塩原俊彦『プーチン2・0』―岐路に立つ権力と腐敗(2012年1月25日発行、東洋書店)
00年5月に大統領になったプーチンは、その後2期8年の任期を全うし、後継にメドヴェージェフを据えて自らは首相として4年間のあいだ「共同統治」(著者の表現)にあたった。すでに2011年9月にプーチンは2012年3月の次期大統領候補として名乗りを上げ、現在の情勢では有力な対抗馬もなく、次期大統領就任が大方の見方となっている。しかも今回の選挙では大統領就任期間がそれまでの4年から6年へと2年延ばされ、このままの情勢が続くならば、二期12年間の「プーチン時代」が開かれようとしている形成なのである。本書の標題もそのことを念頭においているのは間違いなく、その意味で本書は2012年3月のロシア大統領を巡る周辺的状況をひもとく格好の書として十分に位置づけられるものとなっている。
本書の構成は以下の全六章からなっている。序章「腐敗分析の新しい視覚」、第一章「深刻な腐敗問題」、第二章「反腐敗政策」、第三章「合法的暴力装置と腐敗」、第四章「プーチンの腐敗」、終章「若干の展望」。
見られるとおり、内容の本筋はロシアにおける腐敗問題、わけてもプーチン自身のそれを多方面から追尾する構成となっている。後で詳しく論ずることになるが、著者による腐敗追求の手は厳しく、一次資料の原典を駆使して徹底しており、プーチン問題、ひいてはロシアの腐敗問題全般に関心を寄せる向きには必読の書といってよい。
さて、以下に内容に立ち入って各章を概観してみよう。
序章「腐敗分析の新しい視覚」。ここで著者は、これまでの腐敗問題へのアプローチが、政治腐敗重視か経済腐敗重視かのふたつに限定されてきており、これでは不十分であると説いている。著者は、腐敗問題が社会理念としての正義の実現の問題であることを強調する。従来は、この正義論を説く際に①功利主義(幸福重視)、②リベラリズム(自由重視)、③コミュニタリアニズム(共同体重視)の三通りがありうるのだが、従来の立論ではこれら三つの立場の相互自覚的認識が不十分なまま、曖昧さを引きずったままであるという。しかも、いずれも腐敗の「結果」だけが考慮されているばかりで、それでは不十分であるとされる。すなわち腐敗研究の眼目はリベラリズムという正義の理論を重視した立場から問い直さねばならないとされる。
正義の理論を重視するには、人間の主体性が考察の出発点におかれるべきだとされ、権力者や服従者や腐敗行為者の、主体性が問題だとされる。この場合、とくに脅威や脅迫といった暴力が服従者の腐敗行為を促すものだと説いている。さらに、ロシアの場合、著者がとくに強調するのは「合法的暴力装置」である。それは軍、警察、検察、予審委員会、緊急事態省、諜報機関などである。これらによる「合法的暴力」が中央集権と地方分権のせめぎ合いのなか、複雑に錯綜しているのがロシアの現実だというのだ。
以上の諸前提を踏まえた上で、著者は本書の狙いをプーチンという権力者主導による反腐敗政策の形成や試行およびその成果などと規定している。
第一章「深刻な腐敗問題」。まず、現在のロシアの腐敗の現状はこうである。腐敗問題が賄賂の授受といった程度の問題ではなく、生命や財産を守るという政府の基本的な役割そのものが果たせなくなるほどにロシア全体を蝕んでいる、と。これほどまでに深刻なロシアの腐敗とはどういうものなのか。ここでは各種の国際比較の資料をもとに、ロシアの腐敗が浮き彫りにされる。たとえば、毎年トランスペアレンシー・インタナショナルが発表している「腐敗認知指数」とよばれる指数の推移が示される。それによれば、ロシアの腐敗はプーチン大統領就任後、漸次的に悪化していることが示されている等々である。
また、社会主義から資本主義への体制移行にともなって生ずる「国家捕獲」(state capture)については、それを世界銀行が非難することにたいして著者はやや弁護論的であるが、本質的には腐敗に関わっていると論難する点で世界銀行とも通底している。
また、社会に甚大な影響を与えた事件が未解決であったり、公正な裁判が行われなくなっている現状のロシアでは、過去の腐敗がそのまま現在の腐敗へと連鎖する構造をもっている点も見落としてはならないと著者は警告する。ロシアでは多くの犯罪が不問に付される一方で、不正を暴いたり当局を批判する者がしばしば「処刑」されてしまう。腐敗に抗してロシアの銀行改革に力を貸した人物があっけなく殺される土壌も紹介されている。著者はこれを「正義の味方は殺される」との標題で論じて、その脅威・威圧が今もロシア社会に生き続けていることを読者に示している。
第二章「反腐敗政策」。ここではロシアにおける反腐敗政策(法令)の推移が年を追って細々と展開されていく。これで明らかになっているのは、プーチン期に比べ、メドヴェージェフ大統領期になってからの方が反腐敗政策が進展してきていることだ。また、ロシアでは海外発注額の2割が不正に流用されていると見られ、少なくとも中央はこれを抑制していこうという姿勢をみせている。そして本章では国家発注をめぐる具体的な腐敗の構図が詳細に説明されている。そればかりでなく、問題が国際的規模に拡大するのが避けられない以上、本質的解決には第三国における腐敗にも立ち向かわざるを得なくなるものであるが、責任の所在を特定させるにあたり、ロシアはOECDの取りきめに準ずることをいとわないとされている。だが、反腐敗のための国際的取りきめは、先述したリベラリズムに基づく暴力装置の分散化や脆弱化を中心的課題にすべきなのに、暴力装置による権力作用の弱体化をあまり重視しておらず、結果として腐敗の改善に必ずしも役立っていないと著者は嘆く。
また、メドヴェージェフ大統領は、国家が株式を保有している株式会社の取締役会や監査会議のメンバーから現職大臣をはずすべくプーチンに求めたという。そうでもしなければ大臣の「兼職」を防げないロシアの実状が背後にあるのだろう。
ほかに、メドヴェージェフ大統領になって反腐敗政策はそれなりに成果をあげているようだ。かつては初犯で損失を賠償し、損失の5倍の罰金を支払えば免責として経済犯への罰則軽減を行っていたが、いまや有価証券市場における違反などの経済犯の初犯には、その犯罪によって個人や組織、国家に与えた損害を補償し、実害の5倍の金額を連邦予算に繰り入れることで、実刑を免れることができるようにしている。これは一見すると経済犯の刑罰を軽くするように思われるが、事実は経済犯罪事案に対するリアルなアプローチが示されることで腐敗防止の狙いがあると著者は説いている。
第三章「合法的暴力装置と腐敗」
ここではとくにロシア特有の「レイデル」という犯罪用語について、その概要が詳しく論じられる。レイデルとは「企業や不動産の不法な略奪者」、「非友好的な企業乗っ取り」をさす語であるが、実態はロシアの司法制度を巧みに利用して暴利を貪る合法的暴力装置、すなわち軍、警察、検察、税務当局、連邦保安局(FSB)などによる経済犯罪といってよい。著者はプーチンの周辺にはこのレイデルが多数存在していると推論している。
また、検察当局とは別に検察庁予審委員会というのが作られ、両者が対立するようになった経緯も詳しく解説されていて興味深い。大統領が本気で高級官僚や政治家たちの責任を追及するなら、この新たな予審委員会に期待するほかないと著者は説くが、一方でそれが統合されれば、それ自体が新たな暴力装置になりうるものとして警戒も怠らず、この辺の著者の論旨はやや曖昧で、評者の欲求不満が募るところとなっている。
さらに著者がこの章で特に強調するのは国防省軍における腐敗であろう。国防発注をめぐる予算配分や契約企業との癒着など、政府中枢でなければ関われない領域において、なお腐敗は進行蔓延していて、その防止は一筋縄ではいかないことが示されている。メドヴェージェフ大統領は軍人削減の方向に歩を進めているらしいことだけは確かだ。
すでに指摘したように、警察、検察、予審、軍、連邦保安局(FSB)、のほかに、ロシアの暴力装置には、連邦麻薬取引監督局、連邦警護局(大統領府や政府の警護)、連邦通信・情報技術・マスコミ部門監督局、連邦技術・輸出監督局があるという。これだけを網羅羅列するだけでも貴重な研究だ。しかし著者はそれらの逐一の連邦予算と実際の執行を年次ごとにまとめ、国防費の実態に迫ったり、その他の暴力装置の予算配分をつぶさに検証している。それによれば、いずれの場合においても、その名目上の予算配分は増加しているということだ。
第四章「プーチンの腐敗」
この章は本書の全体構成のうえでは本書の最終的結末が開示されるべき章となる位置づけが与えられてしかるべきものであろう。だが、結論を先取りするならば、それは必ずしも成功していない。プーチンが腐敗の温床を提供していることは本書全体を通じて理解されるのは確かだが、肝心のプーチン自身の腐敗にかんしては推論や周辺的傍証に止まっており、必ずしも決定的な証拠を挙げての断罪とはなっていない。
もちろん、本章ではプーチン人脈の主立った顔ぶれがそれぞれその具体的にその腐敗ぶりを検証されて興味深い。また、決定的な証拠は挙げえてはいなくとも、例えば、プーチンのサンクトペテルブルク時代の知り合いで、銀行関係に幅広く展開する人物を、サンクトからモスクワの連邦建設・住宅公共事業庁副長官に据えて、建設関連の国家助成に直接に関わることができる立場に引き上げた例など、傍証的挙証には事欠かない。さらには、プーチンを中心とする人物相関図の図案化したものまで作成し、著者の研究の深さ、文献渉猟の幅広さが思い知らされる。
終章「若干の展望」
この章では体制転換におけるロシアの特殊性、すなわち旧体制の諜報機関などを温存させたまま資本主義制度に移行したことに起因する難点が論ぜられている。いわゆるマフィアの暗躍である。著者はマフィアを「警備という安全保障サービス供給に特化した会社の一群」という定義にしたがって論じている。移行期のロシアで、財産の所有者や所有権をもった個人の取引が急増する中、財産を失う恐怖と信頼への需要増加が、その必要性を生んでいるとしている。しかも、その頭目の役割をプーチンが担っているとさえ断罪し、事態の深刻さに警鐘を鳴らしているのだ。
最後に本書の表題になった「プーチン2・0」についてであるが、これはもちろん、今年3月に実施されるロシア大統領選挙でプーチンが勝利するであろうことを既定事実として表現しているのである。著者によれば、権力者自らが腐敗している場合、一方では反腐敗の旗振り役にもなりうる。腐敗との闘争を看過すれば、権力者自身が国民から見放されるからだ。プーチンそのものが腐敗していると断定する著者には、プーチン自身が自らを厳しく律する姿勢を求めることに留まって、本質的に反腐敗政策に期待を寄せてはいない。つまりロシアの、プーチンの腐敗の問題解決は外部からの、外国からの監視や批判を不可欠とするというのだ。欧州人権裁判所などのような国を超えて介入できる仕組みに期待をかけている。ただ、評者として一言を呈したいのは、プーチンが腐敗の頭目の役割を担っているとすれば、それだけプーチンは権力から身をひいた時点で、政権の成り行き次第ではあれ、訴追される可能性も浮上しうるのであるから、その意味からもなお一層、プーチンが大統領選挙に執着しているのではないかという指摘があってもよかった。
おわりに
以上、本書の内容を概観してきたが、ここで本書全体の評を述べておきたい。本書は標題からもわかるように一般読者を対象としたものである。しかし、書かれている内容はかなり専門的で、ロシアの詳しい行政機構、司法機構に通じていないと理解しえない側面が多々ある。また、文献渉猟の深さは研究書物としての価値は高め、一般読者向けの書物においても同様であるが、本書は叙述方法において、あまりに専門的分野に食い込みすぎる側面があり、しばしば読者を困惑させる。
なお、おそらく本書執筆の時間的制約のため、著者はロシア反腐敗活動の中心的人物ナヴァーリヌイ(アレクセイ・ナヴァーリヌイ)については、唯一注(本書78ページ)でしか取り上げてはいない。評者もこのナヴァーリヌイには多大な期待を寄せている。彼は法律家であり、一方では政党ヤーブロコの幹部でもあり、主としてインターネットにおけるサイトを中心に活動している人物であり、プーチン以外の候補に投票するよう呼びかけを行い、現在のロシア社会で急速に知名度を上げている。ただ、残念なことに、本評執筆時点で朝日新聞(2012年1月25日朝刊)によれば、政党ヤーブロコの党首ヤブリンスキーの大統領候補立候補が、立候補に必要な署名に不備があることを理由に当局に認められない見通しだという。プーチンの権力欲の深さと、同時にナヴァーリヌイの隠然たる影響力をプーチンが無視しえていない証左を物語るものでもある。
以上見てきたように、いくつかの難点を孕みつつも、本書は現代ロシアの腐敗分析を基軸として、ロシアの政治構造、プーチンをとりまく利益誘導網の広がり、ロシア政権上層部における利害関係とその人的絡み合いなどがこと細かく叙述されている。詳細な文献渉猟に基づいた一次資料の駆使により、緻密に叙述されており、ロシア政治やロシア経済を専門とする向きにはもちろんのこと、一般的にロシア社会全般の現状に少しでも関心を寄せる人々にとって、本書が必読の書であることは間違いない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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