日本で居ながらにしてアメリカの銀行の口座からATMで日本円で引き出す。今や日本においても、たぶんアメリカでも何も特別なことではなくなった。ところがニューヨークに駐在していた八十年代の初頭までのアメリカでは想像でもできないことだった。どちらもパソコンもなければ携帯電話もない、ましてやインターネットやATMなど考えられもしなかった。技術的な条件ではどちらも似たようなものだったのだろうが、当時のアメリカの銀行は日本より不便だった。以下、銀行や金融に関わる仕事をしたこともない一消費者の実体験でしかないので適切を欠くことあるかもしれない。ご容赦を。
おそらく大恐慌の反省からなのだろうが、当時アメリカの銀行は事業活動を州内に限定されていた。ニューヨーク州の銀行はニューヨーク州内にしか支店を開設できない。そのうえ、小切手を現金に替えられるのは自分の口座のある支店に限られていた。事務仕事で毎日家と事務所の往復ならいいのだが、サービスマンとして毎週西はミネソタやネブラスカまでの出張があたり前の生活をしている者には不便この上もない。
赴任して直ぐ事務所の近くの銀行支店に口座を開いた。給料や出張精算は会社からは小切手でもらう。もらった小切手を現金化するには口座をもっている支店に行かなければならない。自分の口座から金を引き出すもの同じ要領で自分の小切手を現金に替える。同じ銀行でも違う支店ではもうちょっと手間がかかる。自分の小切手にその支店に口座を持っている人の裏書をもらわないとその銀行にある自分の口座から現金を引き出せない。
日本では小切手やクレジットカードなど見たこともなかったが、七十年代後半のニューヨークではなくてはならないものだった。出張に小切手帳を持っていっても、めったに役には立たない。出張も含めてフツーに生活するにはクレジットカードが欲しい。口座を開設したて支店で系列のBank Americard (今はVISAになった)を申し込んだ。”Too short of residence”(=居住期間が短すぎる)を理由に断られた。居住三ヶ月と正直に書いたのがまずかった。Bank Americardで断られても、断った理由が金融機関で共有されていなかったので助かった。American Expressに居住一年半と書いてグリーンのカードを手に入れた。
出張先での宿泊やフツーの飲食には使えたが、ちょっとしたところではやはりキャッシュになる。どうしても現金を持ち歩かざるを得ない。月曜に事務所に出て出張の準備をして、火曜から出張に出て金曜の夜に帰ってくる生活をしていた。月曜の昼飯の帰りに銀行の支店によって一週間分の生活費を下ろすことが多かった。ところがバタバタしていたりすると、つい支店に行くのを忘れてしまう。夕方になって気がついた時には支店が閉まっている。ろくに現金を持たずに出張に行くことになる。
American Expressのクレジットカードを貰えるまでの数ヶ月間、持っていたのは会社から支給されたAirline共通のAir ticketを買うだけの専用クレジットカード一枚だった。このカード、Airline以外にはなんの使い道もないものだったが、このカードのお陰で現金補給できた。Airline共通のクレジットカードがIDになった。チェックインするときに小切手を現金に変えてくれないかと頼のべば、チェックインカウンターの人が机の引き出しを見て五十ドルまでなら、二百ドルまでならと現金を渡してくれた。着いたAirportでまたチェックインカウンターに行って、なんともみっともない話だがしょうがなかった。まだ時代ものんびりしていたのだと思う。
慣れないところで慣れない仕事、それでも段々要領を得て余裕といえば聞こえがいいが、仕事の前に遊びを覚えてしまった。金曜日の夜ニューヨークのエアポートに戻ってきて、車を駐車場から出してロングアイランドを東に走って下宿に帰るはずなのだが、つい西に走ってしまう。毎週のように、出張に行かない時には週末以外の日も立ち寄る馴染みの日本のバーができた。
下戸が飲めもしないのにカウンターに座って、ちびちびやりながら店の人と世間話。英語での話は疲れる。今でもそうだがその頃はもっと疲れた。かと言って仕事の関係の日本人とは付き合いたくない。社内ではオフタイムまで上下関係がつきまとって気分転換どころじゃない。日本語でなんでも話せて、しがらみのない人となると日本のバーが一番だった。
バーでちょっと飲んで三十五ドル、そこにバーの売上の現金から二百ドル、三百ドルとつけてクレジットカードの請求額を二百三十五ドル、三百三十五ドルにして週末と翌週の生活費にあてる現金を調達した。
二ヶ月もすればクレジットカード屋から請求書が届く。小切手を切って返信封筒で送り返すだけ。銀行の支店に行く煩わしさから解放された。
マンハッタンの日本のバーが銀行代わりで言ってみればプライベートバンクだった。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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