ニュース寸想
見聞きする報道に私が感じたこと(というか、懸念というか)3件です。すべてが杞憂となって無意味な文となることを願いながら。
Ⅰ
私用のアドレスで公文書を扱った責任を追及されて公開に至ったヒラリー・クリントンのメールの中に、尖閣問題をめぐる日米のやりとりがあることが報道された(2016・1・31)。野田内閣が2012年に尖閣を国有化する前に、キャンベル国務次官補が佐々江賢一郎外務次官にメールを送り、事前に日中で協議するように要請したが、佐々江氏は楽観的に判断して無視したとのことである。当時、中国に在任していた丹羽大使も大きな問題になると警告、国有化を避けるように要請したと報道されていた。その中で野田首相があえて強行したのは自分の信念だけではなく、外務次官の楽観的な助言があったからとも考えられる。もしそうであれば次官は重大な失策をしたことになる。しかし、次官の責任は問われることなく、現在駐米大使という要職にある。外務省には内閣を越える仕組みが働いているようだ。問題を野田内閣に被せる陰謀を疑われても仕方がない。
また、2010年に鳩山内閣は普天間基地の徳之島への移設を断念したことが退陣のきっかけになった。移設の断念は、アメリカ側が外務・防衛担当官に対して、候補地の徳之島が訓練地の沖縄本島中北部から約104カイリ離れており、訓練場と部隊の拠点との距離を65カイリ以内とする基準を大きく超えていて無理だと説明したためとされている。最近になって民主党原口一博議員がこれをとりあげ、交渉を報告してその基準を鳩山首相に示した文書について質問したが、政府は公開を断った(2016・2・22)。ところが、朝日新聞はアメリカ側のマニュアルにその基準が記されていると報告した2010年4月19日付の極秘の内部文書を入手、在日米軍司令部にその基準について質問したところ「そのような基準はない」という回答を文書で得たと報道した(2・23)。この回答が事実であれば、鳩山内閣当時の日米の協議で、アメリカ側か日本側か、あるいは両者の共同でか、虚偽の説明を捏造したことになる。鳩山内閣は日米の官僚の妨害で潰されたというよく聞く観測が事実である可能性を示す。
昭和期に戦争が拡大していった原因の一つに、軍部の一部が政府の方針を無視して行動してもその責任を追及できなくなっていったことがある。現憲法の下で、行政機関が内閣の方針を無視し、妨害するのは主権在民の否定となる。それを放置して怪しまないのはかなり危険な状況といえないだろうか。
Ⅱ
最近、教科書会社が検定申請中の教科書を教職員に提供して意見を求め謝礼を渡していた事例が問題となり、同様の事例の有無を全国的に調査した結果などが報道されてきた。法令違反として処分・防止する立場からの措置である。
古くは、明治初期には教科書の制約はなかったのが検定制となり、採択も府県で1教科1種類となって教科書会社の売り込み競争が激しくなり、とうとう1902~3年に教科書疑獄事件が多数発覚して1903年に小学校教科書を国定に限ることを決定、1904年にまず修身・国語(読本)・日本歴史・地理から国定になったという歴史がある。このたびの不正事例防止の強調が次のステップへの布石でないかどうか。報道が不正ばかりに焦点をあてればステップを進め易くなる。地域ごとに1教科1種類に限られたところまでは明治期と同じである。異なるのは、明治期には採択に参加できる視学官や校長などの特定の人たちが汚職に関わったが、いまの例の多くは権限のない一般の教員に意見を求め関心を惹いているだけである。
いったい、教科書というのは学問的内容だけでなく、教室での使い勝手も含めて、できるだけ多くの意見を交換して練り上げていく方がよいに決まっている。選ぶ立場でいえばその過程が見えるほど選びやすくなる。欲を言えば1種類より複数を使える方がもっとよい。国定はもちろん、検定という制度もこうしたことを無視している。検定以前の教科書の公開を禁じているのは検定という行為の実態を知られたくないからとしか思えない。そういう事情を踏まえて、ことの根本を見えるようにするのが報道というものだろう。
お隣の韓国では2015年10月に歴史教科書の国定化を予告、学者や教職員の強い反対が起きて反対宣言には2万人が参加したが、教育部は参加者の懲戒を求め、懲戒を拒否した地方には刑事告発を示唆、警察も一部教員に出頭を求めて圧力をかけ、決定を繰り上げて11月に官報で国定化を告示した。2016年2月には小学校国定歴史教科書の一部が公開された。国定による書き換えは多岐にわたるが、慰安婦問題も重要なポイントだという。権力間の妥結ではこうしたことにもなる。韓国ではこれだけやりましたと言われたときに、日本も努力しましょうという理屈にならないとは限らない。
政治は先のステップを見ている。視野広く見ていないと、受身ばかりになってしまう。
Ⅲ
打ち上げのコースが人工衛星と長距離ミサイルとで区別しにくいというのは悩ましいことではある。しかし、ミサイルを一発だけ攻撃に用いれば反撃を食らって自滅となる。通常は現実的に判断されるだろう。いまや、地球上のあらゆる地域の上をさまざまな国の人工衛星が回っている。あの国のは怪しいと勝手に迎撃したりするのは不法な挑発で戦争を仕掛けるようなものである。
朝鮮が人工衛星と称して飛翔体を打ち上げるとき、日本が迎撃体制をとると発表するのはいまに始まったことではなく、2009年の時も、2012年にもそうだった。仮に、朝鮮が日本を攻撃することになっても100発以上持っているといわれるノドンで済むことで、貴重な長距離ミサイルを使うわけがない。長距離ミサイルは遠いアメリカが対象のはずである。人工衛星ではなく現実の危険があったとしても、それを迎撃するのは集団的自衛権の行使そのものである。集団的自衛権を認めていない段階で迎撃体制をとっても大手メディアから何の疑問も出なかった。現実の行為で集団的自衛権に慣らされていったのである。朝鮮を許しがたい敵性国家のように思わせる効果もあっただろう。
米韓は毎年春に合同軍事演習を行うが、2016年の演習は朝鮮の自称「水爆実験」の後だけに原子力空母、原子力潜水艦、特殊部隊を動員し、ゲリラ戦も視野に入れて例年の2倍近い規模となると報道されている。ブッシュJr大統領が朝鮮を三つの「ならず者国家」の一つにあげて以来、アメリカは朝鮮攻撃の作戦計画を持ち続けていたはずである。報道された韓国元高官の発言では、米国が1994年に寧辺核施設爆撃を検討したとき、反撃の兆候が見えた際に先制攻撃する目標は約2千箇所に上ったという。イランは外されたが、残った「ならず者国家」攻撃が再び現実味を帯びてきた。朝鮮戦争休戦以後、朝鮮は確かに韓国との小競り合いとテロ行為のいくつかを犯したが、半島の外で他国を侵略したことはなく、アメリカに現実的な脅威を与えたこともない。かっての日本は中国だけでなくインドシナ・タイ・南シナ海にも軍隊を進めたあげく石油禁輸と資産凍結の制裁を受けて戦争に踏み切った。それを自衛戦争という人がいるが、当時の日本よりはるかに力も乏しい朝鮮がもっと追い詰められている。2012年にアメリカは核放棄と不可侵条約を朝鮮に提案して拒否されたが、不信感の深さはいままで醸成されてきた敵性視を鏡のように映している。
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