ポーランド公安と英雄ワレサ

去年の11月末、数日滞在したワルシャワの映画館アトランティックで映画「ワレサ 希望の男」を観た。巨匠アンジェイ・ワイダのワレサ三部作の最終作品である。「大理石の男」、「鉄の男」、「希望の男」と言う次第である。

ワイダが語る第三作制作の動機は、「ポーランドの英雄、ベルリンの壁を崩した男がその当然の栄誉をけがされている様子をこれ以上見たくない。」と言う義憤である。何がワレサのイメージをよごしているのか。それは「大理石の男」が旧体制のポーランド公安当局のスパイであり、20名以上の同志や活動家の動静を1970年から1976年にかけて詳細に当局に報告し、金銭を受け取っていたと言う疑惑である。それだけならまだしも、1990-1995年の新生ポーランド共和国初代大統領の時代にグダンスク公安部のアルヒーフからワレサ関連書類ファイルを借り出し、肝腎な部分を抜き取り処分していたという疑惑である。

このスパイ、エイジェントのコードネームがボレクとされていたので、ワレサ=ボレクかワレサ≠ボレクかでポーランドの世論を二分している。この疑惑を詳細に論じた大著 SB a Lech Walesa 『ポーランド公安とレフ・ワレサ』が2008年に国立国民記憶研究所出版より出版された。751ページの大著である。研究所のワレサ問題担当の歴史家グループの中の代表的人物スワヴォミル・ツェンツキェヴィチがその要約版 Sprawa Lecha Walesy 『ワレサ問題』を同じく2008年に別の出版社から出版した。私は、後者しか読んでいない。

国立研究所がかかる調査書を出版しないようにと言う要請文がブロニスワフ・ゲレメク、タウデシ・マゾヴィエツキ、アダム・ミフニク等300名の署名で発表された。「自由ポーランドとヨーロッパ回帰を求める闘争において 》連帯《 とその歴史的指導者レフ・ワレサの役割は、ポーランドの道徳的資本である。それなのに、レフ・ワレサを非難し名誉をけがすキャンペーンをはっている研究所とその人達の意図は理解しがたい。」

私の印象では、ワレサ守護の側に、資本主義復活の波にのれた 》連帯《 系知識人エリートが多く、ワレサに冷淡な側に、資本主義化で生活基盤がおびやかされた 》連帯《 労働者本流の人々が多い。国民記憶研究所の歴史家達は、歴史資料に忠実に叙述したにすぎないとの態度を変えていない。

私が「希望の男」を観た印象では、1970年12月公安の取調べ室のワレサは、公安が差し出す数個の書類を内容を確かめもせずパッパッとサインしている。要するに早く妻や子供の所に帰りたい若い労働者が公安の情報提供者になる契約だとは夢にも思わず、署名する。それが何十年たって今は悪用されていると言う理解のようである。巨匠ワイダの「希望の男」公開がワレサ弁護側に有利に働くか、それほどに説得力のある作りか、必ずしもそうとは言えないようにも見える。ワレサ批判の実証史家であるスワヴォミル・ツェンツキェヴィチは、『ワレサ・ファイルの男』を去年の10月に出版して、反撃に転じている。

 

わが祖国日本においても、反体制運動や革命運動にこの種のスパイやエージェントの話は、虚実とりまぜて沢山ある。野坂参三や伊藤律等。しかしながら、高々、日本共産党の頂点までの話であり、国家全体のトップにかかわることではなかった。問題が社会に与える、あるいは世界に与える衝撃の重さが全く異なる。34年前、日本社会は、ワレサ一行の日本訪問に右から左まで上から下まで熱狂的に大歓迎した。この疑惑に無関心ではいられまい。但し、岩田昌征と明治学院大学教授中山弘正は、1981年当時ワレサの日本訪問を時期尚早であるとして反対した。

最後に二題。レフ・ワレサの私生活を見てみよう。1969年に結婚する。8人の子供を生み育てている。1970年、1972年、1974年、1976年、1979年、1980年、1982年、1985年。労働運動と反体制地下運動に最も多忙で定収入もそれほどなかった時期に一介の活動家が8人もの子供をくわせていけたとは奇跡に近い。資本主義日本で8人子持ちの活動家は見たことがない。流石に非市場経済・計画経済の生活下支え効果は大したものであると言いたくなる!! 1983年のノーベル平和賞受賞後は生活の心配は全くなくなったろうが……。

ワレサは、1990年、自由ポーランドの初代大統領に完全自由選挙で選ばれた。1995年、第2代大統領選挙では旧権力系の再編左翼のクワシニェフスキに敗北した。48.28%対51.11%であった。これは、ワレサ大統領時代の急激な資本主義化に対する国民的不安を反映していよう。2000年、第3代大統領選挙では、ワレサ候補の得票率はわずか1.01%であった。疑惑問題が影響したにちがいない。流石に、無位無官となっても、新生自由ポーランドのシンボルであり続けた。2008年の本と2013年のワイダ映画は、ワレサのシンボル性にいかなる光影をもたらすのであろうか。

“最後の最後”として。やがて日本においても、巨匠ワイダの「ワレサ 希望の男」が公開されるであろう。その際、私達日本人はPoland社会情勢理解を公平にするために、ツェンツキェヴィチ著 吉野/松崎訳『アンナの「連帯」』(同時代社、2012年)を読み、「ワレサ疑惑」の源を知っておくべきであろう。アンナ・ワレンティノヴィチは、「連帯」の母である。ワレサは父であろうか、そこにイエスとノーの分裂がある。

 

平成26年正月27日

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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