経産省前テントひろば1807日後
若者との話し合いができたことが良かった 6月26日(水)
昨日の晴天で地上の水分が上空に追いやられて、今日は少しは過ごしやすいと思って経産省前へ来たが風が強くてもそれ以上に蒸し暑く座り込みには過酷な1日であった。椅子の並べ方は昨日のYRさんがやったようにやってみたのであるが準備している間に椅子ごと突風に倒されたりして上手くいかなかった。そんなことで準備に時間が掛かってしまった。
準備している間に、一人の男性が来られて、カンパをしたい❗と言って来られた。願ってもない事なのですぐ対応してカンパして頂いた。その金額に早番のIさんは思わず、そんなにいいのですか?と口走ってしまった。男性は当然❗というようにカンパされた。彼は時たまここを通られている人でいつも気になっていたようだ。こちらがテントひろばニュースを手渡すと、暑いですからお体に気を付けて下さい、と言って去って行かれた。
こんなことがあったので今日は希に見る吉日ではないかと元気を貰いました。 今日の座り込み参加者は全部で9人でしたがそれぞれ予定がありバラバラの座り込みだったので昨日のような沢山の人が座り込んでいるという訳にはいきませんでした。3~4人が多かった。ひとつ良かったことは若い人と話し合いが出来たことでした。4時前に4人の若者がやって来て経産省の写真を撮っていたので今日は遅番のTaさんが呼び止めて話し合いが始まった。
彼等の疑問は原発エネルギーが無くなってしまったらエアコンなどが使えなくなってしまうというものであった。その対策はすでに出来ている。太陽光発電を初めとする再生可能エネルギーである。原発が作る電気が如何に安かろうと福島原発事故を見れば判るように極めて危険な装置であり地震大国・日本においては稼働させてはならないものである。この間の経験によれば日本において電気は余っている。その証拠に九州においては原発を再稼働させているので電気が余ってしまって太陽光発電から生産された電気は買い取りを拒否されている。これは本末転倒であり世界から奇異の目で見られている。太陽光発電の電気は技術革新により急速に安くなっていてキロ辺り原価は6円位というのが世界の実態。原発に固執してきた日本は大変遅れてしまっている。これが現在の情況。話をしてみたTaさんの感想は、基本的な事実についての認識に欠けている❗こと。彼らがもう一度我々の前に現れることを願っている。(保)
様々の議論を持ちこんでくれる人がいる 6月27日(木)
家を出るときは晴れていたのに12時に霞が関に着いたら曇り。 何だか嫌な気分で経産省間に着くともうすっかりセット済でYさん・ヨーカンさん・自転車で有名な自称案山子さんそして勝爺が座っていた。 空にはきれぎれに黒い雲が立ち込めて時々ポツポツと雨が落ちて来たけれど、本降りにならなくて良かった。元官僚だと言う人が立ち寄って原発は反対だけれど、日本人は馬鹿だからなど、と言ったそうだ。
確かに戦争法案が通ってしまっても、福島事故の後なのに次々原発が再稼働されても怒る人は限られていて、香港のように200万人ものデモが起きることはないのですから…そう言えるかも。Yさんがそんなこと言わないで反対しましょうとチラシをお渡ししたけれど、読んでくれたかな?
諦めないことが勝つ秘訣と言われています。 2時半ごろ後半当番のSさん・英語の先生のIさんが来て少しにぎやかになった。その後たんぽぽ舎のボランティアのOさんがピンクの珍しい花を持ってやってきた。ネジバナと言うそうだ。良く見るとまるでねじのように花をつけている。テントにいると色んな事を学べます。後番のTさんも時間通りやってきたので私は帰途に着く、終わりまで雨が降らないように願いながら…(I.K)
「渕上・正清両氏を偲ぶ集い」の連絡は色々あると思う 6月28日(金)
今日は台風かな?と思っていたら規模が小さく、スピードも早かったので経産省前はいたって平穏。風もなく久しぶりにバナーを2本取り付けた。ただ、台風が運んできた湿った空気のせいで非常に蒸し暑い。今日はMさんは一瀬弁護士事務所に自宅マンションの電力切り替え問題の相談に行ったのでMさん除く他のメンバーで座り込み開始。
座り込んでいたら、以前北千住から見えた方で頭部の手術をされた方がやって来た。顔見知りだったので、僕らの座り込みの姿を見て、何のために座り込んでいるのかわからない。パラソルに何か書くとか、プラカード等を持っていると分かりやすいからそうしたら?と助言してくれた。なるほどと思った。今日は虎ノ門病院への通院だそうだ。
テントの携帯に着信があったので折り返しの電話をしてみた。7月27日の渕上さん正清さんを偲ぶ会のことだった。参加する予定だが会費を納めたいので振込先を教えてほしいとのことだったが、事前受付はしていないので、当日会場でお支払いくださいと連絡しておいた。これからも電話での問い合わせがあるかもしれない。(S・S)
経産省・文科省・安倍政権への抗議行動 6月28日(金)
15時に到着、既に10人近くが座込んでいる。チラシを撒くが選挙やG20の影響か少々受取が悪いが、本館から出てくる人が喜んで受け取ることも。 文科省前には多数の高校生・大学生が朝鮮学校差別反対を訴える。日本からの侵略と南北朝鮮分断の歴史を考えると若人の文科省への訴えがつらい。こんな日本に誰がした?
5時からの抗議行動はHoさんの進行。経産省・安倍政権への糾弾の声が響く。私からは、「プラスチックごみ」を減らすとともに「核ごみ」増やすな、東電が「CO2の少ない電気をお届け」したいと言うなら私たちは「放射能のない電気を使いたい」と言おう、被曝によるがんや心臓病増加の影響隠しは世界規模、と訴えた。
椅子類運びをHoさんとKaさんにお願いして首相官邸「裏」で抗議行動。G20で不在でも5人で「安倍は止めろ」と訴えた。反原連抗議、峠の茶屋、規制委抗議もにぎわった? (K.M)
共通の言語で会話する以上に伝わるものあり 6月29日(土)
3週連続の雨。風は弱いのに大きな雨粒が膝の上に飛び込んでくる。紙についた雨は油膜のように鉛筆の線をはじいてしまう。厚いケント紙がふやけてしまいそうだった。そのうえだんだん寒くなってきた。
14時をすぎると車のタイヤが水を弾き飛ばす音が弱くなってきた。通行人の多くが傘をたたんでいた。鳩が歩道にできた水溜まりの水を飲んでいた。今まで見たことがなかったのが不思議に思えた。
30歳前後だろうか、若い男性がNo nukesのバナーを写真に撮り始めた。Iさんが声をかけると韓国からいらしたという。Antinuclear・・・Danger・・・children・・・、英会話ができない私が聞き取れたのはいくつかの単語だけだった。でも互いの笑顔を見つめているだけで共通の言語で会話する以上に伝わるものがあった気がした。命を守ることに国境はないと。 (O・O)
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原子力ロビーによる放射線被曝の押付けを拒否しよう! その18 福島県、
「最短潜伏期間」過ぎた胃がんで「有意な多発」―国や県は至急対策を ~東京電力福島原発事故と「全国がん登録」(明石昇二郎、週刊金曜日6月7日号)~
2019年06月22日 木村雅英 ルポライター明石昇二郎さん渾身のレポート(週刊金曜日6/7)が福島の厳しい事実を知らせている。がんの「最短潜伏期間」が過ぎるとともに福島県のがんが増えて来ているのだ。
「全国がん登録」(全国がん罹患モニタリング集計)から、全国と同じ割合で福島県でもがんが発生していると仮定して実際の罹患数を比較する検証を行なった。疫学の手法で「標準化罹患率比」(SIR、standarized incidence ratio)を計算して、全国平均を100として福島がどうなるかを比較して、次表が得られた。 表 福島のSIR(2008年~2015年、全国を100として小数点以下を四捨五入) -2008年、09年,10年,11年,12年,13年,14年,15年- (胃がん) 男性:88,94,101,92,111,111,119,117 女性:87,94,101,101,109,110,109,120 (甲状腺がん) 男性:62,75,69,71,90,103,129,118 女性:66,66,65,68,100,107,112,123 (悪性リンパ腫) 男性:60、83、79、85,70,111,82,86 女性:76,78,94,96,106,94,83,89 (白血病) 男性:61,70,99,83,85,108,98,75 女性:65,63,88,66,75,99,97,91 (前立腺がん) 男性:63,69,64,63,110,98,105,104 (卵巣がん) 女性:83,73,78,93,103,117,120,94 (胆のう・胆管がん) 男性:79,93,116,114,111,126,131,113 女性:97,117,103,112,113、113,122,122 -2008年、09年,10年,11年,12年,13年,14年,15年- 私が一目で感じたのは、多くのがんで2011年から数値が急増しかつ3桁になって全国平均より多くなってきていることだ。驚くべき表だ。 <国立がん研究センターでは、SIRが110を超えると「がん発症率が高い県」と捉えている。(胃がんは)2011年を境に、男女とも全国平均を超え始め、2015年の女性は120を上回ってしまった。>
なお、米国の疾病管理予防センター(CDC)によれば、「がんの種類別最短潜伏期間」は次のとおり。 小児がん(甲状腺ガンも):1年 、 大人の甲状腺がん:2.5年、 肺がんを含むすべての固形がん:4年 、 中皮腫:11年 この「最短潜伏期間」を経過した後に「有意な多発」が次で確認される。 ★胃がん(15年の男女)、★甲状腺がん(14年男性、15年女性) ★胆のう・胆管がん(15年の女性) ご自身も胃がんを罹って胃の3/4を摘出された明石さんは、「最短潜伏期間」を超えたがんの罹患状況がこのように顕著に出ていることとともに、次にやってくるのは「平均潜伏期間」の山であると心配している。
以前から福島の知人から伺っていた発がんや死亡の厳しい現実を、このレポートが確認させてくれた。こんな重要な統計を「国立がんセンター」が出さずに埋もれていることも問題だ。1959年の国際原子力機関(IAEA)と世界保健機関(WHO)の間の協定ゆえに、原子力ロビーが押さえているのであろう。小児甲状腺がんについての県民健康調査の「被曝との関連否定」報告も全く信じられない。何よりも、これらの現実を踏まえて、安倍政権による棄民政策キャンペーン「年100mSvで安全」、「年20mSvに帰還」を直ちに止めろと訴えたい。そして、福島の人たちも自分たちの身体を守るべく声を上げ行動していただきたいと思う。
7月3日(水)「阿武隈会」(都路村の被害者訴訟)の裁判
9時30分~17時まで。被災者の証人尋問。103号法廷。もっとも大きい法廷なので傍聴を是非。
草野さんのメールから
阿武隈会(あぶくま会)は、阿武隈高原の豊かな自然に懐かれた都路(みやこじ)町を、終の棲家と選び、家を建て、移住された方々が、国・東電を訴えている裁判です。小さな訴訟で、チラシもサイトもなく、原告だけが互いに応援しながら静かに期日を重ねてきましたが、今年になっていよいよ本人尋問に入り、次回期日からは、大きな103号法廷に場所が変更になるなど、原告だけでは到底傍聴席を埋められない事態にされてしまいました。なんとか、私たちの力で、この裁判を応援していきたいのです。
法廷では毎回、美しかった都路への想い、そこで重ねてきた穏やかな日々、そしてそれらが放射能汚染によって、ことごとく破壊されてしまった残酷な現実が、原告らの口から語られています。是非、その声に耳を傾けていただきたいのです。以下は、原告代表の佐野さんからのメッセージです。 阿武隈会訴訟は、関東から福島県田村市都路町旧屋内退避区域(20?30km圏)への移住者及び移住を考えていた人達30世帯が、国の国家賠償法に基づく責任と東電の民法709条の不法行為責任の確認と、原告らの『自然との共生生活喪失と放射能による財物全損害』につき、人間の尊厳を回復することを可能とする完全な損害賠償を実現するために、2014/3/10に東京地方裁判所に提訴したものです。
2月以来数人ずつの本人尋問が続いており今後の予定は下記の通りです。 7/3 東京地裁103号(100席)4原告尋問 9:30?17:00 7/24 〃 4原告尋問 〃 7/31 〃 4原告尋問 〃
8/31・9/16 東京地裁へ専門家尋問への反論書等提出期日 11/13東京地裁818号(56席) 最終弁論 13:30? 2020/3/25 東京地裁 中吉裁判長判決 7月3日(水)抗議行動 止めよう東海第二原発 17時~17時45分
日本原電本店前 地下鉄銀座線末広町4番出口4分
7月3日(水) 第70回東電前抗議行動 18時30分~19時45分
東電本店前
7月5日(金)経産省前抗議行動 17時~18時 (官邸前抗議行動(首都圏反原連)はは休み
7月7日(日) 国会正門前抗議行動 首都圏反原連
国会正門前 13時~
◆淵上太郎・正清太一を偲ぶ集い◆
日程:2019年7月27日(土)
- 午後2時~ 第二部 一部終了後で午後8時まで
会場:YMCAアジア青少年センター
会費:4000円(ただし一部のみは1000円。二部のみ3000円)
現在、「偲ぶ集い」の実行委員会から案内状が出されています。この案内状
は私たちの手元にある住所のデーターでお送りしています。ただ、データーが古く返還の分も多く届いています。テントの集会等に参加したことのある方、また渕上・正清と知り合いの方で参加希望の方は連絡ください。