(2) ロシアの経済情勢
「ロシア経済は底を打った」というのがUMJロシアファンドの大坪祐介マネージング・パートナーのみたてである。筆者も基本的に同じ意見である。とすれば、日本によるロシアへの経済支援は不要ということになる。現にロシアが求めているのは経済協力にすぎない。
まずここでは、ロシア経済の状況について概観しておこう。『経済の諸問題』の2016年10号に掲載されたメドヴェージェフ首相の論文が参考になるので、本稿では、この論文をもとにロシア経済の現状を考察してみたい。
まず、1995年のGDPや最終消費を100としたときのそれらの伸び率の推移を示したグラフをみていただきたい。実線で示されたGDPは2015年こそ下がっているが、2008年のリーマンショック後の落ち込みから順調に回復傾向をたどってきたことは間違いない。最終消費もまた2015年には減少したが、1995年に比べれば、2倍以上の水準を保っている。一時期心配されたインフレ率も落ち着きを取り戻している。原油価格の下落や対ロ経済制裁を背景に2014年12月にルーブルの価値が半分ほど下落したが、それもそれまでのルーブルが過大評価されてきたとみれば、その評価が是正されただけであり、ロシア経済が深刻な状況にあるとは思えない。
(出所)Медведев, Д. (2016) «Социально-экономическое развитиеРоссии: обретение новой динамики», Вопросы экономики, No. 10, p. 8.
とくに際立っているのは、GDPに占める財政赤字の割合である。2015年のその割合は2.4%にすぎない。日本のそれは6.7%だから、その健全性は明らかだろう(もっとも日本がひどすぎるのかもしれないが)。メドヴェージェフは、「予算歳入構造が変化している。石油やガスと関係ない歳入割合はほぼ60%となっている」として、天然資源に依存した経済からの転換がはかられていることも、経済底打ちの根拠となっている。
資本流出にも歯止めがかかりつつある。2015年の資本流出は581億ドルまで減少した。2014年が1530億ドルであったことを考えると、大幅に減少している。2016年1-8月の資本流出をみても、99億ドルで、前年同期の508億ドルからみるとほぼ5分の1にまで削減されている。対外制裁で対外債務のローリングが困難となった銀行部門が借金返済を進めているのだ。銀行部門の対外債務は2014年はじめの2140億ドルから2016年央の1280億ドルまで減少しており、なんとか急場を切り抜けたことになる。
もちろん、中小の銀行のなかには経営破綻に追い込まれた銀行が少なからずある。2016年に入って、ロシア中央銀行は9月現在で、68行の活動を停止させた。2015年全体では93行だったから、いまでも厳しい状況がつづいていることになる。ここ3年間に279行の免許が取り消された。だが、これらの銀行の資産は銀行資産全体の約3%にすぎず、ロシアの銀行制度の根幹が揺らいでいるわけではない。
注目に値するのは輸入代替の進捗だろう。1998年の金融・経済危機の際、ロシア政府は食料などの農産物加工品を中心に輸入代替政策をとり、一定の成功をあげた。今回の経済危機では、対ロ経済制裁によって日欧米からの輸入が困難となり、それを代替する国内産業の育成が課題となっている。メドヴェージェフによれば、自動車輸送の分野でとくに輸入代替が進んでいるという。もちろん、輸入代替が急速に成し遂げられるとは思わない。だが、ロシアの追い詰めるはずの経済制裁が逆にロシア経済の浮揚の要因として働いていることはたしかだ。
経済政策に目を転じると、ロシア政府は工業発展基金を創設し補助金や国家保証を通じて産業育成に乗り出しているほか、中小企業家精神支援コーポレーションを設立し、すでに450億ルーブルを投じて経済の立て直しをはかっている。加えて、ロシア輸出センターをつくって輸出振興にも乗り出している。その成果はまだ無知数だが、日本政府が見下しているほどロシアは落ちぶれてはいないのである。
(3) 日ロの経済協力
最後に、日ロ経済協力をめぐる問題点について率直な意見を開陳しておきたい。それは、ロシアの現状に無知な者たちが対ロ経済「支援」に知恵を絞っている現実を皮肉くるものである。日本政府は対ロ経済「協力」として、①健康寿命の伸長、②快適・清潔で住みやすく、活動しやすい都市作り、③中小企業交流・協力の抜本的拡大、④エネルギー、⑤ロシアの産業多様化・生産性向上、⑥極東の産業振興・輸出基地化、⑦先端技術協力、⑧人的交流の抜本的拡大――をあげているが、「協力」が「支援」であると誤解して、上から目線でやってやるという姿勢の官僚が目立つ(9)。
批判したいのは彼らの取り組みである。世耕弘成産業経済大臣兼ロシア経済分野協力担当相の奮起を期待したい。率直に言って、経産省のロシア担当者は決して有能とは言えない。ロシアのことを知らない素人であり、そんな人々が8項目について政策を立案しても、素人のデスクワークにすぎないのだ。
1999年8月、筆者は佐野忠克通産省貿易局長(当時)主催の勉強会で話をした経験がある。もちろん、当時の通産省のなかでのことだ。たしか昼食をともにしながら語り合ったと記憶している。当時の通産省はまだ対ロ問題に真摯に取り組んでおり、いわゆる「エース」がロシアにかかわっていた。だからこそ、他人の見解に聴く耳をもっていたのである(10)。ところが、いまの経産省はエースからほど遠い人材を配置して、とってつけたように8項目に沿った日ロ協力をでっち上げようとしているのではないかと懸念される。自分の無能を認識できず、優れた専門家の意見に耳を貸そうともしないのである。
世耕はこうした現実を知っているのだろうか。筆者が世耕の立場にあれば、真の意味でのロシア専門家を探し出し、忌憚のない意見を拝聴するだろう。官僚のお膳立てに唯々諾々としているだけでは「いい仕事」は決してできないからだ(11)。
筆者が厳しい批判をあえてするのは、拙著『プーチン露大統領とその仲間たち:私が「KGB」に拉致された背景』(社会評論社、2016年)を上梓したにもかかわらず、日本政府のだれ一人として筆者に接触してこないためである。日ロ経済協力をするにあたって、平然と日本国民を拉致するようなロシア政府に対してなんのアクションも起こせない日本政府とはなんなのだろうか。もちろん、日本のマスメディア全体も同じである。本当にこの国はどうかしている。国民を守るという主権国家の基本を政府もマスメディアも失念しているのだ。
この厳しい現実さえ知らずに、よくもロシア経済分野協力担当相をしているものだと思う。ついでに言えば、日本でもっとも日ロ貿易に精通しているロシアNIS貿易会・ロシア経済研究所の岡田邦生研究交流部長に直接会ってアドバイスを求めようともしない大臣の姿勢に大いなる疑問を呈しておきたい(12)。ついでに言えば、ロシアの「KGB」が拉致したくなるほどロシア情勢に精通している?筆者にもなにも尋ねてこないのはどういうことなのだろうか。佐野忠克の姿勢と比べると、雲泥の差だ。
脚注
(9) 日本の官僚は中国の官僚に比べてお粗末であるとの強い印象をもっている。中国の官僚はロシアの政治家や官僚に対して、居丈高な姿勢を見せない。むしろ、ロシア側への敬意を常に忘れず、みごとなまでにロシア側を不快にさせることがない。これに対して、日本の官僚は親米という虎の威を借りて、ロシア側に上から目線で露骨に見下す輩が多い。これが筆者の直感的な印象である。
(10) 他人の意見に耳を傾けない人を筆者は軽蔑している。ワンマン社長で有名だった旭化成の宮崎輝さえ、筆者の話をメモを取りながら聴いていた。まだ新聞記者にすぎなった筆者に対してとった彼の行動に筆者のほうが恐縮したほどだ。こんな経験からみると、偉そうにふんぞりかえっている官僚は総じて自分がバカであることを知らない。筆者は拙著『すべてを疑いなさい:バカ学生への宣戦布告』(Kindle版)のなかでも指摘したのだが、自分の愚かさに気づいて努力することこそ重要なのではないかとつくづくと思う。
(11) 官僚については拙著『官僚の世界史:腐敗の構造』をぜひ読んでほしい。腐敗問題を真正面から論じた、日本では稀有の著作である。筆者は世界を空間と時間に分けて分析する努力をつづけている。世界を空間的次元から考察したのが拙著『ウクライナ2.0』であり、時間的次元から分析したのが『官僚の世界史』ということになる。マルクスが分析しなかった国家と官僚の問題にあえて挑んだ力作である。
(12) 岡田は、ヴォロディンの務めていた大統領府第一副長官の後任として、名前が挙がっているセルゲイ・キリエンコと太いパイプで結ばれている。キリエンコは1998年に首相だったこともある人物で、国家コーポレーション・ロスアトム社長を務めている。実は、彼は剣道を趣味としており、大の日本贔屓で知られている。その縁で、岡田はキリエンコと親しい。こうした真の専門家を特定し、そうした人々から忌憚のない意見を聴取しなければ、ロシア経済分野協力担当相の面目がすたるとはっきりと指摘しておきたい。ついでに指摘しておけば、民進党や共産党もロシア経済分野協力担当相の仕事ぶりを批判したいのであれば、似非ではない専門家に尋ねる姿勢を忘れてはならない。
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