テント日誌6月12日…若い人が原発や安保法制に関心/最高裁砂川大法廷判決Q&A

経産省前テントひろば1369日商業用原発停止634日

若い人が原発や安保法制に関心を持つ、当然だけれどうれしい

テントに着くと第一回控訴審のためのチラシが届いていたので、居合わせた数人で日曜日に配るため二つ折り作業をする。
Tシャツのチラシも同封させて頂くためテント前にテーブルを出し第2テントの人たちと一緒に作業をした。

5時ごろからいつものように人が集まり始めた。
台湾の女性が来て頑張って下さい!と「核電歸零」と書いた缶バッジを下さった。
原発は世界の問題ですね。

ジャーナリスト志望の東大生が来てテントのこと色々取材して行った。
毎日来てくださるM子さんの話など熱心に聞いていた。
若い人が原発のことや安保法制に関心をもってくれるのは嬉しい。

6時前、官邸前に向かうたんぽぽ舎の柳田さんがテント前で先日の福岡の集会は15000人が集まり、全国阻止ネットからも110人くらい参加したことや今後の予定についてなど話して行かれた。

テントひろばを守ることが大事、19日に高裁で第一回の口頭弁論があること、
経産省テントひろばの問題だけでなく沖縄・川内のテントにも影響するというような話もされ力強かった。

曇り空を眺め心配したが、雨にならなくて良かった。(I・K)

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自民党のかつての重鎮たちが安保法案に反対の記者会見

国会の周辺では安保法案(戦争法案)に反対する声が強まり、連日、様々な意思表示が行われているが、山崎拓(元党副総裁)などが日本記者クラブで会見を開き、安保法案に反対の表明をした。安倍首相は聞く耳など、どこか遠いところに置き忘れてきているから、気にもかけないのかも知れない。戦争を体験した世代が左右を問わず、戦争法案に疑念的であり、安倍らの戦争体験無世代が安易に戦争に踏み出すことは予想されたこととはいえ、やはり、現在のそれこそ、戦後70年の大問題である。あらためて、このことを僕らの前に提起しているのだが、それにしても自民党や公明党の議員や支持者はどうしているのだろうか。

問題の多い砂川最高裁判決を援用しての政府の統一見解は詭弁というか、とんでもないものだが、あれで彼らは納得しているのか。政治家の生命というべき見識があれで示されているというのか。確かに、砂川判決は自衛ということを認めた(この判決の問題点は言及しないが)、それはその具体的規定とその後の内閣において日本に対する武力侵攻があった場合という枠組みが与えられてきた。海外での外国の戦争や軍事行動への参加は集団的自衛権の名において参加することは否定されてきた。自衛が集団的自衛権と結びつくことを否定してきたのである。

新3要件を持ち出して、自衛権を拡大し、集団的自衛権と結びつけてきたのが、昨年の閣議決定であり、安保法案である。彼らは新3要件をこれは自衛の概念の拡張でもなく、集団的自衛権の一般的容認に結びつくのではなく、武力侵攻があったときの範囲だと言い繕う。つまり、我が国のタンカーが海外での戦争に巻き込まれた場合も、武力侵攻されたと同じ(その範囲)とみなすのだ。かつて、日本での中国大陸での戦争(侵略戦争)を、生命線を守るためと解釈したことを思い出す。そのうちに先制攻撃の自衛の範囲と言い出すと予想される。政府な勝手な行為で起こる戦争はおこるのだし、その不信こそ、わざわざ憲法の規定(非戦条項)を生んだのだが、今でも政府の勝手の振舞いに危機感がいっぱいだが、誰も政府の詭弁など信じてはいないのだ。

6月14日(日)14時~16時・30分には国会包囲行動で安保法案に反対する意思表示が行われる。是非参加を。国会周辺にはあちらこちらに咲き始めた紫陽花もみることができる。日曜の一日というだけの時間ではないが、国会に足を運ぼう。また6月15日には1960年の6月15日に亡くなった樺美智子さんを追悼する会も13時から南門で行われる。こちらにも参加を!(三上治)

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今、話題の砂川判決についての内田雅敏弁護士の問答集です。(M)

最高裁砂川大法廷判決Q&A

1Q 何故、今、集団的自衛権行使容認の根拠として半世紀以上も前の砂川大法廷判決(1959年12月)が持ち出されるのでしょうか

 A 圧倒的多数の憲法学者が、集団的自衛権の行使は憲法第9条に反するとしているため、それに対抗する権威として最高裁砂川第法廷判決を持ち出してきたのです。

2Q 砂川大法廷判決は、集団的自衛権行使を容認しているのでしょうか。

 とんでもありません。砂川大法廷判決で問題とされたのは、「在日米軍」が憲法第9条2項によって保持を禁じられた「戦力」に該当するかどうかということで、集団的自衛権など全く問題にされていませんでした

3Q 個別的自衛権はあるが集団的自衛権の行使は容認されないとした1972年の政府見解も1959年の砂川大法廷判決の後に出されたものですね。

 A そうです。もし砂川大法廷判決が集団的権行使容認をしていれば、その後に出された1972年政府見解で、集団的自衛権行使は容認されないなどとは言わないはずです。

4Q 砂川大法廷判決では、日本の防衛について何も触れてないのでしょうか。

A 勿論、触れています。判決文は以下のように述べています。

「われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼することによって補い、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。

そこで、右のような憲法9条の趣旨に則して同条2項の法意を考えて見るに、同条項において戦力の不保持をも規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持を禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」

5Q 少し噛み砕いて説明していただけませんか。

 はい、そうします。

① まず、わが国の防衛は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する」ことによって行うというものです。これは具体的には国際連合のことです。

砂川事件一審の東京地裁伊達判決は、国際連合の軍隊は憲法の禁じる「戦力」に該当しないが、米軍は該当するとして、日米安保条約は憲法違反としました。ところが最高裁大法廷判決は、国連軍だけと狭く考えるのでなく、米軍も認めていいのではないかとし、

②「憲法9条の趣旨に則して同条2項の法意を考えて見るに、同条項において戦力の不保持をも規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解する」として、米軍は日本政府の指揮下にないから、そのようなおそれはないとして在日米軍は憲法が保持を禁じる「戦力」には該当しないと結論付けたのです。

6Q 判決は日本の自衛隊が合憲か違憲かについての判断もしていないのですか。

 A していません。判決は、日本が個別的自衛権を有するのは当然としていますが、そのために軍隊を持つことができるかどうかについては「同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持を禁じたものであるか否かは別として」と述べ、判断を回避しています。このように砂川大法廷判決は、自衛隊の合憲違憲すら判断していないのですから、集団的自衛権行使容認か否かなど全く論じていないのです。

7Q 砂川大法廷判決は集団的自衛権について、全く触れていないのですか。

 A 法廷意見としてはそうです。しかし田中耕太郎長官補足意見では以下のように触れています。

「一国の自衛は国際社会における道義的義務でもある。今や諸国民の間の相互連帯の関係は、一国民の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及ぼす程度に拡大深化されている。従って一国の自衛も個別的に即ちその国のみの立場から考察すべきでない。一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国を守ることになり、他国の防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言すれば、今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち『他衛』、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従って自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである」

8Q 「自衛即他衛」、「他衛即自衛」、集団的自衛権に関することではありませんか。

 A そうです。昨2014年7月1日の集団的自衛権行使容認の閣議決定は「脅威が世界のどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっている。(中略)もはや、どの国も一国のみで平和を守ることはできず、国際社会もまた、我が国がその国力にふさわしい形で一層積極的な役割を果たすことを期待している」と述べています。これは砂川大法廷判決の田中耕太郎補足意見という亡霊の蘇りと見ることもできます。

9Q 砂川大法廷判決は集団的自衛権行使容認を声高に語る高村自民党副総裁らは何故、この田中耕太郎補足意見について触れないのでしょうか。

 A 本当は触れたいのですが、それが出来ないのです。それはこの補足意見が法廷意見と何ら脈絡なく出されたものであるからです。その意味では全く無用な補足意見なのです。それと、田中耕太郎長官が、この件について最高裁で審理が始まる前に、当時の駐日米大使マッカサ―(マッカサ―元帥の甥)に面会し、早期に、且つ全員一致の判決をするという約束をするなど、司法権の独立を侵すような行動をしていることがあり、そのことが蒸し返されるのが嫌なのでしょう。

10Q 安倍首相は、4月末の訪米、上院、下院合同会議での演説で、夏までにこの「安保法制」を成立させると約束しましたが、これって、田中耕太郎長官のマッカサー大使に対する約束と同じではありませんか。

 A そうです。今年は戦後70年ですが、まさに対米従属の70年なのです。

11Q 砂川大法廷判決にはほかにも問題がありますか。

 あります。悪名高き、統治行為論です。判決は日米安保条約のような高度の政治性を持つものについては、一見極めて違憲明白でない限り司法審査の対象外にあるとして判断回避をし、憲法の番人としての役割を放棄してしまったのです。

12Q 砂川大法廷判決には色々問題があることが分かりました。よい面は全くないのですか。

 A そんなことはありません。判決理由の冒頭で以下のように述べています。

「そもそも憲法第9条は、わが国が、敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が、過去におけるわが国の誤って犯すに至った軍国主義的行動を反省し、深く恒久の平和を願って制定したものであって・・・」、これはアジアで2000万人以上、日本で310万人の死者をもたらした先に戦争の「敗北を抱きしめて」、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」(憲法前文)、戦後の再出発をしたことを述べたものであります。