テント日誌3月8日< テント外伝・・・4>経産省前テントひろば910日目…商業用原発停止180日目

まず、個人的な話で恐縮であるが、昨日総合病院で定期検査を行った。その際に昨年6月末に大飯原発再稼働阻止現地闘争に参加して前立腺炎症に罹患したが、それが再発しているのが確認された。糖尿病との合併症の可能性も指摘され、今後様子を見ながら治療すると言うことだ。テントで70歳代の方や80歳代の方が頑張っておられるのに、何とも情けないことだ。さらに、私は事情があり今は一人暮らしであるが、食事の際に喉を詰まらせる「嚥下障害」が度々発生する。ゆっくりと飲み込めば全く問題はないのだが、急いで飲み込むと喉が詰まり呼吸ができなくなる。そして、3分ぐらいで窒息死に至る。私の友人がそれで何人も亡くなっている。私の場合、そういう状態になると水を飲むか、吐き出すかの対応をしているが、老人性症状の特徴の一つとされるこのような傾向が表れてきたのも情けなさに比重がかかる。

さて、本題に入る。先の都知事選で細川元首相が小泉元首相の応援を受けて立候補したが、舛添に敗れた。そして、宇都宮候補と2位、3位争いとなった。私は細川候補を支持した。その理由は【外伝・・・3】で述べたが、今もその姿勢は変わらない。原発ゼロを前面に掲げて保守基盤の一部から立候補した意義は大きいと思う。自公政権の基盤層は頑強であり、地域の町内会、創価学会の地区と中央とのパイプは太く、これを支える経済界、保守労組などの組織の現実的存在も無視できない。いわゆる既得権や権益を守る構造が出来上がっており、それが今日的には「原発マフィア・原子力ムラ」の構造として組織され、再稼働の推進力となっていることは言うまでもないだろう。この、頑強な基盤を突き崩す意味で細川候補の存在は、原発ゼロと言うスローガンに体現されており、安倍政権と真っ向から対決する構造となった。

断っておくが私は階級闘争を否定するわけでもなく、マルクス主義・レーニン主義を否定もしない。その思想は現在なお有効な思想であり、政治的な存在であると思う。しかし、現実政治の展開、取り分けブルジョア民主主義の枠内での選挙戦などに従来の「保守・革新」と言う色分けではダメだと10年ぐらい前から思っていた。これは選挙戦など意味がないというのではなく、選挙戦において限られた枠内ではあるが今回の都知事選のように「問題が一点に集約される」場合において、保守側から「問題を一点に絞る」運動が提起されたなら、これは、保守勢力の基盤層を内部から解体する運動であると捉えていた。今回の都知事選において、敗北したとは言えこの兆候が顕在化したのは良かったと総括しているのだ。このことは決定的に重要であり、今後の反原発運動における展望の起点とも思えるのだ。

無論、細川・小泉連合に無条件には迎合できないし、何時この姿勢が崩壊するのか、と言う危うさも感じている。だが、レーニンはこのような問題や戦略について次のような言葉を発している。
「力のまさっている敵にうち勝つことは最大の努力をはらうばあいにはじめてできることであり、かならず、もっとも綿密に、注意深く、慎重に、たくみに、たとえどんなに小さなものであろうと敵のあいだのあらゆる『ひび』を利開し、各国のブルジョアジーのあいだや、個々の国内のブルジョアジーのいろいろなグループまたは種類のあいだのあらゆる利害の対立を利用し、また大衆的な同盟者を、よしんば一時的な、動揺的な、ふたしかな、たよりにならない、条件的な同盟者でも、手に入れる可能性を、それがどんなに小さいものであろうと、すベて利用するばあいにはじめてできることである」「政治権力を獲得するためには――すべての必要な実際上の妥協、迂回、協調、ジグザグ、退却、等々をおこなう能力を、共産主義の思想にたいするもっとも厳格な献身と結合しなければならない(共産主義における左翼「空論主義」)。
これは、レーニンが革命党の運動の展開の在り方を示した言葉だが、革命党でもなくても既存政治勢力との闘いにおいて踏まえておくべき視点だと思う。この運動方針は臨機応変に、例えば安倍政権との原発を巡る死活的な闘いにおいて、敵の『ひび』を大きくし、そこから政治的流動化を意図的に作り上げるという壮大な運動の展望を我々自身が持たねばならない、と言うことだ。しかし、この国における政治的運動はこのようなレーニンの提起をまともに理解しえてこなかった。その意味では政治的セクト主義のカテゴリーから抜け出すことができず、運動的には「保守的な体質」として固定化されてきたと思う。そのような自らが作り上げてきたこの負的な呪縛から私は殻を脱ぎ、もっと有効に政治的遊撃戦とも言うべき運動スタイルを持たねば、敵の岩盤を突き崩すことにはならないと思う。そのような我々の運動に対して勝利的な展望を見いだすことは、あらゆる戦後的なるものが解体の危機にある現在こそ決定的な時期であるとも思う。この兆候が今回の都知事選で細川・小泉連合だと思うのだ。 (201438山村貴輝)