『冬の兵士』(Winter Soldier、72年)と『ハーツ・アンド・マインズ』(Hearts and Minds、74年)は、ベトナム戦争を正面から見据えたアメリカのドキュメンタリー映画である。
《証言だけなのにこの迫力はどこからくるのか》
『冬の兵士』はベトナム帰還米兵による証言の記録である。
彼らは少数派の反戦兵士として、71年に証言の会で発言した。
内容は、戦場の真実の告白、戦争犯罪への悔恨、ベトナム戦争停戦の訴えである。
ほぼ全篇、モノクロ画面のなかで、彼らは戦争体験を語り継ぐ。人が語るのを撮るだけで、映像はなぜこれほどに我々に迫るのか。それは事実のもつ衝撃力のためであるというほかはない。信じられないほどの、惹きつける力と、嫌悪させる力を、この90分の作品はもっている。
私はこの映画から次のことを感じた。
一つは、戦場は苛酷な現実であること
二つは、米国は戦争から教訓を学ばないこと
三つは、我々の「防衛」観に厳しい選択を迫ること
《戦争の現実・戦争の教訓》
第一。「苛酷」とはなにか。
作品パンフレットに従えば映画には次のことが記録されている。
▼ 人間性を消し、兵士を殺人兵器へと洗脳する訓練の実態から、ベトナム人を蔑視した戦略と命令、捕虜の虐待、組織的な強姦、虐殺、村落の徹底破壊の事実、普通の人間を怪物と化してしまう戦場での集団心理やパニック、そして帰還兵の心に決して消えることのない傷
このおどろおどろしい惹句は誇張ではない。この通りなのである。
一例を挙げる。ベトナム兵捕虜をヘリコプターで輸送する時の挿話である。
捕虜人数の算出に関して護送兵士は上官から「捕虜人数はヘリに乗せたときでなく降ろすときの数字を報告せよ」と命じられる。それは、時に護送途上に捕虜を空中から投下して殺害するからである。「ベトコン(注)とは誰か」と問われ米兵は「死んだベトナム人だ」と答える。ベトコンだから殺害するのではない。殺した途端にベトコンになるのである。ベトコンは兵士であるとは限らない。女性、老人、子供もそうである。すなわち米兵から見て敵対すると見える者は全てベトコンである。
第二。米国は戦争から学んでいないこと。
私がこの欄でイラク戦争帰還米兵の告白記録(09年9月29日「『冬の兵士』の勁さと潔さ」、09年10月10日「〈日米同盟堅持〉は無条件なのか」)を紹介したときに、「冬の兵士」の語源はベトナム戦争帰還兵の反戦証言に発すると書いた。それは誤りではないが、更にさかのぼれば、米国独立戦争に参加した言論人トーマス・ペインの言説に起源をもつのである。ペインは1776年12月に、苦戦中の米兵に宛てて、怠惰な「夏の兵士」と対照的な存在として、彼らを描いたうえで士気を鼓舞したのである。いま「冬の兵士」は、大義なき戦争を弾劾する米兵を意味している。米国はいまもイラクやアフガンで「冬の兵士」をつくっている。米国は戦争から教訓を得ていない。
《迫られる戦争への態度》
第三。厳しい選択とはなにか。
ベトナム人民は対仏・対米の長期抗戦で勝利した。日本の「戦後民主主義」は「抗戦の論理」の当否をどう考えるのか。新憲法の基本精神が非武装であると考えて素手で侵略者に抵抗するのが正しい在りようなのか。現実の日本自衛力は、米軍指揮下の「傭兵」性をもつ。その従属性を否定するほど、逆に自衛権」の具体的な在り方を論じなければならぬ。二作品に示される現実は、私に対して強い力で「平和ボケ」への反省を迫るものであった。対米従属に目をつぶる論者の反「平和ボケ」論とは異なる。「日米同盟の深化」から脱却するベクトルでの「平和ボケ」への自己批判のつもりである。「非武装中立」を重要な選択肢と認めつつ、私は映画から得た「戦争の厳しさ」の意味を強調したいのである。
《『ハーツ・アンド・マインズ』の多様な主役》
『ハーツ・アンド・マインズ』は『冬の兵士』ほど単純な構造の作品ではない。
「客観的な描写」に徹してベトナム反戦を描いた120分のドキュメンタリーである。
登場人物が多彩である。米国の大統領を含む「ベスト・アンド・ブライテスト」から無名のベトナム人までの「思想と行動」を、抑制された説明のなかで、この作品は見せてくれる。
『ハーツ・アンド・マインズ』の語源は、ジョンソン米大統領の演説中の「(ベトナムでの)最終的な勝利は、実際に向こうで暮らしているベトナム人の意欲と気質(ハーツ・アンド・マインズ)にかかっているだろう」という一節からきている。ベトナム人の『ハーツ・アンド・マインズ』の挫折を期待する発言は、彼らの堅固な『ハーツ・アンド・マインズ』の勝利に帰結した。このタイトルは皮肉が込められているのであろう。
特色を『冬の兵士』と比較すれば、米国指導者の傲慢さ、彼らのアジア人に対する人種差別意識、ベトナム人民の強さ・不屈の精神・健気な姿が映し出されていることである。
たとえば、当時の在ベトナム米軍司令官ウィリアム・ウェストモーランド(05年没)は米軍がベトナム戦争に負けたと思っていない。50万の軍隊を指揮したこの人種差別主義者は戦後になっても次のようにいう。
▼ベトナムは私から見れば、まだ成長途上の子供だ。成長には自然の法則がある。まず座り、這い、そして歩くことを覚える。走るのはそれからだ。/東洋では人口が多いから生命の値段が安くなる。生命は重要ではないのだ。/敵はテト攻勢のあと、息切れしていた。疲れてロープに逃げるボクサーと同じだ。だが、我が陣営のセコンドがタオルを投げた。
映画は米国での戦勝パレードを写しながら終わる。『ハーツ・アンド・マインズ』についての私の感想は『冬の兵士』へのそれと変わらない。
《なぜ・いまベトナム反戦なのか》
それにしても戦後40年もして、なぜ・いま「ベトナム反戦」映画なのか。パンフレットで知れる限りで背景説明をしておきたい。72年の『冬の兵士』の内容に人びとは衝撃を受けた。『冬の兵士』は殆どのメディアから黙殺された。しかし告白兵士たちの反戦団体は現在に続いている。
『ハーツ・アンド・マインズ』の監督は、三大テレビ局で優れたドキュメンタリーを製作したピーター・デイヴィスである。スタッフもアメリカン・ニューシネマ系の逸材を揃えている。そして74年に長編記録映画部門のアカデミー賞を獲得した。授賞式で司会をつとめた歌手フランク・シナトラが「映画に政治を持ち込むのは良くない」というと、女優シャーリー・マックレーンが「映画は真実を見つめて平和に貢献しなければならない」と反論し満場の喝采を浴びたという。
9/11を契機にこの二作品が米国で再認識されている。再上映やDVD販売が行われて好評を博している。日本上陸はその流れを追うものであろう。日本のメディアでは好意的な反応があったが、興行的な成功につながるかは未知数である。それで一人でも多くの人に観て欲しいと私はこの記事を書いているのである。
上映宣伝物に「ベトナム戦争勃発から50年」と書いてある。
今年は「韓国併合100年・日米安保50年」だけではなかった。南ベトナム解放民族戦線結成から50年でもあった。ベトナム戦争での死者は南北ベトナム人500万人、米兵6万人とされる。「平和な日本」の沖縄基地から、米爆撃機B52が北爆に飛び立ったことを忘れてはならない。
(注)米兵は「敵兵」をしばしば「VC(ヴィーシー)」と表現している。Viet-cong(「ベトコン」)の更なる略称であろう。「ベトコン」は、南ベトナム解放勢力(「南ベトナム民族解放戦線」〈「解放」「民族」の順序が変わる場合あり〉は60年12月創立)に対する米軍、南ベトナム政府からの呼称であった。日本のメディアは「ベトコン」を使っていたが次第に「ベトコン(南ベトナム民族解放戦線)」、「南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)」と書くようになった。現在は「南ベトナム民族解放戦線」とだけ表記するのが普通である。
■上映案内
東京都写真美術館ホール(恵比寿ガーデンプレース内)http://www.syabi.com
電話03-3280-0098
7月16日まで上映中。一本毎に定員入れ替え制。毎週月曜日は休映。
各日の上映スケジュールはホールへ照会して下さい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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