プーチン訪日前のロシア情勢 (2)

外交上の孤立

外交上、プーチンが孤高を強めていることは明らかだろう。プーチンは2000年5月に就任した当初、当時の米国のジョージ・W・ブッシュ大統領とうまくやっていこうとした(最初に会ったトニー・ブレア英首相とも同じである)。彼の率直な接し方に好感をもったのである。だからこそ、2001年9月11日の同時多発テロを受けて、米国によるアルカイダ壊滅作戦を支援するためにキルギスでの米国の基地使用を一時的に認めるなどの友好的措置を率先してとったのである。だが、米国は2002年末、基地返還を露骨に渋り、恒久的利用さえ目論むようになる。この結果、プーチンは欧米諸国が簡単に約束を反故にするやり口に辟易するようになる。

とくにプーチンの心に深く刻まれたのは、親米政権としてジョージアでのミヘイル・サーカシヴィリ大統領(2004年1月)、ウクライナでのヴィクトル・ユーシェンコ大統領(2005年1月)が誕生した事件であろう(ついでにキルギスでも2005年にアスカル・アカエフ大統領政権が打倒された)。この背後に、米国の煽動があったことは明らかであり、だからこそ2005年12月、ロシア下院は非政府組織(NGO)を改正する法案を採択し、外国からのNGOへの資金流入を厳しく取り締まることにしたわけだ。さらに、西側ジャーナリズムが勝手に「アラブの春」と呼んでいる、2010年末以降、チュニジアから始まった中東の専制政治体制の相次ぐ崩壊もまたプーチンの危機感を高めた。民主化の嵐が自分自身をも飲み込みかねないことを痛切に怖れるようになるのだ。

民主化をカネの力で無理強いする新自由主義的な手法は決して正当化できないはずだが、残念ながら民主化を促すこと自体への批判は欧米諸国ではほとんど聞かれない。そこに、プーチンの不信感が募り、欧米への対決姿勢が徐々に尖鋭化していくのである。それを決定づけたのがウクライナ危機であり、プーチンは心から激昂したに違いない。選挙で選ばれたヤヌコヴィッチを暴力で打倒しておきながら、平然とロシアだけを悪者にする姿勢はたしかに許されるものではない。クリミア併合を契機に、ロシアは2014年からG8メンバーから外される事態になり、まさに外交的に孤立する(6)。それだけでなく、米国は日欧を巻き込んで対ロ経済制裁を実施、ロシアを排除する動きが広がるのである。

しかし、この日欧米の戦略的とは言えない近視眼的な対ロ政策はロシアの対中接近を促し、両国の民主化を遅らせるという現象につながっている。皮肉なことに、国連安保理の常任理事国2国の協力が深まれば、国連外交は頓挫し、非人道的な殺戮行為が起きてもまったく無力な状況に陥ってしまう。いまのシリアがその典型例だろう。

 

最優先課題は国家安全保障

孤高の人、プーチンが重視するのは国家の安全保障であり、それは彼自身の身の安全に直結している。2016年4月、大統領令によってプーチンは「連邦国家警備隊局」という連邦機関を新たに設置することにした。内務省軍17万人のほか、警官の一部20万人、特殊部隊や迅速対応部隊の3万人の計40万人ほどを同機関に移す計画だ。地方の管轄下にあった部隊を中央の管轄に移し、中央集権化をはかることで、テロ・組織犯罪・反政府活動などの取締りを徹底するねらいがある。2018年には新しい体制に移行する。加えて、註(5)に記したように、国家安全保障省を設立し、ソ連時代に存在した国家保安局(KGB)の復活が計画されている(7)。これは、まさに「プーチン独裁」に道を拓くものとなるだろう。

プーチンは2016年7月、「反テロ法案」と呼ばれる治安維持のための法案に署名した。とくに注目されているのは、インターネットやネットワークのオペレーターが2018年7月1日からインターネットによるメール、ファイルなどの情報をすべて3年間保管することを義務づけられたことである。そのコストは2.2兆ルーブルにのぼるとの見方もあり、早くもIT関連企業株が軟化している。反発が強く、早くも保管期間を1年に短縮する法改正が議論されている。

実は、2014年から12時間だけすべての契約者のインターネット上の情報を保管しなければならなくなっている。同年8月からは、インターネット利用者個人の利用情報を必要に応じて提供することが義務づけられ、そのデータを最短でも6カ月間、保存することになったという情報もある。ここでロシアでは、インターネット上のe-mailの内容を諜報するためのシステム、「作戦・捜査措置保障のための技術的手段システム」(SORM)が常時、運用されていることを思い出そう。これは1996年に運用が開始されたもので、その後、無線通信を含めた情報監視システムとして構築された。SORMの運用上必要な調整がすべてのインターネットやSNSのプロバイダーに課され、違反があれば免許が停止される。ロシア通信国家委員会、連邦保安局(FSB)、中央通信研究所、連邦通信・情報技術・マスコミ部面監督庁などがSORMの運営に関与している模様だ。

ロシア憲法第23条により、各人に通信の秘密に対する権利が保障されているが、裁判所の決定によってのみこの権利を制限することが許されている。SORMの利用のためには、裁判所の許可が必要になるのだが、裁判所によって許可が出された件数はベールに包まれている。だが、アンドレイ・ソルダートフとイリーナ・ボロガンの書いたThe Red Web(2015年)によれば、電話の会話やe-mailを、SORMを使って諜報する許可がおりた件数は2007年の26万5937件から2012年には53万9864件に急増していたという。この数字には、敵のスパイ活動に対抗するための対防諜活動のための許可は含まれていないから、SORMを使った諜報活動はさらにずっと多いと考えられる。

こうした動きは、中国で2008年に開催された北京五輪での情報監視システムを参考にして、ロシア政府がソチ五輪開催に向けて用意周到に準備を進めてきた証拠と言える。ソチ五輪の前年の2013年には、FSBが推奨する「SORMブラック・ボックス」である「オメガ」というプログラムをインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)にダウンロードするように命令が出され、従わなかったISPを罰していたことがわかっている。だからこそ、米国務省は2013年8月、ロシアを旅行するときには電話や電子通信が監視の対象になるかもしれないから注意するよう警告を発した。2013年11月8日には、メドヴェージェフ首相は五輪の組織運営者、全参加選手、審判、ソチにやってくる数千人のジャーナリストを含む、SORMの監視対象者のリストアップを命じる命令に署名したのであった。

反テロを理由に急速に国家権力が強化されているのだ。2018年のサッカー・ワールドカップの開催がますます国家安全保障を錦の御旗とした国家権力強化につながっている。いま問題になっているのは、暗号化された通信に対する対処法である。すでに暗号化されたデータ通信は5年ほど前でも幅広く利用されるようになっていた。日本では、匿名通信システムトーア(Tor)のことを知る日本人が少ないかもしれない。2013年、エドワード・スノーデンは、米国政府がSNS関連企業のサーバーから個人情報にアクセスできるシステム(PRISM)の存在を暴露した。英国のガーディアン紙の報道では、PRISMの極秘資料のなかには、「Torユーザーの匿名性を打ち破ることはできなかった」と書かれていたという。だが、その後、ブラウザのバグや構成ミスが発生した場合、Tor利用者が特定されてしまうケースがあることがわかっている。

もちろん、犯罪情報の伝達のためばかりTorが利用されていたわけではない。現に、Torを利用したからといって犯罪者にはならない。だからこそ、暗号情報への規制が問題化しているわけだ(8)

脚注

(6) こうした外交的孤立をもっともわかりやすく示しているのは、2014年11月にオーストラリアで開催されたG20であった。トニー・アボット首相(当時)はプーチンに対して露骨な待遇をする。昼食時に、ブラジルのジルマ・ルセフ大統領だけが離れて座っているテーブルにプーチンを座らせ、事実上、一人で昼食をとらせたのである。怒ったプーチンは「ワーキング・ブレックファースト」に出席することなく、ブリスベンを去った。

(7) 「反革命・サボタージュとの闘争に関する人民コミッサールソヴィエト付属全ロシア非常委員会」(VChK)が1917年12月、人民コミッサールソヴィエトによって設立された。VChKはその後、国家政治総局(GPU, 1922年)、統一国家政治総局(OGPU, 1923年)、内務人民委員部(NKVD, 1934年)、国家保安人民委員部(NKGB, 1941年)、国家保安省(MGB, 1943年)、国家保安委員会(KGB, 1954年)のように変化する。これらは「チェーカー」と総称される秘密警察のような機関だ。

(8) ここで紹介した事態は日本でも起きていることに留意しなければならない。東京オリンピック・パラリンピックの安全な開催を理由に、日本でも安全保障を名目にした国家権力による横暴がすでにはじまっている。この事実にマスメディアが鈍感なことも心から懸念している。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

〔eye3681:161003〕