テント日誌3月8日…「3・11」も近くなって

経産省前テントひろば1641日

「3・11」も近くなって…

過日、連れ合いと珍しく昼間から一緒にテレビをみていた、「3・11」に生き残った親子の物語であった。なにげなしに見はじめたのだが、最後まで目をはなせなかった。連れ合いの目が幾分か赤くなっていたが、自分もそうだったのかもしれない。「3・11」が近づいてきて、テレビや新聞ではこの種の報道が多くなるのだろう。テントの周辺でもいろいろのことが行われる。テントではシンプルであるが、経産省と東電に対する抗議というか、意思表示が予定されている。自分の中で「3・11」前後のことや、それについて考えたことを思い出すこともおおくなった。

「あれから三年か」というのは大きな事件に対する区切りも含めた感慨としてよく使われる言葉だが、「あれから五年か」というのはこのようなニュアンスでは口にできない。確かに「3・11」から5年目を迎えるのだが、何かの区切りがついたというような感慨は持てないからである。「3・11」は福島原発事故に象徴されるように現在も続いている事柄であるのだ。終わった出来事でも、過去の出来事でもないのである。

歳月は恐ろしいところがあって「3・11」も段々と隔てられたような存在になる。メモリアル風の報道や記事にでも接さなければなかなか思い浮かばない面がでてくるのである。「3・11」から受けた被災によって、その度合いによっておおきな違いが存在するのだろうが、一般的にはそれは隔てられたものになって行くところが存在するのだ。「3・11」への関心(その衝動)は消えさったわけではないが、間接化してこころに残るにしても、直接的には消えたようになっていく面があるのである。これは人間の心的なあり方に根差すもので酷いことだが、人間的な救いになっているようなところもある。これは僕らが親しい人の死に遭遇した時の様相に似ている。衝撃をもってやってきて、死んだ人について、その関係についてから、人間にとって死とはなにか、存在とは何かを考えることを強いる。意識にやってくるこの強い衝動はやがて表面からはとう遠去かり、何かの折に思い出すというようになっていく。どんなに強い衝動を持ってやってきても、その意識は下意識のようになって行って、何かの契機で再生されるのである。死者との関係(距離)によってこの度合いやあらわれは異なるにしてもこういう推移をたどるのである。

だから、僕らはメモリアル風なことで、それを思い起こすのだし、それによって意識下において保存されていたものは、再生される。そして、僕らは死者と対話をするように事件とも対話をするのだ。僕もまた、3月11日が近づく日々の中で報道や記事に接しながら、「3・11」の事を思い出し、そのことについて現在もうまく考えきれないことを含めて考えるのだが、また、そうしたい。

東日本大震災がもたらしたもの、それを僕はいまだにうまく理解できないでいるところがある。自然が存在せしめているもの、その威力を通して人間について、自然について、その関係について考える契機としてそれがやってきたことは疑いない。それは死を通して人間を考えることに似ているが、それはまだ言葉にならない言葉としてある。これを根底にしながら、もう一つ原発(放射能9についての考えを強いられたこともある。

東日本大震災がこれまでの大震災(例えば神戸大震災)と決定的に違うとことはそのうちに人災というべき原発震災(原発事故)を抱えているということであった。これは東日本大震災というときに岩手や宮城と福島の違いとして意識されてきた。これは、「3・11」からはや五年、一体、復興はどうなっているのかと考える場合にも関係することだ、時折、岩手県や宮城県地方の復興の様子が伝えられるが、これは予想よりも困難であり、復興のスピードは遅いと思うことはあってもまだ、復興のイメージは描き得るように思う。これは被災から距離のある人間の思うことだといわれれば、そうだという他ないが、そのイメージは描けるように思える。

大震災で岩手も宮城も福島も自然の力(災害)によって地域住民にとって一つのものであった自然環境の喪失に見舞われたことは疑いない。自然環境は単ある自然でも、土地でも海でもない。そこには住民地域の育んできた文化(生活の生み出す様式としての文化)も含まれてある。俗に言う里山・里海でもいいわけだが、その喪失を経験したように推察できる。これは共通のことといえるが、そこに放射能(汚染)が介在したかによって大きく異なることも存するように思う。

岩手や宮城では里山や里海は困難であっても再生可能であるし、それを復興のイメージに組み込むことはまだ可能ではと推察できる。被災された人たちから勝手な推察と言われるかもしれないが、そう思えるのだ、放射能汚染に晒された福島ではそれは困難であると思える。放射能汚染をどのように解決していくのかが、考えられないのである。復旧の柱として福島で行われているのは放射能汚染の除去であるが、これで放射能汚染が解決するとも、以前の状態の戻るとも誰も思っていないことである。

僕らはそれをどう解決して行くことができるのか、その道を考えられないままに佇んでいる状態にある。少なくとも目を逸らすことができない現実がそこにあることを知っている。誰がやってもいいことだが、放射能汚染の問題を解決しなければならないのである。結局のところこの問題の解決策も方法もないまま、自然な状態に放置し、除染(放射能の一時的な移動)でごまかしているのが政府や当局のやり方である。そして、許せないことは原発事故の起こしたことに対する解決(その事故はまだ終わっていないで継続中である)の未通しもないまま、他の原発の再稼働を進めることである。これは常識というか、普通の神経では考えられないことである。福島の地域住民が信じられないとつぶやくのは当然すぎる程当然のことである。東日本大震災からの復旧や復興には以前の震災にはなかった条件があり、それに政府や官僚は誠実に向かい合うべきである。彼らは再稼働のために、その現実に向かい会うことを避けているのであり、許されざることである。

「3・11」が近づきいろいろの催しもあるが、僕らはこれらの動き中で、「3・11」が何であったか、そこからの復旧や復興とは何かを考える契機が与えられているのだと思う。テントの前に座りながら、時折、やってくる春の風にあたりながら、考えるのもいいと思う。花見もよいけれど、少しはペシミックになって考え事をするのも悪くはあるまい。(三上治)

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毎週金曜日は5時から経産省前抗議行動(テントひろば主催)

官邸前抗議行動6時30分からもあります
★3.11経産省→東電包囲(「3・11」5周年行動

反原発美術館からのお知らせ 3月12日(土)の催し

(3/12(土)12時から(開始時間が1時間早まりました!)
A3BC:反戦・反核・版画コレクティブによるトーク&ディスカッション

テーマ「私/美術/社会(原発)はどう関わっていけるのか?」
高校生も参加予定。
どなたも参加できます。
 13:30ごろから

 木版画ワークショップ(12月に開催したのと同じ内容。木版画が初めての方でも、手ぶらで参加出来ますのでぜひ!)  終了予定:夜