テント日誌3/24日(日)経産省前テントひろば561日目~桜が満開となったこの日、日比谷野音では「原発被災者と支援者の集い」が行われ、テントへは有難く無い訪問者が~ 

この日の東京は、花曇り。前日までとは違い少し肌寒く感じるくらいの陽気である。天気予報では、夜には一部で雨が降るという。先週の金曜日の夜に規制庁の抗議へ行った際に赤坂一丁目~六本木一丁目に続く桜並木は、満開を迎えており、多くの人達が、写真を撮影していたが、満開の桜の見ごろも今日までのようだ。

14時からの「原発被災者と支援者の集い」のデモに間に合うように新橋へ向かっていると、テントのスタッフのTさんから連絡が入った。右翼団体の街宣車がテントへやって来て、拡声器を使って、テントへ罵声を浴びせて行ったという事だった。日比谷野音に行く前にテントに寄って確認したところ、以前テントに来た事がある全国組織の右翼団体の街宣車が7台くらいテントへやってきて、内2台が歩道に乗り上げ、テントの前まで車をつけたということだった。完全に道交法違反。それだけでなく、たいへん危険な行為である。警察は断固同じ様な行為を許さないで欲しい。

デモの出発時間が迫って来たので、テントにいらした方に後をお願いし、トラメガとジャンべ(アフリカの太鼓)を持って、日比谷野音に向かった。途中、集会に参加されて、テントへ向かう方とすれ違ったのだが、デモは中止になって、代わりに参加者との質疑応答が行われる事になったという事だった。デモに不慣れな方達が多いと思って、盛り上げるために準備してきたので、ちょっと残念。野音の中に入ると、ちょうど、集会は休憩中だったが、参加者の方は、会場の前半分くらいにいらっしゃる程度、わざわざ福島から被災者の方が大型バスが2台でいらしたにも関わらず、東京側で参加した支援者の数が少ないのは非常に残念である。休憩が終わってからも福島からいらした様々な立場から被災者の方達の話が続いた。「まだ、事故が終息していない中、安易に戻そうという政府の対応は無責任だ。政治家が住めばいい。」「保証金をもらって酒を飲んだり、パチンコばかりしていると言うが、仮設に引きこもって鬱になるくらいなら、酒を飲んだり、パチンコをしたりした方がいい。」原発事故により、被害を受け、生活の糧、生きがいを奪われた方の切実な声である。集会が終わり、野音で一緒になったAさんと一緒に野音の裏に停めてあった福島の方達が乗ったバスをお見送りした。わざわざ東京まで訴えにいらして、集会後どこにも寄らず、バスでトンボ帰りである。見送りの人数はその場にいた数人程度しかいなかったが、もっと多くの人数で見送り、勇気づけてあげたかった。6月に原発被災者の方が参加される集会とデモが開催されるという事なので、テントとして、全面的にバックアップ出来ればと思う。

見送りを済ませ、西幸門から外に出て、日比谷公園を後にテントの方へ向かおうとしたところ、テントと反対側の東電方面から、デモ隊のシュプレヒコールが聞こえて来た。よく見ると、内幸町の交差点の先に日章旗をたくさん掲げたデモ隊の姿が見えた。そう言えば、この日は、日比谷公園をゴールとした右系の「日教組」を批判するデモが予定されていた。急いで、テントへ戻ると、テントのスタッフの方にも状況が伝わっていて、テントの外に出していたパイプ椅子を片付けられていた。本当に歓迎出来ないお客さんが多い一日だ。テントに来ていないスタッフの方に状況を連絡し、デモ後に集会が行われている日比谷公園の中幸門まで引き返してみた。集会は、その場で解散したようで、まとまってテントへ来る可能性は低そうだったので、テントへ戻ると、デモに参加たと思われるテントによく来る男性が来て、いつもの通りトラメガを使って罵声を浴びせ、帰って行ったという事だった。その後、暫く警戒体制をひいていたが、テントへ嫌がらせに訪れる可能性が少なかくなったので、宿泊当番の準備をするために一度帰宅する事にした。日比谷野音で開催されるに参加した後、当番まで時間があるので、千鳥ヶ淵の通り抜けに行ってみようと思っていたが、残念ながら、行けなくなってしまった。泊まり番の時に時間を作って、外務省前の桜並木と日比谷公園の桜を見に行こうと思う。  (Toku-san)

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