ドル没落の序章ではなくて、追認にすぎない

著者: 三上 治 みかみおさむ : 社会運動家・評論家

8月7日

    8月7日付けの朝日新聞の朝刊は一面で「ドル没落への序章」という見出しの記事を載せていた。アメリカ政府の借入金額の上限問題カら端を発した国債の格下げは世界的な債券不安を呼び起こそうとしている。この事態に対して朝日新聞はドル没落の序章ではないかという分析をしているが、僕はこれに対してドル没落は既に起こってしまっていて、今はそれを追認しているだけに過ぎないと思っている。そしていつものことながら円高恐怖しそれに対する有効の対応策を持たない日本の政治的、経済的な指導層にまたか、という腹立たしいおもいを抱くだけだ。円高に日本政府や財務省は円売り=ドル買いという為替介入を行うだけであり、これが円安誘導にさして役に立たない愚行であることは明瞭である。また、大企業は生産設備等の海外移転を言うだけである。こういう光景を僕らは何度見てきたことか、と舌打ちしたくなる。

  1ドル=60円時代、いや50円時代がくることを見通して抜本的な対応策を考えなければならない。円高=ドル安は経済的な必然であることを認識し、それへの対応策を構築すればいいのだ。円高は現行では輸出産業にはきついとしても、円高は円の購買力が増すメリットはあるわけだから対応策はあるはずだ。輸出中心の大企業はそれなりの対応策を既に講じているだろうと思う。今、日本の政府や経済界がやらねばならない基本は戦後の日米関係の見直しである。その経済的枠組みの再編である。沖縄基地問題などでの政府の対応を見ているととても駄目かという思いもするが、戦後の日米の経済関関係の見直しをやらねばならない。基軸通貨としてのドルから離れることが軸になければならない。ドル建ての決済をかえること、ドルで外貨準備を止めること、ドル基軸に代わる国際的通貨係を模索することなどに進まなければならない。これには強い政治力や交渉力を必要とするだろうが、このためには国民的議論として起こることが重要である。日本も財政赤字問題は深刻ではあるが、国民の国債離れが起きてない今、また日本が債務国ではなく債権国である間にやらなければならない。これには二つのことが必須である。一つは戦後の高度成長(輸出産業主導型経済による高成長)幻想から人々が解き放たれ生活の生産と再生産を基軸においた経済社会への転換を進めることである。そして戦後の高度成長を支えてきた政治―社会の権力形態を中央一元的な統合型から分散―協調型に変えなければならない。これらは政権交代時に民主党が持たなければならなかった社会構想であったのだろうが、国民的議論からそれをやり直す必要が今あることだ。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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