考察◉20世紀芸術の転換
バロック演劇や寺山演劇に特徴的な「劇中劇」やフィクショナルと現実的な身体という二重性を持つ「パフォーマンスの身体」の提示は、「時間をこの場へ変えること」つまり「現在の顕在化」を促している。それは額縁絵画やプロセニアムアーチの中で括られた表現の境界に対する挑発であり検証であるが、時として冒涜やテロリズムでもある。
かつて芸術作品としての絵画や彫刻は芸術家の手を通してこの世に現れた。プラトンのイデア論を引用するならば、様々な物に分化する前の統一体「一者(ト・ヘン)」から「ヌース(知性、精神、理性。イデアを認識するための理性的能力)」が「魂」を経て、段階をふんで「質料(物質的な存在)」に行き着く。そこにあるのはラファエロのような偉大な芸術家が生み出した芸術作品でさえも、作品(物質)化以前の上位の内的形相やイデア界にそれ以上の洗練された根源的な善や美があるというものである。マルセル・デュシャンは大量生産品を提示することにより機械化・大量生産化されたモノはイデア界から無縁という意味で、あらかじめ「腕が折れている」という芸術観をアイロニカルに示した。それは新プラトン主義的芸術観の終焉に対して捧げたオマージュ作品「折れた腕の前に」(1915)である。このデュシャンのレディ・メイドの登場は古典的な芸術の終焉を意味するとともに、新たな現在“いま・ここ”への示唆に満ちている。芸術は歴史や神話の物語の再現ではなく“いま・ここ”で生まれて消えていく「現在というものごと」への問いであり、芸術家の手がイデア界からの触手ではないことへの表明である。
21世紀に入った現代では展示表現空間としての美術館・劇場・ギャラリーなどに限らず市街や野外での作品制作や設置表現まで違和感がなくなり、ランドアートやインスタレーションなどサイトスペシフィック(その場所固有の設置)な作品を多々目にする。それは“いま・ここ”性が顕在化する試みでもある。この20世紀からの動向は美術や音楽に限らず演劇も同様に試みられている。寺山修司の演劇は、演劇を成り立たしめている容れ物としての劇場や観客席そのものを題材にし、そこの場所をも台本に取り込みながら固有(サイトスペシフィック)の演劇的な行為を行う。逆遠近法的な劇中劇のようである。
次に仮説としての「寺山修司の演劇は“いま・ここ”を探す演劇」であり「“本当の現実”とは何か?を問う演劇である」といった部分の例をあげたい。
■社会の中の劇場で
※寺山修司研究1号「寺山修司 アレゴリーの演劇」三枝泰之より抜粋
寺山演劇が“いま・ここ”を探す演劇であるという説の一例では1979年の作品『魔術音楽劇バルトークの青ひげ公の城』(西武劇場)(※2003年寺山修司没後20年/パルコ劇場30周年記念公演として再演)がある。一般大衆向け雑誌の誌上で第七番目の妻を演じる女優をオーディション形式で公募し、選ばれたその女優山本百合子は最後まで「演じる役を探すという役」であった。そこにあるのは旧来の完成された脚本(テキスト)を忠実に役者が再現しながらも、書かれた台詞に対する台詞があることで、上演はパフォーマンス的にフィクションと現実が曖昧なまま進む、結果、与えられた台本さえもこの演劇に登場する大切な小道具になっていた。
寺山のこの作品では、台本上明らかに演じている存在から現実の存在への移行を暗示するような表現がある。それは、次のような舞台監督と少女のやり取り中5番目の少女の台詞にある。
以下、台本「第一幕 ごらんここが青ひげ公の城だ」から抜粋する。
まだ組み立てられていない城の装置が迷路のように立ちふさがっている。
裏方たちが忙しそうに立働いている。
どこからかコーラスの稽古をする声がきこえてくる。
一人の少女、大きなトランクと台本をもって、その作業をものめずらしそうに眺めている。「前へ進むのは、この世の終わりへ進むこと。ランボー」。人工的な照明の朝日がさしこむ。
舞台監督 だれ、あんた?
少 女 誰でもありません、まだ。
舞台監督 まだ?
少 女 これから、なるんです。
舞台監督 何に?
少 女 青ひげ公の七人目の妻にです。
舞台監督 そう。そりゃあよかった。あんたに決まったのね。台本は?
少 女 もらいました。
舞台監督 じゃ、わかるね、あたしが誰だか。
少 女 はい、舞台監督の根本さんです。(台本をひらいて)ここに書いてあるわ。
「舞台監督、じゃ、わかるね、あたしが誰だか」「少女、はい、舞台監督
の根本さんです。台本をひらいて、こうでしょう?
この台詞では、台本を開いてその開いた台詞を読む箇所を劇中劇的に括弧で括っているのだが、
「少女、はい、舞台監督の根本さんです。台本をひらいて、こうでしょう?
の部分の台詞は、閉じる括弧がどこにも見当たらなく——台本をひらいて、こうでしょう?——といった具合に、少女自身の現実の行為に移行し続いていく。それもまた台本上のことであるが、台本の中の台詞の中に、もう一つの台詞があってそれが演じるべき役から、現実を装う劇中の役へとスライドし行為が二重化する場面が存在している。これは作品の演出の意図から印刷上の誤植ではなく、明らかに寺山本人の意図的な文章構成の技術である。台本を使った入れ子的なレトリックに仕上がっていて、そして次のように劇は続く。
舞台監督 で、次は?
少 女 舞台監督がいいます。「あの正面が、きみの楽屋だからね。呼びにくるまで待っていなさい」
舞台監督 そう、それで鍵をわたすんだ。この鍵をね(とポケットから取り出し)しかし、いつも台本通りにやるとは限らない。何か、台本にないことでも言ってみようか。
少 女 (困惑する)え?
舞台監督 (いきなり芝居がかって)「さあ、着いたぞ、ごらん、これが、これが青ひげ公の城だ。お前の母親は喪服をつけ、父親は剣を腰につるし、おまえの兄は馬に鞍を置いている‥‥‥ユディット、おまえはそれでもついてく
るのか!」
少 女 (笑っている)
舞台監督 どうして笑うの?
少 女 それもやっぱり台本通りだもの。
この台詞もまた台本の中の台詞であると知りながらも、観客は演劇上(虚構)の中の出来事なのか、アドリブによる現実のことばなのか惑わされる。
(実際の舞台でもピンク色の表紙の台本を役者が携え劇は進んだが、終劇後パルコ劇場のロビーではその台本も販売されていた。)
観客は、その空間で飛交う台詞が、台本上のものであるのか役者のアドリブとして即興的に語られているのかの見分けも着かぬままその演劇のけむに巻かれていく。この登場人物の山本百合子(本名:佐藤 ユリ子)は声優などで活躍している(2019年現在)が、彼女にとって唯一の舞台作品でもあるこの演劇はオーディションに応募するところから始まっていたともいえる。そして最後に寺山が示唆するのは劇場の外にこそ本当の劇があり、劇場とはそれをも包み込む日常的な現実そのものなのではないのかというメッセージである。
他にも1970年『人力飛行機ソロモン』(高田馬場・新宿)、1971年『地球空洞説』(高円寺)、1971年『人力飛行機ソロモン』(フランス・ナンシー)(オランダ・アーヘム)の一メートル四方一時間国家、そして社会的な事件とも言える1975年『ノック』(高円寺・阿佐ヶ谷)1980年1981年『観客席』(渋谷・ジャンジャン)などがあるだろう。何れにせよこの寺山修司の演劇は“いま・ここ”を顕在化させる手法に満ちている。
■シェイクスピアと新プラトン主義
また「“本当の現実”とは何か?を問う演劇である」という説ではイギリス・ルネサンス演劇を代表しバロック時代の作家でもある。ウィリアム・シェイクスピアの例をみてみたい。彼に影響を与えているその時代のエートス・精神とは何なのだろうか?中世ルネサンス精神史を貫流しバロック期にも影響を与えている哲学・新プラトン主義があるだろう。
プラトンは、我々の属する物質世界、現象世界の上にイデア界(叡智界)をおいた。このイデアという概念は、プラトン哲学の中心概念ともいえる。イデアとは言ってみれば、完全にして普遍、永遠の真実性であり、物体としては捉えられない存在である。人間の感覚的世界の事物はこのイデアを原型とする模造であり、イデアを分有してのみ存在する。イデアは、人間の感覚的知覚の対象とはならず、理性的認識の対象である。シェイクスピアは新プラトン主義との関連・類比を演劇構造の特に劇中劇[1]として演出している。この演出技法は寺山演劇の中でもとりいれてあり共通の精神性を読み取れる。つまり舞台上の物語の虚構性を解体することで現実にある、「いま、ここ」を浮かび上がらせている。そのことによって現実そのものを虚構化していく。つまり「世界は劇場」であることを効果的に意識付けている。
「世界は劇場で、/男も女も役者に過ぎぬ。/退場があれば、出番がある。/そして生きている間にひとりがいろいろな役をやる。」これらシェイクスピアの台詞は人間存在を、イデア界から眺め形而上学的な視点で宇宙の入れ子としての現実存在と劇場の舞台を類比的に表現している。
こういった時代の精神・思想を背景に作られたのは戯曲のみならず、上演する容れ物としての劇場建築も同様である。シェイクスピアの戯曲が多数初演された劇場として演劇史に名を残している劇場はグローブ座(1599年)=地球座である。地球という舞台を寓意化し、劇場空間で繰り広げられるドラマに霊的な根源としてのイデア界と想像力の中で密接につながっていく。それは新プラトン主義の理念(イデア)論が生きていたルネッサンス演劇やバロック演劇などである。そこではシェイクスピアの演劇とその劇場グローブ座に代表されるように、この大宇宙に照応するものとして小宇宙(人間)をおくという考えで、その根源にむかう表現は「いま・ここ」にあり劇中劇などを通して「現在を顕在化」させることであることがわかった。その表現はアレゴリーに満ちている。
論者はこの時代の演劇の潮流が寺山修司の実験演劇とつながり共振すると考え、寺山修司の演劇を考察した。特に劇中劇はバロック演劇と共通する重要な演出技法であることがわかった。「いまここの現在性を切り開く・問う・宙吊りにする」といったところに置くとすれば、多くのアングラ演劇の試みがそれに該当する。またマルセル・デュシャンのアレゴリーとしてのレディメイド作品が示す「いま・ここ」は、単にイデア界と複製技術の関係を暗示しているわけではなく、根源に対する視点であることがわかる。同様に寺山演劇(アレゴリーの演劇)もまた「ここにありながら、ここにはない」という根源(理念界)への視点を示唆する演劇である。
◉まとめ
仮説としての「寺山修司の演劇は“いま・ここ”を探す演劇」であり「“本当の現実”とは何か?を問う演劇である」といった部分において、バロック演劇と寺山修司の演劇に通底するものが見えてきた。
寺山の演劇では劇場の中の虚構としての演劇も、それを内包する現実社会という劇場も同等の虚構性に支えられているのである。ここにありながら、ここではない場所。それは、壷のように中に何も無い空間=空虚を抱えることで壷としての役割があるように、人もまた死という形而上学的世界を抱えることで生を実感するといえるだろう。
寺山修司は自らの死を迎えたことで、「内なる現実界」に入ることが出来たのだろうか?それは彼のアレゴリーの世界——ここにありながら、ここにない、誰も見たことが無いという、死(根源、理念界)の内側への旅——であり、そこに行くことはすなわちここにいないことを意味するはずだ。しかしモノの世界(現実界)から彼の魂は呼びかけてきた。それは彼が象徴界(ことば、法律、歴史による世界)という虚構の世界からもうひとつの虚構の世界に単に移動したことを表すのだろうか?
屍体についてベンヤミンは次のように記している。――バロック的なのはデカルトの二元論だけではない、死によって精神が霊として自由になると、身体もまたいまはじめて、己れの権利を最大限に達成することになる。というのも、自明のことながら、肉体のアレゴリー化は屍体というありようにおいてのみ、徹底的に断行されうるからである。そして、バロック悲劇の登場人物が死ぬのも、ひとえにそのようにして、つまり屍体となって、アレゴリー的な故郷に入るためなのだ。不滅のものとなるためにではなく、屍体となるために、彼らは滅びる。(……)屍体の産出は、死の側から見れば、生にほかならない。手足の喪失をまつまでもなく、老いてゆく身体の変化をまつまでもなく、排泄や沐浴のすべての過程において、屍体的なものが一片ずつ身体から剥落してゆく。そして、生きている体から死物のように切り落とされる爪や毛髪こそが、屍体となったあとでもまだ伸びるのも、偶然ではないのだ。〈死を忘れるな(メメントー・モーリ)〉という警告が、肉体そのもののなか、記憶そのもののなかに、つねに目覚めてある。――[2](以上ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』より)という。
また寺山の死後「死の世界というもう一つの現実」をめぐる出来事がおきた。
――彼が亡くなったその日から、私のアパートの窓外に真っ黒なアゲハチョウが飛ぶようになりました。麻布の屋敷町の一角にあった古いアパートで、樹木に囲まれてはいましたが、十五センチはある大きな蝶は珍しく、窓を開けたら飛び込んでくる勢いだったのです。しかも、二、三日の間、去ることなく飛び続けていたのです。
また麻布十番の天井桟敷を解散して、直ぐ前のマンションを借り、劇団や映画制作のあとかたずけのために、人力飛行機舎の仕事をはじめた頃のことです。ファックス兼用の電話が鳴りました。出ると「もしもし、青森の一、三……」と言うのです。相手の声が受話器から外にも聞こえるものでした。「もしもし…」私が聞き返すと、電話はそれっきり切れてしまったのです。そばにいた事務員と一瞬顔を見合わせて、二人は同時に叫んでいました。「寺山じゃない?」聞きなれた寺山のイントネーションとあの独特な声だったのです。[3]――九條今日子『寺山修司研究vol.1たね』「さ迷いも収まって」より
アレゴリーの演劇を標榜して、ここにありながらここではない現実を見せようとした作者は、ここにありながらここではない場所からここの虚構性(演劇性)を暴こうとしたといえる。死の世界とは霊的な世界と言うことでもある。
寺山演劇は奔放多彩で寓意的(アレゴリカル)な表現でありバロック時代の演劇表現と通底している。「世界は舞台、人は皆役者」というスローガンは寺山修司の演劇的世界観でもある。華やかな舞台、豪華な祝祭も必ず幕が降りやがて死を迎える。「メメント・モリ(memento mori)死を思え」そこに悲哀の戯れ(トラウアー・シュピール)としてのバロック演劇=寺山演劇がある。両者を結びつけるものは、生と死を並置し寓意的(アレゴリカル)に表現することで、「いま・ここ」「歴史の現在性」という時間の裂け目から、本人も知らない根源や理念(イデア)界を垣間見ようとしたということである。
- 参考文献 『象徴の貧困』 新評論、2006 『アウラ・ヒステリカ』 株式会社リブロポート、1990S.モーゼス 合田正人訳 『歴史の天使』 法政大学出版局、2003 『ドイツ悲劇の根源』 法政大学出版局、1975 『ドイツ悲哀劇の根源』 株式会社講談社、2001ヴァルター・ベンヤミン/ゲルショム・ショーレム篇 山本尤 訳寺山修司 『魔術音楽劇バルトークの青ひげ公の城』台本 西武劇場、1979星野 共 『パフォーマンスの理解のために』—広報誌「みーむ」 熊本県立劇場、1995今井裕康 『観客はどこから湧いてくるか』—地下演劇12 天井桟敷、1978演劇理論誌 『地下演劇5』 天井桟敷、1972スラヴォイ・ジジェク 鈴木晶訳今西雅章 『シェイクスピア劇と図像学』 株式会社 彩流社、2008 『シェイクスピアを学ぶ人のために』 世界思想社、2000川田殖・熊田陽一郎・坂本賢三・清水純一・田中晶子 訳
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- 斉藤 環 『生き延びるためのラカン』 バジリコ株式会社、2006
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[1] 劇中劇 play-within-a-play 劇中世界の中で上演される演劇もしくはそれに類するものを劇中劇と呼ぶ。その典型はシェイクスピア劇『ハムレット』のなかで旅役者の芝居を宮廷人たちが観る場面などである。シェイクスピア劇全体に顕著な劇中劇的仕掛けは、舞台のうえに、実際に、あるいは想像的に、もうひとつの舞台を設定することで、舞台に生じたイリュージョンを破壊し観客に現実の舞台や劇場を意識させる一方、観客を、劇中劇を観る舞台上の観客と一体化させ、観客の現実を劇場化し虚構化するという二重の効果を上げる。シェイクスピアと同時代の演劇にも顕著な劇中劇は、演劇的世界観の反映であるとともに、現実を虚構と見なし、虚構を現実と見なすことで、転換期でもあったルネサンス時代の複眼的な視点とも関係している。 研究社シェイクスピア辞典より 研究社印刷株式会社
[2] ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』下「アレゴリーとバロック悲劇」株式会社ちくま書房、1999、139頁〜140頁
[3] 九條今日子『寺山修司研究vol.1たね』「さ迷いも収まって」国際寺山修司学会編、2007、173頁〜186頁
初出:ブログ「宇波彰現代哲学研究所」2020.1.13より許可を得て転載
http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-344.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座https://chikyuza.net/
〔opinion9354:200115〕