テント日誌4月30日…福島原発告訴団の行動/安倍のアメリカ議会での演説

経産省前テントひろば1328日商業用原発停止592日

福島原発告訴団の行動に参加した

4月最後の日となってしまった。
時間の過ぎるのが早く感じられるこの頃です。
今日は午前中に東電株主訴訟代17回口頭弁論があり、
12時から福島原発告訴団「東京検察審査会 申し立て&激励行動」があった。
福島の方達も東電株主裁判を傍聴したそうです。
皆が一緒に闘うのは素晴らしい事です。

私はSさんに留守番を頼んでOさんと地裁前に行った。
報道陣のカメラが詰め掛けていたのでびっくりしたが、彼らはオオム裁判の取材である事がわかり残念!

午後からは参議院議員会館で株主裁判の報告会と勉強会
田中三彦さんのお話があったけれど、私たちはテントに残る。
今日は行動に参加した人たちが、テントに来て下さりいつもより賑やかだった。
報告会の様子など三輪さんが録画して下さったので以下のサイトで見られます。
(I・K)
https://www.youtube.com/watch?v=KtqRiskCt1w

https://www.youtube.com/watch?v=j73wFWk3arg
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安倍のアメリカ議会での演説が話題になった

いつの間にか巷は連休に入ったようだ。僕も昨日は連れ合いと近郊にでかけた。新緑が綺麗で気持ちも洗われるようだった。休みの日はあまり知られていないといっても、B級かC級ノのところがいいのだろうか。混み具合ということになるのだが、そんな穴場も少ないのだろう。テント周辺はある意味で穴場なのだがそう思うのは僕だけだろうか。深夜まで起きていても見ようとしていた大リ―グの野球だが、田中将大が故障と知ってやめてしまった。結構、ミー,ハーなのだが、安倍のアメリカ議会での演説を聞くよりはこちらの方が気利いている。

ヘミングウエイの小説にさりげなくでてくるように野球はアメリカ文化であり、そんな野球が僕は好きだ。でも一方で、アフガニスタンやイラクに戦争をするアメリカに違和感や批判がある。アメリカにはとても好ましく思えるところと、嫌悪するところがあり、その複雑さに考え込まされるところが多い。多分、自由で文化的なアメリカと強権的で非民主的なアメリカの共存ということに僕らが戸惑を感じてきたのだと思う。

テント(これは30日のことだが)では安倍のアメリカ議会でも演説のことが話題になった。僕はその一部をテレビで見、全文は新聞で読んだ。安倍首相は右翼であるとの批判を気にして腐心をしたのだろうが、彼の本質がよく出ていて僕には批判点も明瞭であると思えた。冒頭のところで祖父の岸信介の1957年の演説文が出てくる。

「日本が、世界の自由主義国家と連携しているのも、民主主義も原則と理想を確信しているからであります」(日経新聞)。そして、次にアメリカでの民主主義との出会いを語る。このところが問題である。本当に安倍首相は「自由や民主主義」のことが理解しているのかね、と思える。アメリカの自由と民主主義は相対的に自由や民主主義を実現している側面と、対抗的な理念(対社会あるいは対ファシズム)の側面がある。多分、僕らがアメリカの帝国主義的な側面への批判にもかかわらず、アメリカが好きでどこか信頼してきたのは相対的にせよ自由や民主主義の実現していることであった。(対抗的な理念としてのアメリカの自由や民主主義は反共イデオロギーに過ぎず、それは批判の対象であった)

安倍の祖父の岸信介はこの演説にあるようにアメリカの対抗理念としての自由や民主主義を評価し、それを政治的に利用しながら、他方で日本の伝統的な国家理念を評価するところを持っていた。ナショナリストとしての面だ。この二重性が共にあわわれたのは60年安保だった。安倍はアメリカの自由や民主主義を自己の権威づけのために利用しながら、背後で国家主義的な政策を展開している。ある意味で祖父と同じことをやっている。岸はアメリカとの同盟を強調しながら、アメリカと対立する国家主義的な展開を目論んでいた。岸は日本の国家主権の恢復(国家防衛力の恢復、究極は核武装と憲法改正)を求めていた。国家主義的な理念の恢復にと言ってもいい。安倍はそれを今回は表面から隠しているが、それは彼が国内政治としてやっていることをみれば自明だ。

アメリカの自由と民主主義は矛盾に満ちたものであり、一方で好感を持てる側面と帝国主義的な側面を持つものだ、そして、僕はこの矛盾的なあり方をどう認識するか、その批判的な考えをどこに持つかに悩み、葛藤してきた。アメリカの帝国主義的な側面を資本主義国(帝国主議国)アメリカという観点で批判するのではないとしたらである。僕はアメリカ流の自由と民主主義に対してより本質的な自由や民主主義を考えることでその道を切り開いてきた。これはより本格的で理想的な自由や民主主義を考えることで、アメリカの自由や民主主義を相対化することであり、批判するものだ。僕の考える自由と民主主義は永続的で普遍的な自由や民主主義である。これは絶えざる現実の運動のなかにしかないものである。自由や民主主義は永続的なものであり、特定の国家や歴史段階の国家において実現するものではない。実現したらそれは相対的なもので、自由や民主主義的な革命の対象になるものだ。

現在、国家的に体現されている「自由や民主主義」は相対的なものであり。矛盾に満ちたものだ。だから、アメリカが現在的に実現している「自由や民主主義」は相対的なものであり、矛盾に満ちたものであり、その中でも強権的で非民主的な側面や要素が強くなっているのである。わざわざ、戦争まで仕掛けて輸出するほどの「自由や民主主義」などはないのである。アメリカの戦後史を紐解けばベトナム戦争をあげるまでもなく明瞭なことだ。アメリカの自由や民主主義はイスラム国家に対抗しえるものではない。それよりもアメリカの自由や民主主義は永続革命的な自由や民主主義で革命されるべき存在(対象)である。

安倍はアメリカの自由や民主主義を持ちあげることで、その矛盾的な側面を見て見ぬふりをする。外交辞令ということはあるだろうが、彼の自由や民主主義観が底の浅い、対抗イデオロギー的なものにすぎぬことを物語っている。この演説はアメリカの経済的な力と同様に「自由や民主主義」も権威を減衰させている中で同盟を求め、自己の権威付けを求めているが、安倍のこの行動には国内での基盤での危機感も反映しているのだと思う。彼は「自由や民主主義」に反する国家主義的な行為を次から次ぐとやっているのに、それを支える思想がないから、

アメリカの権威と中国脅威感でそれを補強しているのだ。権威づけのアメリカ論と対抗的中国論で自分の国家イメージの貧困を補っている。だから、国家主義的な理念と行為を隠しつつやっているのだが、日本国民には丸見えのことだ。

「国際協調主義に基づく、積極的平和主義」こそは、日本の将来を導く旗印となります。国際協調主義とはアメリカの追随以外にどんな内容があるのか。現実の世界の中で国際協調主義はどんなイメージを描けるのか。アメリカのアフガンやイラクでの戦争を総括してみよ。積極的平和主義とは非戦の理念と憲法9条に反して戦争をやるというだけではないか。日本の海外での軍事展開と平和はどう関係するのか。これは平和主義を標榜して戦争をやろうとしているだけだ。戦後のアメリカの戦争への同調に大胆に進もうとしているだけではないか。言うなら、自由や民主主義、あるいは非戦に反して国家主義に回帰しているだけである。

戦後の70年は「自由と民主主義」に対抗する「社会主義」の理念と国家が滅んで行く過程だった。同時に、「自由や民主主義」を標榜する国家の矛盾と限界を露呈をもさせた時代だった。もはや恢復のない衰退にあるアメリカの現実と歴史である。その中で残ったのは永続的で究極的な理想としての「自由や民主主義」の可能性である。これは現実の運動のなかにしか存在しないが、戦後70年を超えて行く可能性である。これはアメリカに権威付けを求めるものではなく、アメリカの批判と変革を求めるものとしてあるものだ。(三上治)

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●5月3日(祝) 「5・3憲法集会」

5月3日の憲法記念日は、従来の幾つかの団体による集会ではなく、以下のような総がかり集会が開催されます。
安倍の米国議会演説に怒っている皆さん、5,6,7,8月の戦後の総決算を狙う安倍に一撃を加えたいと思っている皆さん、是非ご参加ください。

平和といのちと人権を!5・3憲法集会~戦争・原発・貧困・差別を許さない~
<http://www.anti-war.info/schedule/1503231/>

[ 2015年5月3日; 12:30 PM to 3:30 PM. ]
日時:5月3日(日)12時30分〜15時30分
 開始時間が早まりました
場所:横浜みなとみらい・臨港パーク
内容:
プレコンサート 12時30分~
大島花子(歌)/岡大介(カンカラ三線・唄)/ハルノトモ(和太鼓)

メインステージ 13時30分~15時30分
お話:大江健三郎/樋口陽一/雨宮処凛・落合恵子・香山リカ・澤地久枝/沖縄からの発言
リレートーク:戦争・原発・貧困・差別をめぐって
政党からの発言

クロージング・ライブ 15時30分~
クミコ(歌)/こぐれみわぞう(ロックチンドン)

※NPO・市民団体の出展ブースあります

主催:5・3憲法集会実行委員会

●5月3日(祝) 再稼働阻止全国ネットワーク第二回総会

憲法集会終了後 かながわ労働プラザ4F(石川町駅北口

●5月4日の森話し会の概要 テントのイベント

17時から 第二テントにて

4日は「カミ」って何?「神社」って何?
と題して、神社と、神社に祭られている神の変化を古代から近現代まで、見渡してみます。
ざっくりいうと、野性が環境/自然に、自然が政治に、さらに資本に比重を移していった経緯です。
奈良の春日大社をサンプルに解説します。
御用とお急ぎでない方は、どうぞご参会くださいませ。

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森瑞枝morimizue
2015/04/28 23:35、Hashimoto Yuki <dai_2_tent@freeml.comのメッセージ: