テント日誌4月22日…テント前に巨大看板建つ/川内原発再稼働差す止め裁判は却下

経産省前テントひろば1320業用原発停止584日

―テント前に巨大看板建つー

流れ着いた竹棒で作った「再稼働阻止」の巨大看板。作業はテントメンバー4人に加え、現地薩摩川内市、日置市の住民など30人程の応援のもと2時間で終了。その後浜ノ茶屋で昼食を兼ね、「 再稼働阻止を如何に戦うか」をテーマに懇談した。        脱原発川内テント(別名、久見崎テント)

久し振りの青空だ。というのに鹿児島地裁の前田裁判長は、川内原発再稼働差し止めの仮処分申請に却下の決定を下した。  一言でいえば迷判決。九電側の主張に「合理性が無いとは言えない」「一応の合理性があり」のオンパレードで、九電の守護神かの有り様だ。しかし、弁護団は意気軒昂だ。なぜか?  判決文は首尾一貫を欠き、論理と判断の矛盾が随所にある。高裁に即時抗告し闘い抜くと語った。

脱原発川内テント (別名/久見崎テント)

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川内原発再稼働差す止め裁判は却下

4月22日(水)に鹿児島地裁は九州電力川内原発1・2号機の再稼働停止の仮処分を求めた住民の訴え却下した。今月14日に福井地裁が関西電力の高浜原発の運転を禁じる判決を出したのとは対照的に住民の訴えを退けた。この判決は九州電力側の主張にそったものであり、残念というほかない。日本の裁判所が政府側の主張とは違った判決を出すことはこれまでの裁判所のあり方からはなかなか困難のことと予測され、今回もそうであったが、他方で福井地裁の例もあることだから、僕らは一つ一つの動きを見て行くほかない。3・11以降に裁判所は以前と同じような動きをとれなくってきているのも事実であり、その動きに対応していくしかない。川内原発の真下の砂浜のテントでは上記のような看板が立てられ、再稼働に対する闘いの準備に余念がない。5月には海亀が産卵に上陸するということも伝えられているが、川内テントのことを見守って行きたい。時間的に余裕のある方、九州の方に出かける機会のある方は是非ともテントを訪ねて欲しい。また、カンパを寄せてもらいたい。

統一地方選挙の後半戦を迎えているが、選挙の盛り上がりはいま一つである。特別に期待することもないが、やはりなんとなく腹立たしい。こうした中で安倍首相が70年談話に「略やお詫び」の言葉を入れなくていいと語ったということが漏れ聞こえてくる。「村山談話」と踏襲するのだから同じことを繰り返す必要がないということらしい。もっともらしく聞こえるから不思議だが、ちょいと待てといいたい。安倍首相があの戦争について「侵略」と定義することに難色をしましていること、あの戦争の評価において内外から不信の根を持って見られていることがある。よく知られたことで、そうであれば、彼が「侵略やお詫び」を取り上げないことが、それへの抵抗であり、別の表現をめざしていることがすぐにわかる。将来、村山談話と別解釈の余地を残すものであり、こういうことを許してはならない。「戦時期」という言葉があるが、これは普通二通りの意味がある。1941年の太平洋戦争以降という場合と、1931年の満州事変以降という場合とである。いわゆる15年戦争である。僕らは1931年の満州事変以降の戦争が当たり前の事と思っているが、これは鶴見俊輔によって提案されて広まったもので、日本は公式には太平洋戦争以前の中国大陸の戦争は事変として扱ってきたのである。このことは誰の目にも明瞭な大陸での侵略戦争を曖昧にすることに関わり、歴史認識において批判される遠因となってきた。戦後70年の今、あの戦争についてはっきりとした考えを確認することは重要事であり、機会あればそれから逃れようとする安倍首相の態度を注視していなければばらない。

物事を隠したり、曖昧にしたりすることはアジア型の政治権力が好んで取る方法だ。密約や事実の隠ぺい、曖昧な処置は伝統的な権力のとる道である。ここには、法などが上級者の存在に結びつき、その解釈権も独占してあることに関係している。権力に異議申し立てする部分にとって法は味方しないという伝統があるのだ。僕らは近代的な理念にごまかされがちだが、背後に非代的で、伝統的な政治権力の様式があることも見抜かなければならない。

村上春樹の言うように「中国大陸」での戦争は侵略そのものであり、ごまかしようの事実であって謝りつづけるべきことだ。こちらでもういいと判断すべきことではない。自粛や自己規制が支配の様式であり、声を上げ続けることが重要なことのように、支配権力が曖昧にことを済まそうとし隠し立てすることに対抗し続けるべきだ。 (三上治)