養だと思う。
淵上さんの言葉で忘れられないのは「聞く耳を持つ能力が必要」。その意味を尋ねればよかったと後悔している。でも自分のなりの考えをぶつけることなしにそんな興ざめな質問をしても笑って答えてはくれなかったかもしれない。だからそれが自分の言葉になるまで考えるしかない。(O・O)
土曜・日曜と寒かったのでビックリしましたが今日から暖かくなるというので軽装で来た。経産省前はひんやりした風が吹いていてジャンパーを着て丁度良いくらいの天気でした。しかし先週はまだ咲いていなかった経産省の桜も五分咲きぐらいになっていました。
桜が咲きはじめたのにね、渕上太郎さんのこと 3月24日(日)
最近はあまりない事なのだが、珍しく遅くまで起きていて朝寝坊をした。電話で起こされた。渕上さんはという女性からの電話だった。エつと思った。電話の向こうでは渕上さんの安否を尋ねていた。メールか何かで渕上さんの訃報を知ったのだろうが、あらためて確認したかったのかも知れない。僕は渕上さんが、と思ったが彼の死を確認はしていなかったので、待ってね、と言って友人に確認の電話を入れた。渕上さんは朝なくなった、と沈んだ声が返ってきた。早速、彼女に折り返しの電話を入れた。彼女は昨夜、桜の花を送ったの、間に合わなかったと言った、渕上さんは花見が好きだったよね。
渕上さんの容態が良くないという知らせは受けていたから、僕も花見くらいはと祈る思いでいた。そう言えば、渕上さんとは随分と花見をした。いろいろの思い出が湧き出すようにでてくるが、かつて僕らが熱くあった日々は花見どころではなかった。正確には花見の記憶はない。少年の日の花見の記憶はあるのに。渕上さんはどうだったのだろうか。多分、僕とあまり変わらなかったように推察する。僕らがあの熱き日から時を経て再び出会った時は、よく花見に出かけた。背広にネクタイをきちんと着け、野球帽をかぶり、片手にはビールを離さなかった渕上さんとはよく花見に出かけた。
あれは反戦ピースウォークで箱根から小田原まで歩いた時だった。反戦ウォークは沖縄から東京までだったが、君はこの区間の責任者だったように思う。箱根の旧道などを歩いたのだが、山々はちょうど桜のシーズンだった、いろいろの花に桜も混じっているという光景だったのだろうか、山道を歩きながら僕は少年の日の故郷の山々のことを話していた。君は僕の話にうなずきながら、道端のたんぽぽの話を披瀝してくれた。西欧たんぽぽに和製のたんぽぽが駆逐されるように追い詰められている様子をあれこれと話してくれた。その研究というか、造詣の深さに驚いた。僕には君がたんぽぽに興味をもっていることが不思議だったのだけれど。僕は少年の日にウサギを飼っていて、たんぽぽはウサギの好物だったからよくとった。けれどもたんぽぽには特別な思いいれはなかった。思い入れといえば、僕はたんぽぽよりもスミレだった。山の中で人知れずに咲いているスミレに出会った時の感動を僕は忘れられない。そして、時折、人知れず咲いていることを人の生のあり様になぞらえて考えたりする。渕上さんはどこかで僕がスミレに出会ったときのような感動をたんぽぽに感じたのだろうか。もうこれは推察する他ないのであるが、たんぽぽへの愛着にはそんなことがあったのだと思う。
渕上さんのたんぽぽへの愛着は僕以外も多くの人が知っていることである。その話を多くに人が聞いたはずだが、彼の愛着は何かを象徴しているようにも思えた。日本、あるいは日本的な自然8(?) そう言ってもいいのだろいうが、そう言ってしまうとちょっと違うようにも思う。これは彼の生活と共に身近にあるもの、その中で人々が大事にしてきたものへの愛であり、慈しみであったように思える。彼は義理や人情を大事にしてきた。それは古い道徳や掟としてではない。人々がその日常の中で大事にし、大切にしてきた関係や意識のことである。彼が真の民主主義ということと矛盾なくあるものというより、民主主義の実体をなすものといえる、そう思える。僕の勝手な想像ではあるが、的外れではないと思う。
僕が渕上さんとあったのは若い日だった。まだ、お互いに大学生だった時期だった。あの時は同じ組織に属してはいたのだろうが、思想というよりは、イデオロギーが僕らを微妙に隔てていた。あれから、多くの年月を経て再び出会ったときかつてのようなイデオロギーによる隔たりはなくなっていた。僕らは自分のよりどころについては、多くを語り合わなかったが、それは自然にわかるものだった。信頼ということとしてそれはあった。僕はこんな出会いがあろうとは想像もしていなかったことであるが、これはどこか奇跡に似ている。奇跡というよりは渕上さんという存在のもたらすものだったろうか。渕上さんがいなくなってその喪失感の中で痛感する。渕上さんのような人にはもうなかなか会えないのだと思う。
僕はテントを含めて彼の果たした事については、いつの日かゆっくりと語ることができると思う。それは時間が欲しい。ただ、今は、彼と共にあり得たことを感謝したい。渕上さんありがとう。 (三上 治)
経産省前での労働組合の行動に立ちあったりして 3月25日(月)
経産省前に来たらすでに労働組合の人達が街宣車に横断幕を張り付けていた。ビラを貰って読んだところ、電機・通信系列の会社は中国などの会社に追いまくられて業界再編を余儀なくされていて大会社が軒並み一万人のリストラを断行している最中で、ここに来た全労連系列の労働組合が経産省・厚労省・外務省・法務省への要請行動ーリストラされようとしている労働者の雇用と暮らしの安定を守るためーに回られているとのことであった。20分ほどで次の省庁へ移っていった。
このように大会社で働いているから定年まで安泰だなんていうことはなく、競争の激しい資本主義社会ではいつリストラされるか判らないのが労働者の運命である。労働組合にしっかり加入して一致団結して会社と対決していくことの原則が再確認される良い機会であると思います。この間に木曜・土曜担当のIkさんが来られました、今日の朝8時から官邸前で抗議行動が行われているのでそれに参加するので途中寄ってくださったとのこと。相変わらずの行動力である。1時頃官邸前に上っていかれた。
2時頃に勝爺がやって来た。月曜日は座り込み者が少ないので来てくれたようだ。3時半頃になって官邸前に出掛けて行かれた。勝爺が出掛けたあとテントニュース担当のOeさんが新しいニュースを持って来られた。これから河合さんの所にいかれるとのことで少しして行かれた。その他にも久しぶりに北区のKさん、帯状疱疹の後遺症が残るSさんなども来られたー短時間ではあるが。 4時半過ぎた頃レジェンド・Sさんが来られた。いつもの国会前抗議行動に参加されたあと官邸前の所に寄って来られたので遅くなったようでした。腰が疲れたとは言っていましたが、いつものセリフなので大丈夫でしょう。その証拠にお菓子を美味しそうに食べていましたから。
勝爺も同じ頃官邸前から戻って来られ最後まで付き合ってくれました。 時間が来たので皆で片付けをして事務所に帰りました。最後に。初め座り込んでいたときは暖かかったが2時を過ぎて太陽がビルに隠れると風も前より強く感じれとても寒い座り込みになりました。まだまだ風は冷たいので気を付けてください。(保)
渕上さんの地元の自治会会長さんよりたんぽぽの種を3月26日(火)
セッティングをしていると、右翼らしき2人がじっーと覗き込んでいる、何か御用ですかとお尋ねすると、ただ見ているだけと返答する。後ろには、公安らしき2人がぴったりとこの二人をマークして間もなく去っていった。
セットが終わった後に、Oさんが23日(土)に渕上さんの通夜に参列され、弔辞を述べて下さったルポライターの鎌田慧さんが、本日の東京新聞「本音のコラム」に「脱原発ひろば」の見出しで渕上さんの事が掲載されたというので、コンビニまで購入しに行かれた。
そこには、20日(水)7時過ぎに息を引き取った様子や、「原子力ムラの総本山」経産省の鼻先に設置されたテントのことや、強制撤去されても、今なお経産省の正門前で座り込みが連日続いている事、渕上さんがお棺に納まっていた様子、今後「原発社会からの脱却」をどのようにしていくのか等の事が語られていました。家に帰ると渕上さんの地元の、自治会・会長さんより葬儀に際しては大変お世話になりました。皆様によろしくお伝えくださいとの、丁寧なお手紙が届いており、中には淵上さんからの贈り物(形見・遺言)として、2018年10月05日に採取・2019年01月05日受取した、日本タンポポの貴重な種子が、同封されておりました。
是非大切に栽培して頂き、咲いたら種子を交換したいと、おしゃっておりました。もし栽培したいと、いう人がおりましたら山本までご連絡ください(数には限りがございますので一人数粒になると思います)また、残された奥様は子供もなくお一人なので、自自会では、しっかりとサポート致しますとの心強いお言葉を頂きました。(Y・R)
淵上太郎さん力強い演説に励まされて
転載 佐賀県唐津市 吉田恵子です。 淵上太郎さんのご冥福お祈り申し上げます。
御命日の1年前、2018年3月20日、佐賀地裁での 九州玄海訴訟玄海原発差し止め仮処分不当判決抗議集会で、 また3日後の23日、玄海原発正門前での3号機再稼働反対 集会で、淵上さんの力強い演説にとてもはげまされました。 私たちの自作のビラも玄海町にともに配っていただき とてもうれしかったです。淵上さんは、九電前の青柳さんたちのテント活動にも はげまされたと言っておられました。たんぽぽの研究にも熱心で、違いや分布の話もされました。放射性物質の拡散とも関係がある気がしました。 玄海3,4号機を再稼働した九電は、玄海3号機の 使用済み燃料プールをリラッキングして、そこに使用済 みMOXも詰め込む、乾式貯蔵施設も玄海原発敷地内に 設置すると言っています。 使用済みMOXは冷えにくくて、使用済みウランと同じ 熱量になるまでに100年かかるそうですが、容器は大丈夫でしょうか? 使用済みウランは15年で乾式貯蔵施設に入れられるそう ですが、使用済みMOXは、100年たってもその熱量まで 下がらない。使用済みMOXの処理は未定。 六ケ所再処理工場も、1日で原発1年分の放射性物質 を出すのなら、動かしてはいけない。 乾式貯蔵も落下物破壊の危険性もあるのでは? 玄海原発1.2号機廃炉に伴う放射性廃棄物の安全な管理 のめどもたっていません。
淵上さんの心を受け継ぎ、放射能から命を守る取り組みを 続けていきます。 原子力ロビーによる放射線被曝の押付けを拒否しよう! その11 Ivanov氏とYamashita氏による甲状腺がん検査のスクリーニング効果の偽り ~杉原千文「ロシアから発信される甲状腺がんの国際的な評価」(岩波科学3月号)から~ 2019年03月24日 木村雅英 旧ソ連地域の国際ジャーナリスト杉原千文さんが岩波科学3月号の「科学通信」に書いた「ロシアから発信される甲状腺がんの国際的な評価」に驚かされた。国際原子力ロビーが怪しげな論文で「過剰な治療を招くから甲状腺検査はしないほうがよい」という評価を世界に与えようとしているのだ。 S.Yamashita(山下俊一)氏とV.Ivanov氏(ロシア放射線号簿科学委員会委員長)他がロシアの学術誌『放射線とリスク』誌25巻2号(2016年)に論文「甲状腺がん:チェルノブイリの教訓とその教訓の福島における状況への適用」を掲載した。査読付きの論文ではあるが、15ページのその論文には次の矛盾がある。
<ロシアのチェルノブイリ被災地で1991~2013年までに生じたのと同等のスクリーニング効果が、福島県で事故直後の2011年~2013年に行われた一巡目検査でも生じる、という推測だ。>
<なぜ、チェルノブイリ被災地で事故6年後以降に生じたとされるスクリーニング効果係数を、事故直後1~3年間(著者たちの主張では5年の潜伏期間中であるはず)の福島県における検査データに当てはめるのか。ここにそもそも方法論上の矛盾がある。>
<この論文が扱っている日本側データの信憑性にも疑問符がつく。…110件という甲状腺がん件数を示した。福島県県民健康調査検討委員会が発表した「中間取りまとめ」では甲状腺癌の「悪性および悪性疑い」は「113件」と示されているのに、論文執筆時点での最新(2か月前)の日本データにアクセスしていない。>
<無理な推計をしてでも「スクリーニング効果」の具体的数字を示そうとする、強い目的意識が見える。>
<なぜ山下氏はロシア語で、ロシアの学術誌に発表するのか。 そもそもこのロシア語論文の発表は、日本国内へのアピールのためではないのだ。国際的な専門家コミュニティのなかで、一定の福島評価を根づかせるためのものであると考えたほうがいい。>
<日本人の目の届かないところで福島第一原発事故の影響についての評価は決められていく。…、そして、国外で決められた評価は、日本で開催される国際専門家会議などを通じて、逆輸入されることになる。>
<すでに、チェルノブイリ被災国の専門家が「福島で見つかった甲状腺がんは過剰診断の結果」とする説を、自国で広める動きがある。>
<このように「過剰な治療(手術など)を招くから甲状腺検査はしないほうがよい」という評価が、チェルノブイリ被災国の専門家の間で、浸透しつつある。> なお、ビクトル・イワノフ氏はメッセージ「福島県民の皆さまへ」(仮訳:山下俊一、2014年1月14日、首相官邸https://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g59.html)で「(1)放射線誘発小児甲状腺癌の潜伏期は5年以上である。……」と決めつけている。 科学をまとい安倍政権と結託する国際原子力ロビーに騙されてはいけない。
転載 「上関原発つくらせない」山口、反対集会に1600人…ほか
メルマガ読者からの原発等情報3つ(抜粋) 黒木和也 (宮崎県在住)
1.「上関原発つくらせない」山口、反対集会に1600人 3/23(土)12:12配信「共同通信」 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190323-00000062-kyodonews-soci 2.北海道知事選目前。北海道大停電、最終報告書から読み解く 「泊発電所待望論」の誤り 3/25(月)8:32配信「HARBOR BUSINESS Online」 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190325-00188716-hbolz-soci 3.脱原発団体が経団連に申入書「私たちは感情的でない。 事実を冷静に分析している」 3/25(月)22:42配信「朝日新聞デジタル」 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190325-00000089-asahi-soci 転載 メルマガ読者からのイベント案内 (お問い合わせは主催者へ) ◆3/30(土)さようなら原発 小出裕章講演会 「フクシマ事故8年-原子力を廃絶させる道」 日 時:3月30日(土)開演:14時(開場13時30分)資料代:800円 会 場:全電通ホール(席数420名) (千代田区神田駿河台3-6) 講 師:小出裕章さん (元京大原子炉実験所助教) 現地からの報告:東電刑事裁判報告/住宅避難者の現場から 主 催:さようなら原発1000万人アクション実行委員会 TEL 03-5289-8224 東電福島第一原発事故から8年。原子力をめぐる環境は大きく変わった。 安倍政権の成長戦略の柱であった原発輸出はとん挫し、廃炉決定・検討 中の原発は23基。もはや原発は「廃炉の時代」に入っている。 「もんじゅ」も廃炉となり、核燃料サイクルの意義は失われ、原子力政策 は行き詰まり、未来がないことは明らかだ。 「さようなら原発講演会」では元京大原子炉実験所の小出裕章さんを 招き原子力の問題点とその未来を語って頂きます。
3月29日(金)経産省前抗議行動 17時~18時
官邸前抗議行動(首都圏反原連)は18時30分~
3月31日(日)昼~午後3時 渕上太郎さん追悼川柳句会 渕上太郎さんを追悼し、経産省前座り込み行動の中、川柳句会をやります。つくれる方は当日渕上さんへの「追悼句」を一句持ってきてください。
3月31日(日)午後3時半頃~ 渕上太郎追悼花見会
川柳句会終了後、日比谷公園かもめ広場付近(雨天の場合は事務所)、参加費500円+一品持ち寄りの花見を行います。この花見は「渕上太郎さん追悼花見会」としてやります。花の下で渕上さんを偲び、思い出を語り合う花見にしたいと思います。渕上さんはいつも花見にきていました。片時もビールを手放さなかった渕上さんでしたが、彼も花見は好きでした。
★追悼渕上太郎さん
◆ 渕上太郎さん脱原発を粘りぬき
◆ 権力の牙城に一矢太郎逝く
◆ 渕上太郎春風となり天へ行く
(乱鬼龍)
4月3日(水)「アベ政治を許さない」ポスターを掲げる日
13時:国会正門前でも行われます