経産省前テントひろば1316日商業用原発停止580日
金曜日のこと 高浜原発再稼働差し止め仮処分決定報告集会から
久しぶりに晴天で暖かくホッとする。今日は色々な事があった。
私はテントに寄って官邸前へ
「安倍首相は沖縄の声を聞け!
翁長さん、がんばれ!緊急官邸前行動」に参加してまたテントに戻る。
衆議院第二議員会館では
「高浜原発3号、4号機再稼働差し止め仮処分決定 【記者会見・緊急報告集
会】」があった。テントの人も何人かそちらに参加したが、私はテントに残った。
報告会の様子は以下のサイトで見られます。
https://www.youtube.com/watch?v=xoNLgUzqqbo
夕方から黒い雲がではじめて時々雨が落ちてきた。
官邸前抗議行動のための受付の机を出すか悩む。
雲が切れたのを見ていつものように受付を始めた。
何人かの人たちが関電前行動に出かける。今日は行動が重なっている
7時少し前にまた雨が激しく振り出したので撤退を余儀なくされた。
(I・K)
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テントでの雑談は楽しい…
週末には何かしらの催しがあって、テントは空きになりやすい。機会を作ってはテントに出かけようとは思うが、それでも雑用はいろいろとあって、なかなか足が運べない。テントに行くのは時間帯が遅くなってしまうのであるが、テントに行けば雑談になる。それは楽しい。一日、誰とも口をきかないで(連れ合いを除けばだが)過ごすことをあるのだから、もっともなことだろうと思う。
時折、仕事から離れた面々(僕の同年代は大体俗にリタイア組だ)はどんな風に日常を過ごしているのだろうと思うことがある。高齢化社会という新しい経験を強いられ、日常の過ごし方もそうなのだろう思うが、よく見えないところも多い。孤立してというか、人との直接的なつながりをもたなくても、日常が過ごせる装置が現在の社会はよくできている。これは諸個人が孤立しても生きやすくなっていると同時に、それだけ、逆につながりが持ちにくいことにもなっているのだろう。現在の社会の本質的の矛盾である。人とのつながりは生の本来的な欲求だが、関係の装置である現在の構造はそれを遠ざけて生きられるようにしている。それを精神的な面のふくめて強いているところがある。自然から遠のいていく人間社会のもたらすものでもある。
むかし、運動をしていると「連帯と孤立」ということが、よく言われた。「連帯とか孤立」の基盤である生のありかたが当時と現在とでは大きく変わっているのだし、そのことが運動のありかたも変えているのだと思う。ここは分からないところでよく考えるところである。
現在の闘いというか、運動を困難にしていることと、僕らの日常とは深くつながっているのではないのか、ということをよく考える。これはテントができたときに「つながろう」という声が出てきていたのも関係することだが、絶えずつながりを求めること、それを意識していることが大事なのであろうと思う。つながりは求めなければできないことであり、僕らの日常への抗い(抵抗)を含んでいるのだと思う。希望ということがあるとすれば、つながりを求める気持ちがあることだし、そしてそのことが権力や体制に抗する最大の力である。雑談が楽しい、誰かに逢いたいということがある限りテントは大丈夫だと思うが、そういうことがまた、テントを支えてもいるのだと思う。
巷では統一地方選挙の後半がはじまっている。こちらは前半と違って幾分かは盛り上がるのだろうか。身近な人が立候補し。働きかけられることもあって前半とは違うのだろう思うこともあるが、人々の政治への不信としての無関心は変わらないのだろうと思う。これは深まりこそすれ簡単に変わらない。こうした中で権力の側の所業には腹立たしいことが多い。自民とのNHKとテレビ朝日に対する事情聴取がいかに犯罪的なものかはいうまでもないことだ。
こうした権力犯罪的な行為に報道機関が抗うのは難しいことはわかるが、こういうレベルに降りてくる権力の動きに注目しよう。政府(国家権力)が赤紙一枚で兵を召集しえたことの背後には企業(社会的機関)や地方団体、家族のなかでの、つまりは社会的場面での権力を支える関係が構築されていたのだということを忘れないでおきたい。こうした社会的な機関や場面での権力との闘いはとても厳しいところがある。孤立を強いられるからだ。これは人とのつながりの創りにくい現在の社会では特にそうだ。自己決定の自己規制が権力に対応する協力だが、孤立して生の状態が深まる現在ではそうなりがちだ。政治的抵抗とは違う社会的抵抗はどんな風にかつてはあったか。現在の難しさと、可能な道はどこにあるか。
分断と孤立を強いられがちなこうした社会的な場面の闘いについては、よくよく考えて様々の闘いがあることを含めて支えたい。連帯したい。この場合に政治的な立場で批判には留意がいる。政治的な善意も含めた批判や叱咤は社会的場面で権力に抗するには政治的動きとは違う条件がある。それを無視してはならない。権力の狙いは標的の孤立と、周辺の自己規制という沈黙とそれによる分断であるのだから、何が批判さるべきかよくよく考えて社会の場面で権力に闘っている人をきちんと擁護したい。擁護とはどういうことかを考えたい。
沖縄の翁長知事と安倍首相の会談もそうである。安倍には論理もなければ、主張の根拠もない。権力を持つ国家は問答無用でやるという態度をしめしているだけではないか。民主主義も法治もどこへいったのか。彼らにそれは都合のいい道具(言葉)に過ぎない。沖縄の地域住民にきちんとつながっていくことは難しいことだが、僕らは彼らから勇気づけられるばかりだが、彼らを勇気づけることはできないか。そんなことを考えている(三上治)
お知らせ(再稼働阻止全国ネッとワークから)
川内原発の再稼働審査を糾弾する!
原子力規制委員会院内ヒアリング
~福井地裁が指摘「新規制基準は合理性を欠く」~
日時:2015年4月21日(火)13時~17時
場所:参議院議員会館講堂(1階):東京メトロ 国会議事堂駅、永田町駅、溜池山王駅から徒歩
追及:山崎久隆さん(たんぽぽ舎)、広瀬隆さん、後藤政志さん
内容:Ⅰ九電工事計画資料から川内原発審査を問う
「耐震偽装」の原発は情報も隠ぺい
基準地震動でさえECCSが破壊される恐れ
蒸気発生器から冷却材喪失の危険性
Ⅱテロと航空機事故への対策について
Ⅲ4.14福井地裁決定を受けて川内原発の審査を問う
資料代:500円