プーチンの闇と欧米のロシア攻勢

現在、ウクライナ問題を巡って、ロシアと欧米の確執が取り沙汰されている。表面的には、一方は住民の意思尊重と民族・言語の自立性を主張し、他方は領土の一体性を堅持するという構図だ。この状況を前に日本のマスコミ界はもっぱらウクライナ・キエフ政権寄りの報道を旨としている。背後にはNATOの東方拡大を図り、意に沿わないロシアを追いつめようとする欧米の帝国主義的政策があり、米国ネオコンを中核とするイデオロギー的野望がそこに横たわっている。日本のマスコミはこうした流れの受け皿に徹し、ロシアや親露派勢力の側に立った視点を最初から切除して一方的な報道に終始している。あからさまな偏向報道になっているのだ。

これにたいして本サイト掲載の記事は、基本的にそうした偏向報道に抗して、ロシア側の主張や意図を汲み取り、かつ、欧米による巧妙な情報操作にメスを入れる形で共通している。事実経過にたいしては綿密なファクトファインディングの姿勢を崩さず、より客観的な記述に徹した論考であることは歓迎したい。これはちきゅう座ならではの快挙で、メディアの一端として誇りうる。本サイトのそうした自律性のある高質さを表すものとして、欧米とロシアの対立を新たな冷戦構造と見てとった、2014年3月22日の「時代を見る」における岩田昌征氏の論考がある。特筆すべきは氏独自の表現「逆ヤルタ」ではあるが、本サイトのウクライナ問題関係の発言者に共有する視点を鮮明にしていると見られるので、その核心部分を以下に引用してみる。

 

「1945年2月4‐11日にクリミア半島のヤルタでスターリン、ルーズベルト、チャーチルの三者会談が行われた。そこで第二次大戦後の中部・東部ヨーロッパの勢力分布図が決められた。ドイツは四占領地域に分割。チェコスロヴァキア、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、そしてブルガリアが100%ソ連の利益圏に組み込まれた。ギリシャは70対30の割合で西側に有利。ユーゴスラヴィアは50対50で東西に。

ソ連東欧体制の最末期(1989-1991年)に、ジョージ・ブッシュ(親)は、NATOが東独領へ入ることは決してない、ただ東西ドイツが一緒になるだけだ、とゴルバチョフに約束した。次いで、アメリカ大統領は、NATOが旧ワルシャワ条約機構諸国を加盟させることや旧ソ連領に入ることは決してしない、とゴルバチョフに約束した。ゴルバチョフはすべてを信用した。「そして今日、モスクワでパイ・レストランの宣伝をやっている」。約束は偽りだった。NATOは、旧ワルシャワ条約諸国を組み込んだし、旧ソ連のバルト諸国にも入り込んだ。これらの行為は、西側によるモスクワ騙しである。

1945年にヤルタで始まった中東欧政治ベクトルが1989年に反転して、逆ヤルタが勢いを増し、NATOがロシア国境に迫りつつあるということであろう。」

 

いずれにしても、欧米はロシアにたいして伝統的に排除の論理を突きつけ、ソ連がロシアに変わった以降もNATOという軍事組織の網で縛り上げようとする姿勢は一貫している。これにたいしてロシアは防戦一方(逆ヤルタ)で、政治舞台では孤立化させられ、2014年3月には一時的ではあろうが、G8から排除されている。経済舞台では豊富な地下資源を背景にBRICSを始めとする非欧米経済圏へと貿易相手の主軸を移そうと局面の打開を模索している。

以上が、今日までの欧米とロシアの対立の構図の概観となろう。本サイトの各論者はこうした前提を共通の与件としており、追い込まれたロシアに対してその視点に立った見方を解明し、併せて欧米の帝国主義的策動をあぶり出し、時には糾弾するというスタイルを取っている。

 

ところで、ロシアのプーチン政権それ自体に問題はないのか。民主主義のありよう、政権上層部と産業界との癒着・腐敗、報道機関への干渉・抑圧など、実はどれひとつを取ってもプーチンの周囲には大いなる疑問、疑惑が渦巻いているのである。プーチン政権のこうした闇の部分の解明は比較的明らかになっている。

事実経過はこうである。そもそも、首相→大統領代行→大統領という階梯を歩んできたプーチンであるが、実はこの階梯を駆け上がる誘因として大きな闇が背後に存在していた。1999年8月、プーチンは首相に任命されたが、同年9月にモスクワ・アパート連続爆破事件が起こった。政府はこれをチェチェン独立派によるテロであると見なし、プーチンが指導して第二次チェチェン戦争を起こし、制圧に成功し、知名度の低かったプーチンが一挙に国民的英雄にのし上がった。そしてこの年の大晦日、エリツィン大統領は引退を宣言し、プーチンを後継者に指名した。だが、後に明らかにされたところでは、アパート爆破事件はFSB(連邦法案庁:KGBの後継機関)による謀略であったという説がほとんど確実になった。当のFSB職員であったアレクサンドル・リトビネンコはフリシュチンスキーとの共著(中澤孝之訳『ロシア闇の戦争』2007年、光文社)で克明に事件を検証し、間違いなく事件はFSBによる謀略であったと立証している。事件にかんしては類書も多いが、この本は決定的である。なお、リトビネンコ自身は、この事件の起こる前、プーチンがFSB長官だった時期に、一部のFSB職員が嘱託殺人に関与しているなどの内部告発をしたことが当局の逆鱗に触れ、収監された経歴をもつ。

実はプーチンはそれ以前、1999年7月にFSB長官の時期、当時大統領だったエリツィンが汚職で窮地に陥った時、追及する検事総長のスキャンダルを暴露するという形で大統領を救命した。この貢献が端緒となり、エリツィンに取り入ることができたのである。

モスクワ・アパート爆破事件がFSBによる謀略であることは確実だが、プーチン自身がどこまで関与したかは定かではない。だが、プーチンは謀略論を否定し、FSB擁護の立場は一貫している。また、リトビネンコはその後イギリスに亡命したのだが、2006年11月に客死した。ロシアから差し向けられた刺客によって毒殺されたと考えられている。

さらに衆目を集めた事件としてはアンナ・ポリトコフスカヤ殺人事件であろう。新聞ノーバヤ・ガゼータの記者であった彼女は、チェチェン問題に深く立ち入り、頻繁に被災者へのインタビューを行っていた。プーチン批判と、彼の第二次チェチェン戦争の遂行とを論じた著書も発表し、ロシア国内での自由を抑圧しソビエト時代の独裁権力を構築したKGBとその後継のFSBを厳しく論難してやまなかった。上記のアパート爆破事件についてもFSBの謀略であると告発している。その彼女も2006年10月、何者かにより自宅前で射殺されている。容疑者は挙がったものの、真犯人は未だに逮捕されていない。ほかにもロシアでは政権に批判的な立場をとってペンを奮うジャーナリストの暗殺が十数件あり、いずれも犯人逮捕に至っていない。

また、ロシアのテレビ局は2000年以降、プーチンの強引な人事干渉もあり、どの局も政権寄りになっている。テレビではプーチンの賞賛や好意的批評ばかりで、批判や糾弾は期待しえない。要するに現在ロシアではジャーナリズムは政権批判に萎縮し、活況ある批判精神が沈黙させられているといっても過言ではない状況である。

政権と産業界との癒着はどうであろうか。これも大いに問題とされるところだ。ここでは詳しく立ち入らないが、プーチン自身が関与している産業界、軍産複合体などとの癒着はおよそ潔白とは縁遠い。また、政治に口出しをするとは不届きとばかり、大手石油企業ユコスを事実上崩壊させ、社長のホドルコフスキーをシベリア送りにしたのは周知のことだ。本サイト発言者のひとりである塩原俊彦はプーチン政権の腐敗を徹底して論難し、執念の一連の著作を公刊している。塩原によるプーチン批判に通底の主な著作は以下。『「軍事大国」ロシアの虚実』(2003、岩波新書)、『現代ロシアの経済構造』(2004、慶應義塾大学出版会)、『ロシア経済の真実』(2005、東洋経済新報社)、『ネオKGB帝国』(2008、ユーラシア選書)、『プーチン2・0』(2012、東洋書店)。プーチン批判からは外れるが、直近のものでは、Kindle版で『ロシアの最新国防分析』(2013)、『ウクライナ・ゲート』(2014)などがある。塩原のプーチンの腐敗関与にかんする著作は綿密さと資料網羅の精確さにおいて、わが国ロシア経済研究者中、他の追従を許さない。

以上ごく大雑把に見てきたように、プーチンの民主主義観はかなり歪曲され、政治的手法は権謀術数に長けている。だが、強調すべきは、上記の塩原にして、今回のウクライナ問題ではロシア側の言い分に主軸をおいて、欧米批判を展開していることだ。問題の所在はここにある。プーチン批判に執念の著作をものにしたあの塩原にして、なお欧米のロシア攻勢がはらむ帝国主義横暴、米国ネオコンによる欧米中心的世界観とそれに基づく経済体系の構築を批判・論難し、結果的にはロシアの立場を擁護しているのである。

つまり、プーチンがいかに独裁者であろうと、欧米によるロシア叩きには米国ネオコンの野望や帝国主義的恫喝、情報操作など、限りない不義不公正が見え隠れすることを無視しえないということだ。欧米はもともと宗教面でロシア正教には冷たく、ロマノフ王朝以来のロシア歴史事情への通暁度は低く、ソ連時代にナチス・ドイツ崩壊にロシアが寄与した貢献度の評価が高くなく、併せてロシア民衆がソ連時代に舐めた苦痛への理解が浅い。一言でいうならば、欧米はロシア・ナショナリズムにたいする配慮を欠く傾向がある。プーチンが国民的支持熱に支えられているのは、かれがこうしたナショナリズムを知り尽くしていることにある。

ウクライナ問題を巡って、ロシア側の主張を取り上げる事と、プーチンを肯定する事とは別である。また、冒頭にも述べたように、わが国マスコミ界が、あまりに欧米流一辺倒で、ロシア側の主張を素通りさせるスタンスを崩さないことから、本サイトのような立場は異議申し立てと真理探究の意味で貴重な存在として屹立していることを忘れてはならない。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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