垣根越しの会話
この頃は、コロナ危機のため、近所の人たちとの会話は「垣根越し」で済ますことが多くなった。 最近、たまたま庭仕事をしていた隣人と言葉を交わすことがあったのだが、これも例に漏れず、垣根越しの会話となった。
隣人は、かつてベルリンの行政区 [*注] で区長を務めたことのある緑の党の政治家である。話題豊富で話好きの彼は、待ってましたとばかりに、その時ちょうど論争の的となっていた「ベルリン市のミッテ区に設置された『平和の少女像』の撤去要請」について話を始めた。 彼曰く:「緑の党は、みっともないよ。 一度は像の設置を許可しておきながら、後になって『設置した像を撤去せよ』なんて言うんだから。 こういう時こそ、(圧力に屈しないで)緑の党の格好いいところを見せられるチャンスだったのに…。」 彼はミッテ区の区長(緑の党)の対応ぶりに歯痒さを覚えたのだろう。「残念でたまらない思い」が、彼の口調から伝わってきた。
[*注] ベルリンの行政区:ベルリンには12の区 (独語-Bezirk)がある。 「少女像の撤去」を要請したのはミッテ区庁で、ミッテ区の区長はシュテファン・フォン・ダッセル (Stephan von Dassel) 氏である。 彼は緑の党所属の政治家。 ベルリンのミッテ区の公共の場に設置された平和の少女像
(2020年10月9日 撮影)CC 表示-継承 4.0 撮影者;Saga Eremit
ベルリンの少女像をめぐり何が起こったのか?
ベルリンの少女像をめぐる論争については、すでに日本のメディアも報道しているのでご存知の方が多いと思うが、簡単にその経緯を要約してみると:
➀ 9月25日、韓国系市民団体のコリア協議会を中心とする日本軍慰安婦問題対策協議会の推進によってベルリンの中心地ミッテ区の公共の場に慰安婦像が設置され、28日に除幕式が行われた。韓国系市民団体は、少女像は芸術作品であり、像の設置は「芸術作品の設置」として当地の関係当局に申請し、その結果、期限を1年間として許可を得た。
➁ 9月29日、日本の加藤勝信官房長官は閣議後の記者会見で、ドイツのベルリン中心部に慰婦の被害を象徴する少女像が設置されたことを明らかにし「撤去に向けて様々な関係者にアプローチし、日本の立場を説明するなどの働きかけをしたい」と述べた。
➂ 10月1日、日本の茂木敏充外相はハイコ・マース独外相とテレビ会談をした際に、「ベルリンのミッテ区に設置された少女像撤去のために協力してほしい」と要請した。
➃ 10月6日、茂木外相は記者会見で「ベルリンという街は東西分裂から一つのベルリンが生まれ、様々な人々が往来し共存する街となった。ベルリンの街にそのような像が置かれるのは不適切だと思う」と語った。
➄ 10月8日、ミッテ区は像の設置許可を取り消し、同月14日までに撤去するよう韓国系市民団体側に要請した。区は、「戦時中の性暴力に反対の意思を示すもの」として設置を許可したが、実際には第二次世界大戦中における旧日本軍の行為のみを対象としており、区としては日韓両国間の問題に関し中立の立場を取る必要があると判断した」との声明を出した。
撤去はミッテ区の自主的な判断に基づいているが、日本政府が撤去に向けて現地の日本大使館を中心に活発なロビー外交を行った結果とみられている。
《少女像撤去に反対する一連の抗議アクション》
ミッテ区が少女像の撤去を要請したことにより、一連の抗議活動が展開された:
✧ コリア協議会やその他の市民団体、ドイツ人の日本学研究者らを中心に「少女像の撤去要請の撤回を請願する」オンライン請願キャンペーンが打ち出された。これまでにオンライン署名した人たちの数は2700人以上となっている。
✧ 東京新宿の「女たちの戦争と平和資料館(Women’s Active Museum on war and peace)」の事務局長・渡辺美奈氏はミッテ区のフォン・ダッセル区長に、少女像の撤回要請に抗議する公開書簡 (2020年10月12日 付)を出した。書簡の中で渡辺氏は「私たちは、日本政府が外交的手段を用いて、『像を撤去するように』とドイツ政府に圧力をかけていることを非常に恥ずかしく思う」と述べている。
✧ 10月12日、ミッテ区議会の社会民主党(SPD)議員団は区庁に「モアビットに設置された平和の少女像を撤去しないように」と要請した。ミッテ区議会員のヤニック・ハン氏 (社民主党)は「慰安婦の像は戦時性暴力に反対抗議するために寄与する重要な記念碑である」と述べた。 さらに区議会の緑の党 (die Grünen)議員団も像の撤去命令を撤回するように求めた。
✧ 10月13日、コリア協議会の主催で少女像の撤去要請に抗議するデモがベルリンの(像が設置された)モアビットで行われた。
《当面は少女像の撤去を保留することに》
10月8日、コリア協議会は、裁判所に少女像撤去命令に対する効力停止の仮処分の申請を提出した。 コリア協議会のナタリー・ハン・ジョンファ代表は「ミッテ区のフォン・ダッセル区長は報道資料で、少女像を承認した都市空間および建築芸術審査委員会が慰安婦問題を巡る韓日対立を全く知らなかったかのように語っているが、申込書でも何枚にもわたり説明した。最初の許可手続きに問題がないだけに、このまま設置しておくことを主張する法的根拠は十分にある」と主張した。
ミッテ区が少女像の撤去に関して裁判所に判断を委ねたことにより、14日午後11時59分に設定されていた撤去期限は、その効力を失った。ミッテ区長は区裁判所の判断が下されるまで、少女像の撤去を保留すると伝えた。
少女像は何を意義するのか?
ベルリーナー新聞 (Berliner Zeitung)の10月13日付の記事で、著者のトーマシュ・クリアノヴィッチ氏 が、ベルリンの少女像をめぐる論争について論評している:
「この論争がどのような結末をみるのか? 答えは不確かである。今、ミッテ区は、自分たちの区を国際論争の紛争火元として見ているのである。
日本人は、今日に至るまで、自分たちの戦争責任を見直して反省することはなかった。日本の多くの第二次大戦の生存者たちは『自分たちは加害者ではなく犠牲者なのだ』と考えているのである。このようなスタンスが、外国に設置された記念碑を撤去する充分な理由となり得るのだろうか? 近いうちに、区裁判所が今後の措置を決定することになるだろう。」
皮肉なことながら、もし日本政府が介入していなかったのなら、ベルリンの少女像が、これほどまでに注目を集めることにはならなかったのではないだろうか。像の撤去騒動が起こっていなかったとしたら、少女像はいつものように椅子に座って、静かに、平和なベルリンの街を見つめつづけていたことだろう。誰にも邪魔されることなく…。 そして、ときどきは、通りかかった人が少女像に気づき、像を観賞し碑文を読んで、少女の横にある空席の椅子に座ることもあるだろう。
ベルリーナー新聞の論評は少女像について「記念碑は加害者を思い起こさせるものではなく、その犠牲者を思い起こさせるものである」と、述べている。
少女像が意義するものは、加害者ではなく犠牲者を想うことなのである。少女像を通して犠牲者を想うことによって、私たちの思考は促されるのではないだろうか。 こぶしを握りしめて、静かに椅子に座っている少女は、こう語りかけているようだ:「どうぞ、戦時性暴力の犠牲者となり、生き延びることなく去っていった私たちを思い起こしてください。私たちの苦しみをわかってください。私たちにエンパシー(共感)を懐いてください。どうぞ、私たちを忘れないでください」と。
以上
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参考記事:
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64359250Z20C20A9PP8000/
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec892f45150f5584ee87b9baf0c8b9616863db0f
https://www.asahi.com/articles/ASNB964B2NB9UHBI01Y.html
taz: https://taz.de/Trostfrauen-Mahnmal-in-Berlin/!5719528/
https://news.yahoo.co.jp/articles/f388a4220e06eb380977a56c0a0896fab3b6722b
https://news.yahoo.co.jp/byline/pyonjiniru/20201009-00202164/
http://www.zwd.info/friedensstatue-darf-bis-auf-weiteres-bleiben.html
berlin.de: https://www.berlin.de/aktuelles/berlin/6323851-958092-demonstration-gegen-entfernung-einer-fri.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4780:201102〕