バロック王・寺山演劇の“いま・ここ” (前編)

◉はじめに

 寺山修司の芸術活動領域は多岐にわたる、短歌から始まり俳句に詩、随筆・評論に小説、ラジオやテレビドラマ、芝居の戯曲、映画監督から演劇脚本・演出などなどで、そのメルヘンからアングラ、超現実主義的でありながら知的・論理的なセンスに同時代人たちは魅了された。論者も青年期に「家出のすすめ」や「書を捨てよ、町へ出よう」など読み漁ったのち、やがて上京し1977年「中国の不思議な役人」で寺山修司の演劇初体験をする。その後、78年に「身毒丸」「観客席」、79年に「レミング」「こども狩り」「青ひげ公の城」、81年に「百年の孤独」へと寺山演劇を体験するのだが、体験した1979年渋谷西武劇場の「青ひげ公の城」や渋谷ジャンジャンにおける「観客席」は衝撃的であった。その衝撃とは何だったのか?一言で言うなら「何が本当で何が嘘なのか?」という堂々巡りの思考の渦に飲まれたという他ない。あらかじめ仕組まれた偶然性を装ったセリフや出来事の中で、どこから芝居が始まりいつ終わったのか?どこからが台本上の出来事でどこからが現実の出来事なのか?その虚構と現実の不確かさの中で途方にくれたまま帰路につくといった具合であった。そのカルチャーショックは数日から数十年、意識の底に沈んだり、ふとしたきっかけで顕在化したりと伝染病のように論者の現実に感染していた。つまり寺山修司にとって演劇はラジオ・テレビや映画と違い革命にも似た表現行為であったということだろう。それは舞台の上の出来事も、観客の座る椅子も同じ時空間に存在する現実であるという自明性であり、翻って舞台上の演劇表現も観客の日常的現実もまた人間の作った虚構であるといった寓意であった。

■演劇装置としての社会
「演劇装置としての社会」という考えから言えば、我々を取り囲む生活環境の多くは人間の個の記憶が外在化[1](表象物化)し道具となって伝承されてきたものに囲まれているといえるだろう。また、「ことば、歴史、法律」なども人間が存在することと並行して築き上げられたいわば後天的な産物であり、それが文化という台本になっている。つまり、ひとはあらかじめ演劇的なコンテキストの中に産み落とされる存在になっているということだといえる。ということは本来的な意味でひとが単に存在するというだけの状況は、非表象の世界であるのだろう。
 それは道具だけに限ったことではない。オオカミ少年は、あらかじめ産み落とされた環境が人間の記憶の織物により構築された環境ではないが故に、人間としての社会的な約束事(身振り、手振り、ことば、法律、歴史)を身に付けず成長してしまう。それは人間を人間たらしめる後天的なまねび(学び)がなかったからであり、成っていくはずの自我の形成も不可能である。都会に生まれながらも監禁されて育ったカスパー・ハウザーにも似たようなことが考えられる。となるとわれわれとはあらかじめ後天的につくられる存在でありながらも、最初からこのような演劇性を産み出す社会の台本に収束されずとも生きられる可能性を秘めてもいる訳だ。
 ここで見えてくるのは人間社会が「演劇」なのではなく、「演劇性」をもつ環境であるということである。つまりそれを生きる登場人物はあるときは観客であり、またあるときは主役でありながら脇役でもある。加えここでいう演劇的視線の獲得は本来的な「実在の表象としての演劇表現」(=観劇体験など)を通し獲得されるのであってあらかじめ人間社会に演劇を見るわけではないだろう。
 ここで社会的な約束事(身振り、手振り、ことば、法律、歴史)としての文化の台本自体を疑い問うた演劇として寺山演劇が見えてくる。それは、16世紀後半に登場した「生と死を並置する演劇・革命につながる演劇・アレゴリーの演劇」としてのバロック演劇との類似である。
 演劇装置としての社会という観点から、現代の社会を考察すると、寺山の死後急速に変容した、自我を形成する社会環境の均質化、社会の演劇性の単一化という問題がある。それは高度に発達した記憶の外在化を促すテクノロジーであり、人間存在の夢や意識などあらゆるものを均質的で工業製品的な情報に還元し商品化してゆく力である。その果てに個人は情報の入出力の端末素材のひとつであるようにも扱われ、メタの世界で肥大した観念による肉体不在の演劇環境に置かれているともいえる。

■バロック演劇

 バロックはルネサンスに引き続き、16世紀イタリア、フィレンツェが発祥の地となり、絢爛豪華にカトリックの信仰を可視化したバロック芸術が生まれた。そのバロック芸術に特徴的な表現技法として寓意(アレゴリー)がありバロック演劇とアレゴリーの関係は深い。このような特色は演劇的世界にふさわしく、影響をあたえたバロックの時代自体が演劇的でもあった。事実、演劇は決められた劇場で上演するものだけでなく、宮廷の大広間、野外の庭園や式典、祝典などでも行われた。古典主義が安定した不変性と永続性を志向するものだとすれば、豪奢なはなやかさ、うつろい易い華麗さこそがバロックの本質といえる。また、劇場ではオペラや芝居に複雑で大掛かりな機械装置を使った。それらの技術効果には、垂幕を上げ下げすることによって、前舞台で演じられている劇が、舞台の奥深くに及ぶいくつもの場面と入れ替わるものがある。そこでは時間を空間の中でありありと描き出し、出来事の同時並列化によるアレゴリーに満ちていた。このような「時間をこの場へ変えること」つまり「現在の顕在化」の技法として劇中劇があり、バロック演劇の多くにこの構造をみることができる。たとえばコルネイユの『舞台は夢』では登場人物が見る劇を観客が見る、それ自体がまた劇であるという入れ子構造があり、シェイクスピアの『ハムレット』では王の亡霊やあの世の幻影から真実をあぶりだしてくる。
 スペインにおいては十六世紀後半になると、各地に劇場が建設され始め、演劇はめざましい発展を遂げる。舞台の幻想と生々しい現実との境界を曖昧にしながら「世界は舞台、人は皆役者」というスローガンが日常を演劇的世界観で彩っていった。そこに登場するのが新しい時間の観念、終末への予感を含んだ時間の観念である。華やかな舞台、豪華な祝祭も必ず幕が降りやがて死を迎える。「メメント・モリ(memento mori)死を思え」そこに悲哀の戯れ(トラウアー・シュピール)としてのバロック演劇があるといえるだろう。
 本論ではこのバロック演劇と寺山演劇を類比的に捉えて論を進める。寺山はしつこいほど、「人間の社会」という「日常的な現実の演劇性」に着眼しそれをモチーフにしている。それをひとことで巨大な近代(モダニズム)というシステム(台本)への警鐘であると捉えるべきではないだろう。その現実(=人間存在)に対する眼差しの奥に、或いは動機に、彼固有の「私」という存在の二重性の深淵から踏み出せない何かを感ずる。死への郷愁なのかあらかじめ失われている生の幻影なのか?その視点にバロック悲哀劇の思想を重ねて見ることは難しくない。

目的◉「いま・ここ」の顕在化・パフォーマンスとしての演劇

 寺山修司は演劇において、ラジカルに「演劇」の成立概念の枠を問い続けた。自明のことと思われるが、演劇という芸術の特質をあげるなら、それは絵画や彫刻などと違い、生身の人間そのものが観客と同時空間の実在のレベルで行うメディアであり、身振り手振りや発話することで成り立つ、了解された演技(フィクション)の行為とも言える。
 寺山修司の演劇、特に「劇場」から「市街劇」へ展開していくときに、その芸術は、テクストの再現から離れ、現実そのものの次元で行われる出来事、事件へと変容してゆく。それは「演劇」という手法を使ったパフォーマンスとも言え、バロック演劇の「現在の顕在化」と共通する。事実、パフォーマンスの身体というものを考察した場合、フィクショナル(演劇的)な身体と現実的な身体という二重性が浮かび上がってくる。ではパフォーマンスの身体とは何なのか、以下に(星野共『パフォーマンスの理解のために』)から引用する。……
「パフォーマンスは、いわゆる劇場で演劇や舞踊が行われるように、外部の環境と遮断した上で、音響や照明を効果的にコントロールしながら、あるフィクションの時空へ、幻想世界へと観客を誘うあり方とは、一線を画している。(……)パフォーマンスという表現の特質は、観客がいつも現実と地続きの自分を意識しながら作品世界に接しているところにあり、また、パフォーマンスを演る側も、フィクションという枠組みを背負った人物として登場するわけではなく、現実と地続きのアーティストとして半開きの状態で観客の前に現れるところにある。(……)日常性とフィクション性、現実世界と作品世界を二重に重ね合わせ、時に、適度にあいまいな距離を保ちながら、表現のフリーハンドを行使しようとするところにパフォーマンスの特質がある。こうした状態においては、観る側は、現実につながる身体と作品世界に向き合っている身体とに二重化されている。」星野共『パフォーマンスの理解のために』—熊本県立劇場広報誌「みーむ」1995年より
 寺山の演劇も半分だけ組織したコンテクストのなかで演劇のように事件が組成されてゆく。台本上のこととして表象化されながらも、半分は現実の偶然性を孕みながら二重化された出来事として演劇が進行していくのだ。観客が出来事の半分を受け持つこれが寺山修司のいう「半世界」の概念である。
 ここであえて問うべきことは寺山の演劇は実在の表象(模倣=ミメーシス)であるのかという部分である、確かに台本通りの台詞を役者が語る(=再現)演劇もあるが、パフォーマンスとしての演劇に関しては一回性の非ミメーシス的であり非表象的である。
 寺山演劇の根幹は実在の表象(模倣=ミメーシス)ではない、役者が台本通りに台詞を再現していてもそこで語られている内容は、実在と地続きであり、その演劇自体ではないなにかについて語っているからだ。ひるがえって解釈するなら、観客も含めた実在の現場もまた、一つのアレゴリーとしての解釈を促し示唆する。結果、それ自体の演劇的パフォーマンスからドラマ(感情移入された表象・ミメーシス=シンボル)を読み取ろうとしてもそれは役に立たない。なぜならそこで提示されているのは非表象としての人間存在そのもの、模倣ではないアレゴリーであり、ここにありながらもここでは無いどこか他のところを示唆しているからなのだ。
 ここで本論の仮説として「寺山修司の演劇は“いま・ここ”を探す演劇」であり「“本当の現実”とは何か?を問う演劇である」という説を挙げたい。人間が作った文化という台本を疑い「現実」を解体してく寺山修司はいわば「想像力のテロリスト」であり「アレゴリカー」なのである。

[1] 外在化extériorisation フランスの人類学者ルロワ=グーランAndré Leroi-Gourhan (1911-86) の用語。生命には種の記憶(ゲノム)と個が経験によって獲得する記憶がある。しかし動物の場合、後者の記憶はその個体の死によって消えてしまう。これに対し人間の場合は、個の記憶が道具のうちに「外在化」することで、他の個に継承され得る。人間の文化とは外在化された先祖の経験という第三の記憶を集団的に継承することなのである。———ベルナール・スティグレール ガブリエル・メランベルジェ/メランベルジェ眞紀訳『象徴の貧困』新評論,2006,

(続)

初出:ブログ「宇波彰現代哲学研究所」2020.1.13より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座https://chikyuza.net/
〔opinion9348:200114〕