経産省前テントひろば1334日商業用原発停止598日
連休はあっという間に過ぎて行くが…
「うなゐ子がすさみにならす麦笛の声に驚く夏のひるぶし」、「むかしせしかくれ遊びになりなばやかたすみもとによりふせりつつ」(西行『山家集』)。子供の日には無心に子供たちと遊びほけた西行や良寛のことを想い出す。僕らもそうしたいのだが、今はそんなことは許されないのだろう。変なおじさん扱いされるのが関の山である。孫と遊ぶことなら許されるのだろうか。僕らの同年代の人たちは孫ももう大きいのだろうが、我が家の孫は三歳と一歳になる前と小さい。子供の日はその孫たちと遊んだ。孫たちとの世界は言葉のいらないものだが、連休の日々をすべて満たしてくれるようなものだった。
「憲法記念日」に続く「子供の日」は連休らしい連休といえるのだろうが、孫たちに残せるものは、あるいは伝えるものはと思った。孫たちはこちらの思惑も思いも関係なく生きて行くのだろうし、そういうことだという思いと、それでは何か引っかかるものがあるな、とうまい答えの出ないままに終日そのことを考えた。ここには憲法記念日の日の複雑な感想が尾を引いていたのかもしれない。
5月3日の憲法記念日については日誌でも伝えられているようにテントひろばは憲法集会に参加した。ブースでTシャツも販売した。この詳細は日誌で見てもらいたいが、当日に気がついたこととしてマスコミ、特にテレビ関係の対応が注目された。要するに自主規制して憲法の問題を避けているということであり、TBSを除けばそれが顕著であったということだ。正直言ってもう僕はニュース番組を除けばBS番組しか見ないが、少し前にテレビ朝日のことが話題になった時も思ったが、僕にはどうしてそうなるのか、という疑問が湧いてきて仕方がない。それは伝搬する病気や噂みたいなものと思うが、実際そうなっているのかとも思える。
権力に対して戦後の日本人はそんなに弱かったのか、という思いが消せないからだ。安倍がアメリカに行って絶賛した自由と民主主義だが、アメリカでも表にはかくされて非民主的で強権的なことが進んでいる。自由や民主主義を建前として残しつつ、強権的で非民主的な権力の再編が進んでいる。アメリカのどこにも自由や民主主義なんて存在しないのである。これは反テロ戦争下で進んだアメリカの現実だが、安倍はそれを国内に取り入れているのだ。アメリカの権力の形態や動向を真似ているのだ。国家主義的な権力の再編をやっているのであり、これこそは実質的な憲法の骨抜きであり、改定なのだ。これに対応した社会権力の再編がすすんでいるのであり、そこで憲法の改定が進んでいる。
日本国民はこの70年間に自由や民主主義を、あるいは憲法を自己のものとしてきたのか。僕は放送業界の対応や姿をみているとそれに疑念が湧いてきて仕方がないのだが、条文としての憲法が改正されなかったかどうかではなく、憲法の精神(思想)が身についたのか、どうか不安を含めて問うてみたい気がする。憲法は成文としてあり、それを実体的なものとして僕らは理解しがちだが、それ以前に憲法は精神としてあり、僕らの自由で民主的な現存の感覚としてあるものだし、それから考えれば権力の形態や動きにもっと鋭敏に反応していいものだ。この反応の中に、現実の憲法があり、それが憲法の実体をなしている。憲法の名を持たなくても憲法の創出をした運動はいっぱい存在してきたし、憲法擁護の名分だけで憲法の生成には役立たなかった運動もある。
国民のというよりはわが身にとって憲法はどうなのか、といえば国家権力の勝手な振る舞いや所業に対する反発という反応が、憲法だというところまでの理解はある。それは身についてきたと思う。ただ、憲法が成文化された条文として理解され、こうした感覚や感性的な反応に憲法があり、それを憲法の実体をなす精神であるというところまで理解するには時間がかかった。成文として憲法の理解は、精神としての憲法の理解を馴染みにくくしてきたのではないのか。例えば国民の主権というのは条文からでは理解は難解だが、権力に対する反応や感覚として理解すればわかりやすい。そして歴史的にみて日本人は権力への反応や感覚というところで、権力に向き合わない、反権力意識は権力から身を避けるというようにあったのではないか。僕らの現存感覚や意識はここのところで日本人の伝統を超えてきたと思ってきたが、これは、今、どうなのか。これは僕らの世代の幻想で、日本人の伝統は思っているほど変わってはいないのか。
憲法の精神とは国家の専制的で強権的な振る舞いや所業に対する感覚的、感性的反応(意識)のうちにあるのだし、こうした心の動き(精神的動き)が実体をなすのだ。ここのところで、国民の、僕らの内在的世界は成熟してきたのか。ここのところから憲法とは何か、を今一度、問い直してもいいのだし、僕が5月3日に考えたところである。憲法の精神くらいは孫たちに残してやりたいというという心が湧いたのだったから。 (三上治)
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話題になっているTBSの番組の紹介 友人からメール
マスメディアの後退については、いつも仲間たちで話題になりますが、TBSの土曜日午後5時半からの「報道特集」はなかなか見応えがあります。
5月2日放送のジョン・ダワーへの金平正紀さんのインタビューはなかなかのものでした。
ビールを飲みながら聴いていたのですが、途中から、これはいい内容だと思い、手元の紙にメモをしました。添付がそれです。
今朝、事務所に出てきたら、以下にアクセスすれば見られるそうですから、見ていない方は小生のメモ書きも参考になるかもしれません。
番組の中で、金平キャスターは、2時間に亘ってインタビューしたと語っています。その中の25分ほどが放送されたわけですが、ぜひ2時間まるまる報道する番組を緊急に制作してほしいものです。
見た方は、「報道特集」にエールを送り、インタビューのすべてを放送してほしいと伝えてください。そうすれば、テレビ報道に一石を投じるでしょう。
(O)
5/2日放送のTBS報道特集「歴史家ジョン・ダワーの警告」を見なかった方はぜひ下記のメールからアクセスしてご覧になってください。
TBS報道特集5/3
歴史家ジョン・ダワーの警告
https://www.youtube.com/watch?v=nyOsNOj-sRE
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【福島住民に配布の個人線量計、4割も低く表示】 藤原節男さんから
◎福島の住民に配布された個人線量計、4割も低く表示されていることが判明!政府は個人線量計の値を元に除染計画!
真実を探すブログ2015.01.30 21:00⇒
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-5363.html
福島県の住民に配布されていた「ガラスバッジ」と呼ばれている個人線量計で、数値が4割近くも低く表示されていることが判明しました。
週刊朝日2015年2月6日号が報道した記事⇒ http://goo.gl/EuIFf4 によると、ガラスバッジ製造の最大手メーカー「千代田テクノル」が福島県の伊達市で開かれた市議会議員政策討論会で、「前後左右からくまなく浴びる状態では0.6~0.7倍にしかならない」等と述べ、放射線量が低く表示されることを謝罪したとのことです。
この討論会では地元の市議等から、「空間線量率より最大で4割も低く表示される線量計を配ってどうするのか?」というような質問が相次ぎ、メーカー側は説明に追われたと報じられています。個人線量計(ガラスバッジ)の問題は前々から指摘されており、正確な放射線量が測定出来ないことなどが問題視されていました。
政府のモニタリングポスト(据置型放射能測定器)も常に周囲が除染されていて、妙に低い値が表示されることで有名です。元々、ガラスバッジという物は物凄い大雑把な目安にしかなりません。今回みたいな4割のズレも当初から考えられたことで、この値で除染や復興の計画を作っていた行政が無能だと言えるでしょう。
4割も線量が低いことを考慮して再推計すると、政府が「1ミリシーベルト以下」としていた場所でもそれ以上の被ばく量になる場所が相次ぎます。本来ならば、住民達の安全を守るはずのガラスバッジが、逆に健康被害のリスクを高めていたということです。モニタリングポストの件も含めて、政府の放射能測定方法を見直す必要が有ると私は思います。
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☆スクープ「個人線量計が最大4割低く表示」福島県内の子供が危ない!〈週刊朝日〉
URL http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150128-00000005-sasahi-soci
ガラスバッジ製造の最大手メーカー「千代田テクノル」が測定値のズレを認めたのは、1月15日。
伊達市で開かれた市議会議員政策討論会の席だ。参加者の一人が説明する。
参加者:プレゼンテーションをした執行役員がデータを示しながらこう言ったのです。『ガラスバッジを前面装着した状態で正面から放射線を浴びれば空間線量率とほぼ同じ数字を表示する。だが、前後左右からくまなく浴びる状態では0.6~0.7倍にしかならない。福島のような全方向から放射線が押し寄せる状況をきちんと考えずに住民にガラスバッジを配ってしまって申し訳ない』と。数値の違いを認め、謝罪までしたことには正直、驚きました。
伊達市の高橋一由市議はこう憤った。
高橋一由市議:空間線量率より最大で4割も低く表示される線量計を配ってどうするのか?
~省略~
それでは、住民の実際の被曝量はどれだけなのだろうか。千代田テクノルのガラスバッジを使用する南相馬市が昨年6月から8月にかけて約7千人の市民を対象に実施した個人線量調査がある。それによると年間被曝推計値が1ミリシーベルトを超える人は13%で、9割近くが国の目標値内に収まる。だが、実際は4割低いことを考慮して再推計すると、実に全体の40%の市民が1ミリシーベルトを超える被曝をしていることになるのだ。
南相馬市や福島市は「メーカーから4割低く表示されるという説明を受けたことはない」と困惑。伊達市に至っては、「当該の討論会に職員は参加していないので、今後、事実関係を確認していく」と話した。
☆千代田テクノル 個人線量当量と周辺線量当量について
URL http://www.c-technol.co.jp/archives/1038