今年の12月10日にノルウェーのオスロでノーベル平和賞が獄中の異端派劉暁波氏に授与された。朝日新聞夕刊(12月9日)に「授与式には各国の駐ノルウェー大使らが招待されているが、授賞に反発する中国政府が各国に欠席を要請。中国をはじめ、セルビア、ロシアなど19ヶ国が欠席を決めた」と報じられていた。ところが、10日の授賞式には、中国のほかに、ロシア、カザフスタン、コロンビア、チュニス、サウディアラビア、パキスタン、イラク、イラン、ヴェトナム、アフガニスタン、ヴェネズエラ、フィリピン、エジプト、スーダン、キューバ、そしてモロッコが欠席したが、セルビアの代表は出席していた。
セルビア外務省は、コソヴォ問題における中国ファクターを重視して、欠席を決定していた。しかしながら、ヨーロッパ唯一の欠席国となるな、というセルビア知識人的市民社会の猛反発とヨーロッパ、アメリカの圧力に直面して、授賞式直前に出席を決めた。市民保護官(人権オンブズマン)の職にあるサーシャ・ヤンコヴィチがセルビア政府機でオスロに急行し、式典に参加した次第である。同時にセルビア外務大臣の省決定である不参加は生きており、駐オスロのセルビア大使は欠席した。市民保護官は国家の役職であるが、勿論、外務省の管轄ではない。大使の欠席とオンブズマンの出席という形で中国と欧米それぞれの顔を立てたといえよう。
ポリティカ紙(12月11日)に駐セルビア・中国大使は、「アハティサーリのノーベル平和賞式典をボイコットしたセルビアの人々は、中国の立場を分かってくれるであろう。最後の瞬間に態度をかえたのは遺憾であるが、セルビアが置かれた重圧を考えれば、理解できる」と発言している。ここで中国大使が言う「セルビアの人々」とは、セルビアの常民社会のことである。アハティサーリとはコソヴォ独立に国際共同体代表として尽力したフィンランドの元首相である。
岩田の見るところ、ヨーロッパ・北米市民社会の中国に対する文伐が始まっている。劉氏個人の人権が欧米市民社会の関心の真の要めであるわけがない。かつて、1980年代中頃から経済大国日本に向かって仕掛けられた文伐は、いわゆる日本型経営の解体と新自由主義経済の勝利に帰着した。共産党独裁の経済強国・政治強国・軍事強国たらんとする大国中国の最も弱い環である「人権」を文伐すれば、蟻の一穴で長江の堤防も崩されるであろうとの読みもあるかもしれない。私達日本人は劉氏個人の人権尊重に十二分な関心を注ぎつつ、この問題がその内部に位置付けられている欧米的な経益・政益・軍益の文脈を看取しなければなるまい。欧米市民社会の政治的近代人は、他者の人権を真剣に本気で心配しながらも、同時に自分の利益のためには全く良心の痛みなく他者の人権を失念することができるのである。欧米の人権論的支援を受けて、ミロシェヴィチ体制を打倒し、新政権の要職に就いた外相ヴゥク・イェレミチが劉氏個人の人権よりもセルビアの国益を重視するのは、先生筋の欧米市民社会の論理と倫理に矛盾しない。
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