新しい住居の環境
ドイツに来て既に10日以上たった。今回の居所は、いつものゲッティンゲンから車で約20分、Hardegsen(ハーデクセン)という小さな、しかし実に美しい町である。
ここは保養地とキャンプ地を兼ねた所で、周囲を緑で囲まれた静かな環境の田舎町である。
僕が厄介になっている家のすぐ横には、「クワパーク」(Kurpark)という静かな公園があり、その中の小道を少し行けば、Burg Hardegという古城に出会う。なんでも14世紀頃に作られたものらしい。壊れかけた城壁を残す、小さなお城で、今はその母屋の一角は役所として使われている。母屋のすぐわきに同じく石造りの小型体育館程の建物があり、ここは一部はSchenke(居酒屋)として、また中の広間はボーリング場(実際にはボーリングの玉のような穴がなく、もっと重いKugel=砲丸を転がす競技場)になっている。居酒屋の、いかにも城の中といった厳粛で落ち着いた雰囲気の中でビールを飲んでいて、時にこの競技場から歓声が漏れ聞こえるのには最初驚かされた。連れのドイツ人に説明されて得心がいった。
ともあれ、ここでの生活は、公園の中で暮らしているような好い雰囲気なのである。部屋の中で過ごしていると実際に暑さ知らずで、窓やドアを開けると涼しい風が流れ込んでくる。すぐにまどろみたくなるのが欠点ならぬ欠点である。
Burg Hardegの壊れかけた城壁と母屋
ただ、ここ数日間は、少なくともゲッティンゲン周辺は、天候が不安定で、突然のゲビッター(Gewitter=小台風並みの雷雨)に襲われたり、雹(Hagel)にあったりすることがあった。部屋にとどまっている限り何の影響もないのではあるが。
ここで少し横道にそれて落とし噺を一席。アメリカの現国防長官の名前は「チャールズ・ティモシー・ヘーゲル」という。少なくとも日本ではそういう呼び方で通っている。しかし、実際には彼の名前は「Hagel」であって、有名な哲学者「Hegel」と同じではない。ドイツ人に聞いたら、「Hagel」は「ハーゲル」と発音するれっきとしたドイツ人の名前で、決して「ヘーゲル」とは発音しないそうだ。なるほど、それでドイツのラジオは彼の名前を「ハイゲル(ヘイゲル)」というように発音していたのか、と納得した。お粗末。
「ドイツよ、お前もか!」-「売家」と「貸家」
日本の、特に東京の町の変化の激しさは他に類がないのではなかろうか。昨日まで立派な音楽ホールが建っていたと思っていたら、今日はまるで別の建物にすり替わっている。昨日見た景色と今日見る景色が、同じ場所とは到底思えない。
田舎ではそれほどひどくはないが、それでもここ10年、20年の間に昔懐かしい景観が次々に壊され建て替えられて行く様をよく目にするようになった。何より、かつての目抜き通り、賑わっていた商店街が、今では閑古鳥の鳴く「シャッター通り商店街」へと様変わりしてしまっている。行き交う人たちもほとんどが杖をつき、腰の曲がった老人ばかり、若者の姿はほとんど見受けられなくなった。「売家」と「貸家」の張り紙がやたら目につく。あるいは廃墟寸前に朽ち果てた家などもある。「ここはかつて○○屋さんだったな」と前を通り過ぎながらさびしい感慨にふける。「去年の雪や何処」。
その点、ドイツの町の変化は日本ほど激しくはない。特にゲッティンゲンのような「大学町」では、ベルリンやフランクフルト、ハンブルクなどの大都会と違って、時間がゆっくりと経って行く。毎年同じような風景に出会う。列車から外を眺めていて、「ヤコービ教会」(13世紀に建てられたゲッティンゲンの象徴的建物)の尖塔が見えると「ああ、帰って来た」という安堵の気持ちになる。ゲッティンゲンの駅前から旧市街地を散策していても、圧倒的に見覚えのある街並み家並ばかりだ。懐かしさが漂う。
だが、そのセピア色の懐かしい「前景」も、よくよく観察するとそこここでほころび始めているのに気づく。先ず、この数年間で「売家Verkauf」と「貸家(貸店舗)Vermieten」の張り紙がやたら目につくようになった。特に悲しいのは、歴史的な建造物や(ドイツの伝統的な料理を提供していた)歴史的なレストラン、居酒屋などが次々に閉鎖や廃業に追い込まれていることだ。今回も驚かされたのは、「黒熊亭Schwarz Bär」という名のゲッティンゲンの観光案内にもちゃんと紹介され、由緒正しいドイツ伝統料理の店として名高かった(建物は1600年に建てられた木骨家屋Fachwerkhaus)レストランが閉鎖しているのを見たときである。早速周囲の人に聞いて見た。「もう長いこと閉鎖しているよ」という。建物はそのままだが、窓ガラスはあちこち割れて、なんとなく廃屋のような雰囲気になっている。悲しい…!
そういえば、市庁舎の前の広場からわずか500メートル程度しかない目抜き通り(Weender Straßeという名前)を歩いていても、あちこちで「貸家」の張り紙を見かける。あるいはもうまったく新しい店に衣替えしてしまった所がある。さすがに文化遺産的な古い家を改築するようなことはしていないようだが、それでも外壁を塗り替えて全く新しい店に作りかえられたと思える場所もある。そのほとんどがアメリカ的なファッションの洋品店、ミニデパート、安売り店などに変わっている。
この変化をもたらしたものが何なのかは一概に言えないかもしれないが、日本でもよく指摘される同じ事態がドイツでも起きているようには感じる。つまり、車社会の急速な発達で、大型店舗が郊外に次々に建てられていったこと、それに伴って、「大型店舗法」の改定(規制緩和)などで、旧い個人商店や専門店が立ち行かなくなってきたこと。また、日本の「100円ショップ」のような安売り店やスーパーマーケットがあちこちに進出してきたこと、などがあげられると思うが、やはり一番大きな要因は、社会的格差の拡大により圧倒的多くの人たちが価格の安いものを買い求める結果、かつての専門店が孤立化したことが大きいのではないだろうか。
ドイツは旧い町並みを保護する目的もあって、「大型店舗法」の規制緩和には慎重だった。古い町並み家並を守ってきたのは、従来からの地元の商店であり、専門店だったからだ。それがここにきて急速に壊れ始めている。
この傾向は中級都市ゲッティンゲンだけのものではない。ここハーデクセンの様な田舎町でもそうだし、ハン=ミュンデン(ほら男爵のモデルと言われる「鉄髯Eisenbart」博士が住んだところとして有名)やハーメルン(「ハーメルンの笛吹き男」で名高い)のような観光地でも同じだ。
ハン=ミュンデンの市庁舎
都市周辺部のミニ開発と大都市の地価高騰
ドイツではミニ開発化がこれまたすごい勢いで進んでいるように思う。ゲッティンゲンの町もいつの間にかずいぶん外側に拡張されている。このことは、今回のようにバスで35分間もゆられて町まで出て行くことになるとよくわかる。こんなところまで開発し始めたのか、と驚くほどだ。ドイツはどこに行っても多くの森林と牧野(畑)が広がっていて、電車でだけの旅だとよく分からないのであるが、車やバスで走るとあちこちに新しい道路が建設されているのが目につく。これは産業用というよりも車人口が急速に増えた結果、車道を急造する必要に迫られ、それに併せて周囲の住宅用ミニ開発が進み、同時にスーパーマーケットなども併設されて、都市の外延を促していると考えることができる。ある種の悪循環につながっているのかもしれない。
おそらくこれらの諸事象と関連しているだろうと思われるのが、都市部での不動産価格の高騰である。ベルリンやハンブルグのような大都会では、ここ数年間の価格高騰の勢いはすごいと聞く。それこそ日本の「億ション」に匹敵するような価格になっているそうだ。
ゲッティンゲン市内でも、不動産の価格高騰はすごいらしい。僕らの大家(ドイツ人の友人)に聞いた話では、「とても市内では買えないので、こんな田舎に引っ越したんだけど、それでも予想以上に高かったのよ」となる。序でに言えば、ゲッティンゲン市内に住むドイツ人の友人たちは、会うたびに「なんでそんな田舎に住んでいるんだ。市内に引っ越してこいよ」という。「すぐ近くに好いアパートがあるから来い」と言ってくれる人もいる。有り難いことではあるが、お断りしている。ハーデクセンの環境が気に入っているのと、僕はドイツに「酒(ビールやワイン)を飲みに来たわけではない」からだ(正直、半分ぐらいはそのためではあるが)。
結論らしきもの
今回テーマにした「シャッター通り商店街とミニ開発と地価高騰」を現象面に限って追いかけてみたが、その背景には今日の米・欧・日経済の長期低迷と、グローバル化の進展、その強引な乗り切り策(新自由主義経済)の歪みがあるのではなかろうかと考えている。貧富の格差の拡大はドイツでもひどいようだ。「官公庁に勤めていて、定年後の年金生活に入った人たちは恵まれている」という声はよく聞く。様々な格差が広がっている。特にドイツでは、在独外国人問題が大きいようだ。僕の友人でその種の仕事をしているドイツ人に聞いた話では、最近ではパレスチナ、シリア、パキスタンなどから流れてくる人たちが多いという。周辺部の戦乱がたちまち影響するのは、ヨーロッパという国のおかれた地理的な宿命なのであろうか。(2014.7.13記)
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