合澤清氏主催現代史研究会が昨12日、明治大学研究棟で開かれた。293回目である。演題は「ヘーゲル法哲学研究-回顧と展望-」、論者は滝口清栄氏。
ジョン・メイナード・ケインズは、『雇用・利子および貨幣の一般理論』で次のように語る。「経済学者や政治哲学者の思想は、それらが正しい場合も誤っている場合も、通常考えられている以上に強力である。実際、世界を支配しているのはまずこれ以外のものではない。誰の知的刺戟も受けていないと信じている実務家でさえ、誰か過去の経済学者の奴隷であるのが通例である。・・・・・・。既得権益の力は思想のもつじわじわとした浸透力に比べたら、とてつもなく誇張されている、と私は思う。・・・・・。・・・早晩、良くも悪くも危険になるのは、既得権益ではなく、思想である。」(強調は岩田)
私=岩田は、社会の中に「じわじわとした浸透力」を発揮した個人Aの思想を社会思想と呼び、個人Aが社会について思索した思想を個人Aの個人思想と呼ぶ。ヘーゲルに限らないが、個人名を冠する社会思想史関係の研究会で拝聴していると、社会思想家個人の知的営為に関する精緻な分析に圧倒される。未知の草稿、未発表文、研究ノート、私信等々が発見されて、社会思想家の個人思想の内実が豊富化される。社会思想史研究者は、新資料に基づいて、従来の定説化した思想内容を刷新して、新解釈を私達に提示してくれる。そんな報告に耳を傾けていると、まことに楽しい。だが・・・・・・。
かつて、40年程前のこと、私=岩田は、『労働者自主管理』(紀伊国屋書店、昭和49年・1974年)においてマルクス・エンゲルスの未来社会像に関する古典的諸章句をⅠ所有論、Ⅱアソシエーション論、Ⅲ秩序論、Ⅳ分配論、Ⅴ計画論、Ⅵ国家死滅論、Ⅶ共産主義論の七カテゴリーに分類整理したことがある(pp.12-28)。そして、次のように注意しておいた。「1917年のロシア革命の成功までに公刊されており、当時の革命運動の共有財産となっていた諸古典は、ここで利用されるが、・・・・・・革命後十数年経過してやっと世人の目に触れるようになった諸古典は、ここで利用されないのである。社会思想としてのマルクス主義と個人思想としてのマルクスの思想は、当然ほとんど一体化しているにせよ、一応の区別を与えておかねばならない。」(p.29)
滝口清栄氏によるヘーゲル法哲学研究に関する充実した報告や先行研究者の知的刺戟に富むコメントを聞いていて、それらが充実しているが故に、知的刺戟に富むが故にこそ、上記の区別が意識されていないらしいことが気にかかった。ヘーゲルの『法(権利)の哲学』は1820年に出版されたと言う。ところが、ベルリン大学法哲学講義の筆記録は1973年、1974年に公刊され、ハイデルベルグ大学法哲学講義の筆記録は1980年代に公刊されている。その結果、20世紀前半までの国権論的ヘーゲル像が20世紀後半以降民権論的ヘーゲル像へと変容しつつあるらしい。
ヘーゲル没後50年、伊藤博文は、明治憲法起草を目的としてベルリンやウィーンの国法学者達の意見を求めた。その時に「じわじわとした浸透力」を発揮して、社会思想となっていたヘーゲル思想が国家哲学(国権論)的ではなくて、市民哲学(民権論)的であったならば、伊藤博文はどのように対応したであろうか。自由民権運動に脅威を感じてベルリンやウィーンに渡ったのに、そこでまた民権論に出会ったとすれば。
社会に関する個人思想と社会思想の区別は、ヘーゲル、マルクス等に限らない。福沢諭吉にも聖徳太子にもこの区別は生きる。例えば、聖徳太子のケースは極端であろう。今日、日本史学界において聖徳太子非実在論さえかなりの証明力を以って説かれている。私のような素人にとって反論できるレベルではない。
太子が実在しなかったとしたら、当然聖徳太子の個人思想は零であり、空であり、無であることになる。だからと言って、憲法17条が聖徳太子の社会思想として実在し、社会的生命力を発揮した事実は厳然と残る。
社会思想史は、諸個人の社会に関する真の思索の歴史に還元できないし、還元してはなるまいと思われる。
平成28年3月13日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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