ドイツは社会的に憲法9条を創出した

<三上治:社会運動家・評論家>

 8月は戦争について僕らが考える季節だ。若いころは暑い広島に出掛け、デモをやったこともあった。また、ある時期は書評紙で時評をやっていたが、この季節になると論壇のテーマが戦争になって行くのを知った。儀式めいているという思いがしないではなかったが、戦争が国民的課題として大きな位置を占めているのだと納得もし得た。戦争について論壇で展開されるものは時代によって大きく変わってきたが、変わらないのは戦後に国民的意志として深まった非戦の意識であろうか。僕も8月になると戦争についての議論や認識にいつもの月よりも意識が向くのだが、今年に一番注目しているのはなにだろうか。ドイツの原発からの撤退である。

  ドイツの原発からの撤退には福島の原発震災が大きな影響を与えていることはいうまでもない。本当は日本こそがその先陣を切らなければならないことだったと思えるが、これは福島の原発震災の世界史的意味を真っ当に受け止めた事だと言える。福島の事件は人類が放射線との矛盾を社会的に示したことである。放射線と人類の問題は第二次大戦におけるアメリカの核兵器の使用としてあらわれ、これは戦争観の問題に大きな影響を与えてきた。戦争は人類史的行為として避けられないことであり、国家は戦争を宿命のように背負っているという思想に反省を促すものであったし、歴史的な戦争観の解体の契機にもなった。日本の憲法9条はそれを最も尖端的に表現するものであった。だが、放射線を兵器に使うこと、またその現実的な使用について闘うことは人類史的課題であることが登場したことに比すれば、放射線の社会的使用については必ずしもそうではなかった。原子力エネルギーの兵器としての使用(軍事的使用)に対する批判の意識に対して、社会的使用(産業的使用)は批判の意識が薄かった。「原子力エネルギーの平和的利用」というのはそれを象徴することであった。

 ドイツの原発からの撤退は放射線との社会的闘争を宣言するものであり、実践するものである。原子力エネルギーの社会化(産業化)は自然科学的知が社会に持ち込んだ現在の戦争である。自然科学的知が権力を媒介に社会に対して演じている戦争なのだ。放射線と人類との戦争を社会の場面に持ち込んできたのだ。その根源にあるのは知と権力であるが、ドイツの原発からの撤退は社会的な意味での憲法9条の創憲に匹敵するのだ。核兵器と原発の存在の同一性が論じられるようになってきたが、その差異は政治性と社会性であり、人類の存在に倫理的反する点では同じものだ。(8月7日)