ハロッド中立型技術概念への宇沢弘文教授の貢献――マクロ経済学もマルクス経済学も人間社会の自己認識の営みであることを忘るるなかれ――

 11月27日と28日に「ブルマン!だよね」氏より興味深い意見をいただいた。
 かつては、中山仮説・岩田解釈だった。今や「ソロー=岩田型の労働価値説」に昇格した。中山教授は、日本の数理経済学の大御所。M.ソロー教授は、ノーベル経済学賞の受賞者。専門領域においてさえそれなりの仕事を成し遂げたかなと訝っているだけの私=岩田が私の専門外の理論経済学における第一人者と世界的権威とにカップルを組ましていただけるとは面映ゆい。

 価値論について。価値論と聞くと、労働価値論と効用価値論の対抗を想起する。私=岩田は、両価値にはさまれて、人間の経済生活は営まれている、と考える。

 初発的ソロー成長論では、国民所得の定常状態は、貯蓄率と人口(労働力)増加率で決まる。貯蓄率は、人間の意思で事情に応じて、ある程度可変的であるが、人口(労働力)成長率は差し当たり所与とするしかない。その限り、労働の規定性は否定しがたい。技術進歩を組み込んだソロー成長論では、プラスして、労働力能増強型(ハロッド中立型)技術進歩率が国民所得を決定する強力なファクターとして登場する。労働の規定力は更に強まる。両価値論の用語では、労働価値論側の世界に通ずる。
 しかしながら、議論はここでとどまらない。この次に最適成長論が登場するのが、マクロ経済学の常道である。ここでは、目的関数としての効用説が無くては、話が進まない。諸個人の効用を集計した社会的効用関数を想定するより他はない。諸個人の労働の集計より困難であるのはたしかであるが…。

 「カルドア的事実からソロー・モデルだけが帰結するのか」と、「ブルマン!だよね」氏は問う。ハロッド中立型技術を実装したソロー・モデルだけが帰結する、これが回答だ。
 学説史的に見てみよう。ハロッド中立性の初発的定義(ここでは説明を省く)とカルドア的事実とから、宇沢弘文教授は、1961年にハロッド中立型生産関数の現在形Y=F(K、a₍t₎L)を導出した。次いで、既述した如く、M.ソロー教授がY=F(b₍t₎K、a₍t₎L)とカルドア的事実とを前提にして、b₍t₎が棄却され、a₍t₎のみ生きる事を証明した。
 それ故、今日の中級(あるいは初級でさえ)マクロ経済学の教科書は、コブ・ダグラス関数にさえ、わざわざY=Kα(a₍t₎L)1-αと記す。コブ・ダグラスの場合a₍t₎をどこにおいても、経済計算上の意味は同じであるのに!つまり、ソロー残差の相当部分をa₍t₎1-αとみなしている。すなわちa₍t₎が実証される。


 「ブルマン!だよね」氏は、11月28日の論稿で、生産関数において「労働の代わりにⅩを置き……。その場合はⅩ価値説が成立し労働価値説は棄却される。Ⅹは例えば石油でもなんでもよい。」と主張する。確かに、生産関数においてだけ(「ブルマン!だよね」氏の場合)ではなく、ハロッド中立性の初発的定義文においても、カルドア的諸事実文においても、「労働」のかわりに「石油」を置いて、それぞれの命題が成り立っているならば、「石油」価値説もまた成立する。だからと言って、労働価値説は棄却されない。なぜならば、労働は定義文も諸事実文も満足していたからである。「ブルマン!だよね」氏にとって、残念ながら、「石油」はそれらを満足させない。したがって、「石油」価値説は棄却される。

      令和7年11月28日(金)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study1375:251130〕