ベオグラードの「誇りのパレード」デモ始末記ーヒラリー・クリントンの訪問との関係は?

10月10日にセルビアの首都ベオグラードに生起したいわゆる「フリガン」と警官隊5000人の流血的大衝突については、既に報告した(10月19日付「時代をみる」の中の『歴史の逆説―ユーゴスラヴィアの教訓』を参照)。そこでは、契機として同性愛者の人権デモ、「誇りのパレード」への反発と、背景として体制転換=資本主義化プロセスにおける失業・貧困化に起因するユーゴノスタルジーのねじれた発現とをあげておいた。

週刊誌ペチャト(2010年10月22日)のコスタ・チャヴォシキ(セルビア科学芸術アカデミー会員)は、この事件の別の面へ光を当てている。以下に要約紹介しよう。

―セルビアにおけるEU代表団長ヴュサン・デ・ジュルは「9年間この日を待っていた。万人は性的方向性への権利をもたねばならない」と語って、「誇りのパレード」を開幕した。セルビア政府の人権・少数者権利相スウェトザル・チプリチは、「この日はセルビアにおける自由にとって重要である。すべての市民は自分の自由を表明する権利がある」と言明した。また、ゲイ同盟のラザル・パブロヴィチは「性的方向性権利の推進」を要求した。しかしながら、セルビア憲法第62条第2項の定めるところによれば、結婚とは「男女間にのみ結ばれる」のであって、同性の諸個人間にも結ばれうるとは示されていない。ヨーロッパのさまざまな人権擁護法やアメリカ憲法によっても性的方向性の自由権を根拠づけられない。

法的に十分な根拠があるとは思われない同性愛者の性的方向性の自由権要求のデモンストレーションが法的権力、国家と警察の権力によって、しかも強力に守護されて実行されたのは何故か。コスタ・チャヴォシキの推理は以下のごとくである。

―警察官組合は「『誇りのパレード』への青信号が国際共同体(チャヴォシキ註、ワシントンとブリュッセル)の圧力の下に出された」と表明している。また、駐セルビアのアメリカ大使メリー・ウォリクもまた、ゲイ・パレードへの支持を表明している。自分が知る限り、アメリカは、オランダやデンマークよりも家族的価値が相変わらず尊重されている。そんな国の女性大使が何故こんな支持表明をしたのか。その理由は、10月10日という日付にある。10月12日にアメリカ国務長官ヒラリー・クリントンのベオグラード訪問が予定されていた。セルビア民衆が彼女を歓迎するとは言い難い。なにしろ彼女の夫は、アメリカ大統領として我が国を侵略し、コソヴォを占領し、コソヴォにアルバニア人国家を独立させ、諸外国にそれを承認するように圧力をかけまくった人物だからだ。それ故に、アメリカ大使館、セルビア政府、そしてセルビア警察はヒラリー・クリントンのベオグラード訪問を契機に大規模な抗議デモが発生し、その矛先が中道左派の親欧米(チャヴォシキは、キスリングQuislingという強い表現を用いている)政府に向かうだろうことを当然予期できた。そこで機先を制して、「誇りのパレード」をしかけ、民族派の活動家や指導者の大部分を逮捕・拘束した。その結果、ヒラリー・クリントンは、目立った反米デモに出迎えられることなく、無事ベオグラードに滞在できた。

岩田私見では、10月10日のベオグラード騒乱が、権力側の陰謀であったか否か、なんとも言えないが、あれだけの大量逮捕がなければ、10月12日には、1960年ハガチー事件に数倍する大衆的抗議行動がベオグラードで起きたであろう。

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