テント日誌7月3日 経産省前テントひろば662日目~梅雨時に選挙とは…

梅雨も後期に入ったらしい。でも、梅雨時の鬱陶しさは残っている。それに選挙が重なって鬱陶しさが倍加するような気がする。神聖(?)な選挙に向かって鬱陶しいとはという批判があるかもしれないが、今回の選挙はその感がしてしようがない。そう感じているのは僕だけではないと思う。理由を説明してもいたしかたないから、ともかく選挙期間中は気分の晴れることを工夫して過ごそうと思う。心なしか、我がテントもその気分を反映してかいつもよりは重苦しげだ。飾り付けなどを変えたり、もう少し風通しが言いようにするといいと思う。風鈴市に出掛ける機会のある人は涼しげなものを買ってきて欲しい。七夕の日の飾り付けが用意されているが、「いいね」と言っておきたい。

7月1日付けの日誌でも報告されて先に週末の大飯行に私も出掛けてきた。バスの中の話は盛り上がったし、楽しかったが、その中で選挙の話も出た。ドイツで原発を止めたのは選挙ではなく、大衆的意思表示《行動》であり、選挙結果に落ち込んだりしないで行こうと述べていたが同感であった。そうは言っても選挙の動きは伝えられるし、それは向こう側からやってくるもので無視はできない。選挙で脱原発のことなどを訴え、奮戦している人もいるのだから、彼らを支援はしたいが、政権交代と民主党政治の結果にたいする反動は今回の選挙でも続いていると見なければならない。癪に障るが、時に笑い飛ばしてやり過ごすことも必要だと思う。

国民の政治的な意志(共同意志)と国家や権力の意志との乖離を実感し、それを埋める道が見えないことに多くの人は悩み、絶望的な感じを持たされているのだと想像する。政権交代とその結果に対する失望はそうしたことを深めているが、国民の意志が共同の意志になるための道として選挙は一つに過ぎない。他の方法が不断に追求されなければならないし、どんなに徒労感の伴うことであっても、大衆的な意志表現をやらねばならない。原発も憲法も、国民の意志とは別のことが国家意志としてやられて行くことに、僕らは何故だという疑念や問いかけを保持して対峙し続けるほかはない。こういう疑念や問いかけが大きな力となり、原発や憲法の存続、あるいは中身を決めて行く時がくる。それを信じて行くしかない。そのことにしか僕らの先はないのも確かだ。

淡々と日々が過ぎていくようにテントの日常もある。多くの人が訪ねてくるし、時には議論のための議論をふき掛けてくる人もいる。あるいは官庁街の場所案内替わりと思っている人もいる。テントが人々にどのように評価されているのかはわからない。僕らが思っているほどには評価されていないのかもしれないし、逆に想像以上に評価されているのかも知れない。人は物事の渦中にある時は、なかなかそのことが見えないものだし、この意味はわからない、先は見えないということなのだろう。時間的(歴史的)、空間的(場所的)に物事の外《渦中の外》からはよく見える事がある。外からの視線が大事であると言われるのはこのとだ。テントに対する外からの関わりは僕らがとても欲していることだし、大事に考えている事でもある。意見や発言も含めていろいろの関わりを期待している。

裁判の方は次回公判(7月22日午後2時)に向けての当事者集会が準備されている。淵上・正清の両人が占有者として告訴されているが、テントが共同で運営されているのは事実であり、その運営者が当事者として裁判に参加するというのが目指されている。この当事者として加わることを同意している人は現在300名余《350人近く》であるが、このメンバーが一同に会した集まりである。7月7日(日)、午後14時より、日比谷文化図書館で行われる。当事者登録がまだの人、当日に登録するひとの参加もOKであるから、意志のある方は参加して欲しい。

7月8日(月)8時~12時 規制庁前早朝抗議行動がある。再稼働にお墨付きを与える感のする規制庁であるが、不断に僕らの声を届け続けなければならない。 (M/O)