2012年2月、ベルギーのバンド、Univers Zeroが初来日を果たす。
私が始めてその音を聴いたのは確か1986年、私が高校2年生の時だったと記憶している。ストラヴィンスキーやバルトーク以降の現代音楽をロックでやったらこうなるのだろうな、と当時の私はそう理解した。ヨーロッパのアンダーグラウンド文化に心を馳せると当時に、Univers Zeroが放つ「暗黒」な雰囲気と、ロックなのにバスーン、クラリネットやヴァイオリンがメロディを奏でる楽曲に魅了されていたのである。
長い間、いつの日か彼らの演奏をこの目で見てみたい、と思い続けて来た。しかし、熱心なファンはいるものの、Univers Zeroのライブに大量動員は見込めない以上、正直、来日公演は無理だろうと思っていた。それでも、You Tubeで名曲『Dense』のライブ映像が配信されているのを見て、本当にこの曲がライブで出来るのか!と驚愕し、秘かに心を躍らせていたのだ。
http://www.youtube.com/watch?v=Vwjce5wcu4Y
その彼らが来日、 確かに彼らは私たちが想像していた通りのUnivers Zeroであることは確認出来た。しかし、リーダーにして作曲担当のDaniel Denisと直接話してみると、やはり日本のファンが今まで知り得なかった事実が明らかになった。
例えば、そのバンド名Univers Zeroは、今まで日本で「宇宙零」と訳されてきた。しかし、本来は「零の世界」という意味であることが分かったのだ。ベルギー出身のSF作家ジャック・ステルンベール(Jacques Sternberg)の小説『Univers Zero』を読み、ニュートラルな世界すなわち零の世界から何か新しい音楽を始めたいと思いついたのが、そもそものことの発端であったと言うのだ。
また、DanielはSF小説や幻想小説が好きで、Univers Zero以前にやっていたバンドArkhamやNecronomiconも、アメリカの作家ラヴクラフトの小説の中の言葉から取っているとのことが、インタヴューで改めて明らかになった(Euro Rock Press vol53, 星雲社, 2012, 掲載予定)。このような、文学作品を始め、ベルギーが生んだ画家ブリューゲルやボッシュ、そして中世美術が大好きで、また心理学の創始者の1人であるユングを愛読していたと言う。そこから多大なるインスピレーションを受けたと語るDanielは朴訥で少々不器用な芸術家そのものであった。
Univers Zeroの音楽は独特の雰囲気を持っているし、それはジャッケットアートにも表れている:
(二枚目のアルバム『Hérésie』, 1979)
だから何だか怪しい集団のように思われてしまうことが多々あったんだ、とDanielは言う。でも、それはあくまでも芸術上の表現に過ぎなかったんだ。あくまでもイメージにしか過ぎず、僕らはあくまでもそういうイメージをユーモアとして表現していたに過ぎないんだよ、と続ける。では、なんでそのようなイメージを前に出していたかと言うと、それは不器用さからだったと思うんだ。当時は、パンクブームがロック界を席巻していて、それへの対抗意識が少しだけ過剰だったということなのかもしれないね。売れているパンクとはまったく違うロックを提示したかったんだよ。
この話を友人の源氏物語研究者である助川幸逸郎氏にしたところ、氏は突然「村上春樹と同 じですね!」と熱く語り始めた。「ラブクラフト好き、ユングに関心あり、パンクが嫌い」という3つの要素が共通していると言うのだ。思えば、Danielと村上春樹は歳も近いだろう。Univers Zeroのファースト・アルバム『1313』が出たのが1977年、村上春樹の処女作『風の歌を聴け』が発表されたのが1979年、両者とも1960年代末の学生運動以降の世代に属すると言って良いだろう。
両者は日本とベルギーという国の違いはあるものの、同じ文化的土壌のもと創作活動を開始させたことになる。つまり、Danielや村上春樹だけではなく、この世代の若者は世界的に同じカルチャーの中を生きていたということにもなるだろう。学生運動という世の中に対する大規模な異議申し立ての中で、そのような主流派にいまいち乗り切れない所謂「拗ねたものたち」のカルチャーである。あるいは、ポスト学生運動のカルチャーとも言えるだろう。
そのカルチャーを土壌に、村上春樹は世界的小説家となる。その作品は各国後に訳され、国際的な知名度も高い。対して、Univers Zeroは確かに遠く離れた日本にも熱狂的なファンがいるとはいえ、村上春樹に比べればその知名度は及ぶべくもない。
では、その違いはどこから来るのだろうか? 助川氏曰く、村上春樹はマーケティングの能力がずば抜けていると言う(実を言えば、奥方がそれを担っているそうなのだが)。対して、Danielは自分でも言っているように、確かに不器用だ。
あの時代の一定数の若者達が、離れた場所に住み、互いに知ることはなくとも、共通の文化的土壌を基盤として創作活動を開始していたという事実は、21世紀に生きる我々にとっても十分に興味深い事実だろう。村上春樹の小説が世界中で支持されるのも、実のところ、共通の文化的土壌があったからかも知れないということだ。Daniel Denisと村上春樹、片や国際的大作家となり、片やアンダーグラウンドのロックシーンのカリスマとなる。だが、私は、どちらが好きかと言えば、もちろんUnivers Zeroのほうだ。Danielの不器用さほうが、芸術としてより普遍性に接近しているように思うからである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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