2冊のポーランド語の書物を入手した。
第1冊は、『同志から資本家へ』(ヤン・チェンスキ著、2014年、ワルシャワ)で、「如何にして企業家達はポーランドをヨーロッパの最もダイナミックな経済に変えて行ったか」なる副題が付いている。
第2冊は、『ポジのプラスとネガのプラス』(リシャルド・ブガイ著、2015年、ワルシャワ)と言う妙な書名であり、「連帯なきポーランド資本主義」なる副題が付いている。
2冊とも1989年―1991年のソ連東欧型党社会主義経済崩壊で先陣をきったポーランドの資本主義移行四半世紀を総括する書であろう。私にはここで2書を全面的に紹介するつもりは無い。私が関心を持つポーランド労働者階級、ポーランドの党社会主義打倒の中心勢力であった重化学工業労働者大衆の資本主義移行期における運命にかかわる諸文章を紹介する。
かのレフ・ワレンサ、グダンスク造船所の電気工、1970年代と1980年代の戦うポーランド労働者階級のシンボル、『連帯』自主独立労働組合の創設者、党社会主義崩壊後の自由選挙で選ばれたポーランド大統領が第一の書に短い序文を寄せている。以下に抄訳・要約する。
「1980年8月 ストライキの中で、戒厳令下の夜に、地下活動で、困難な交渉の最中に私達が夢見た国の建設に、完全な勝利に至るまで、更にいかに長く困難な道が横たわっているかを、私達は自覚せざるを得なかった。」(p.7) 改革を断行した。社会の不満は大きかった。しかし「ポーランド人は耐え忍び続け、ポピュリズムやデマゴギーに屈することがなかった。感謝されるに値する。」「我国は25年前にくらべてはるかに立派に見える。しかしながら、更なる多くの労働、責任、賢明、そして相互的連帯が必要だ。」「グローバル世界はグローバルな協働を要求する。そしてグローバルな連帯を!」(p.8)
第二の書の著者は、戦うワレンサを1970年代と1980年代に支援し続けたインテリゲンチャ集団の中心人物、経済学者でポーランド科学アカデミー・経済学研究所で働いていた。研究所準教授。闘争勝利後は『労働の連帯』や『労働同盟』を創設し、1980年『連帯』労組の労働者主義を継承する政治家となる。下院議員を三期つとめる。
その後、ポーランドのEU加盟に批判的となる。『労働同盟』が左派連合『左派と民主主義者』に参加したのに反発して、離脱する。去年政権党『市民プラットフォーム』を打ち破って、政権党に復帰した『法と正義』の大統領アンジェイ・ドゥダの「発展国民評議会」のメンバーである。以下に彼の書から私の目に止った諸文章を抄訳・紹介する。
「すべての大きな社会集団は移行期に物質的に利得する所があった。しかしながら、利得の配分は大変に不平等であった。最大の利得者は私的企業家、経営者、専門家の大多数、そしてまた政治階級に属する人々である。利得の相当に小さい者は事務職、教師、そして農民である。最少利得者は年金生活者と労働者である。」「労働者が相対的に受損者であるとは、彼等が共産主義レジーム打倒に決定的に貢献した社会層であるが故にそれだけショッキングである。」「共産主義のアパラートチクが最大受益者達の中にいる事も亦ピリっと辛いことだ。」(p.152)
2004年にポーランドがEUに加盟して、そのおかげでイギリスへ100万人、アイルランドへ50万人のポーランド人労働者が出稼ぎ労働できるようになった。かくして、2000年代の初頭に脱国有・民有化のプロセスで20%近くまで上昇した失業率を10%と14%の間に下げる事が出来た。150万人の出国は同時に国内の社会的不満噴出圧力を低めた。ワレンサが書くようにポーランド人が単純に「耐え忍び続け、ポピュリズムやデマゴギーに屈することがなかった」事に感謝すれば済む事ではない。絵に描いたようなプロレタリアであった人物が資本主義化のプラスを代表する。それに対して民族主義的傾向の知識人が資本主義のマイナスとしての労働者階級の損失面を忘れない。我が祖国日本でもあれほど多くの人々がかつてポーランド独立労組『連帯』を熱狂的に支援した。しかし、『連帯』中堅を担った重化学工業の基幹労働者階級がその後たどった苛烈な運命に、今日思いを馳せる人は殆どいないであろう。
平成28年1月11日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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