――八ヶ岳山麓から(506)――
昨年12月23日、ドナルド・トランプ米次期大統領は国防次官(政策担当)にエルブリッジ・コルビー氏を指名すると発表した。
朝日ネット・清宮涼記者によると、「コルビー氏はかねて中国の軍事的台頭に警鐘を鳴らし、米国が欧州よりも中国やアジアへの対応を優先すべきだと訴えてきた」 「第1次トランプ政権で国防次官補代理を務め、中国をロシアとともに『長期的な戦略的競合相手』と位置づけた。2018年の国家防衛戦略の策定も担った」という。
コルビー氏の上司国防長官に任命されたヘグゼル氏は、飲酒トラブルや女性暴行など問題行動が指摘されていた。上院公聴会でASEANについて問われ、構成国をひとつも答えられず、失笑をかった人物である。国防次官コルビー氏への期待は大きいといわねばならない。
Wikipediaには、コルビー氏の詳しい来歴が記されているが、アメリカの行政組織にうとい私にはその経歴の意味するところがいま一つわからなかった。さいわい、昨年末刊行されたコルビー氏の著書『アジア・ファースト 新・アメリカの軍事戦略』(文春新書)を読ことができた。以下に氏の戦略内容を阿部流に要約して紹介する。
コルビー氏の対中国戦略「拒否戦略」(strategy of denial)とはどういうものか
コルビー戦略は、「中国によるアジアでの地域覇権」を拒否する戦略である。
アジアには世界のGDPの約40%近くが集中しており、しかもますますその集中度を高めている。そして、中国はその地域のGDPの50%、あるいは60%を占めるという大国である。
中国がアジアで覇権を確立する際には「一帯一路」などの経済的覇権だけでは不十分であり、必ず軍事的な侵攻と占領を仕向けてくるはずだ。その先駆けが南シナ海での基地建設である。中国の野望を完全に封じ込めるために、アメリカとアジアの同盟国は積極的に軍備を拡大し、中国側の意図をくじくことにエネルギーを集中すべきだ。
中国が覇権国家を目指す理由はなにか
コルビー氏は、覇権を目指すことは、中国の国家戦略として合理的だという。あらゆる「台頭する大国」は覇権を求めるものだ。それは、コルビー氏が「安全な地理経済圏」(a secure geo-economic sphere)と呼んでいる長期的な経済構造によるものである。中国にとってアジアにおける地域覇権を確立することは、彼らの安全と繁栄に大きくプラスをもたらすものだとみなされる。たとえば、マラッカ海峡をだれが制するかという問題。中国にとって生産を拡大すればするほど、他国が管理するマラッカ海峡の重要性は高まる。
もう一つの理由は、中国が、帝政ドイツで言うところの「(華やかな)陽の当たる場所」を求めていることだ。つまり、国際的に自分たちの実力にふさわしい立場を得たいという願望である。そのために、習近平は「中華民族の偉大な復興」と台湾問題の解決を明確に結びつけ、台湾に戦力を投射するだけでなく、空母をインド洋や西太平洋に進出させ、南シナ海で人工島や港を建設し、中東やアフリカの大西洋岸に至るまで海軍の艦隊を進出させ、核兵器の増強を行っている。
確実なのは、北京が台湾統一の準備のために必要なことをすべてやっているという事実である。理由は、アメリカとの最終的な大規模戦争を想定しているとしか言えない。
中国の拡大を阻止するだけであって制圧することではない
コルビー氏の「拒否戦略」の最終目標は、「中国に勝利すること」ではない。柔軟で適応可能な「優位なバランス・オブ・パワー」の維持だ。基本的にはアメリカに有利な勢力均衡状態を維持することが重要だ。そのために経済政策よりも軍事を充実させるべきだ。経済パワーの代替手段は「軍事力」しかないからだ。
アメリカとしては、北京から「我々の境界線」や「バランス・オブ・パワー」を尊重してもらえさえすればいいのだ。アメリカの国益は、習近平や中共と生きるか死ぬかのデスマッチをやることではない。またアメリカのゴールは、中国に屈辱を与えることではない。
中国が世界のGDPの半分かそれ以上を支配したら、それはアメリカの核心的利益を損なうことになる。しかし、アメリカだけでは中国を止められない。中国の支配を拒否する「反覇権連合」(anti-hegemonic coalition)を結成すべきである。同盟に参加するのが共産主義のベトナムであれ、自由主義の日本であれ、マルコス率いるフィリピンであれ、東南アジアの中のイスラム教政権でもかまわない。
台湾はアメリカにとっては「派生的な権益」に過ぎない
中国は反覇権連合のメンバーのひとつをねらって「サラミ・スライス」と呼ばれる手法をとって小出しに軍事力を使っている。南シナ海で起こったのはまさにそうした事態である。
その中で台湾は日米にとって重要ではあるが、アメリカにとって台湾は、生存を左右するものではない。コルビー個人としては台湾の独立には反対だ。基本的に現状を維持すべきだ、という考えだ。アメリカは割に合わないと見れば手を引く。つまり究極的には撤退する。だが、日本にとっては台湾が中国の従属下に置かれないことが重要な意味を持つ。「拒否戦略」は、日本にもそのまま適用できる。実はすでに日本政府も「安保三文書」の中で、基本的に「拒否戦略」とほぼ同じことを述べている。
太平洋の軍事バランスは、2020年代後半に中国にとって最も有利なピークを迎える。アメリカも日本も防衛支出を増強しているが、いずれも遅すぎる。習近平が行動を起こすとみられている2027年までに、日本は、ようやくGDP比で2%の防衛費を確保できるかどうかである。台湾も日本も自国防衛のために十分な準備をしていない。
おわりに――大軍拡がやってくる
以上、コルビー氏の軍事戦略は、中国軍タカ派の西太平洋制圧をめざす戦略を真正面から受け止めたものという印象を受ける。中国の野望を反覇権連合によって阻止し、アメリカに有利な勢力均衡状態を維持しなければならない、そのためには日本も韓国もそれに台湾も、軍拡を急ぎ、中国に対峙せよというものだ。コルビー氏にとっては軍事力だけが抑止力である。これから、日本はアメリカにおそろしいほどの軍事負担を要求されるだろう。少数与党の石破政権は苦しくなるのではないか。
だが、アメリカの大統領は、明日何を言い出すかわからない、気まぐれな人だ。コルビー路線がトランプの大統領任期の間、一貫した軍事外交政策となるかどうかはわからない。すでにASEANの主要国インドネシア、マレーシア、それにタイは、中・露よりのブリックス(BRICS)に参加の意向である。コルビー氏の期待通りには動いていない。
いまのところ、トランプ外交で予想できるのは、不法移民の大量送還、イスラエルによるパレスチナ人皆殺しの容認、ロシアにウクライナの占領地域を割譲する可能性といったところである。やがて、トランプはプーチン・金正恩と結んで中国と対立したり、あるいは習近平に接近して南シナ海はもちろん、東シナ海も中国に譲り、台湾を見殺しにしようとするかもしれない。
これからの4年間は混乱の時代である。 (2025・01・25)
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〔opinion14080:250131〕