数日前に完成したばかりの翻訳書を受け取りました。マチュー・ポット=ボンヌヴィル著「もう一度・・・やり直しのための思索」(原題はRecommencer)です。筆者にとって55歳で出した人生初の翻訳書です。当初はアンスティテュ・フランセで哲学者のマチュー・ポット=ボンヌヴィル氏が2018年5月の来日時に講演したフランスの人文科学と社会学の研究と出版に関する報告も翻訳書に収録するはずでしたが、1年間の翻訳権の有効期間を考えると、本書「もう一度・・・やり直しのための思索」(原題はRecommencer)1本に絞ってギリギリまで、これに全力を集中させる方針を取らざるを得ませんでした。 筆者が未熟だったために、訳せるほど内容をクリアに理解するのに予想以上に時間がかかったのです。映像業界で働きながら、夜や休日などの空き時間にコツコツ翻訳を続けていましたが、通常のルポとかノンフィクションと違って、本書は哲学的な思索をつづった本なので、文字づらは一通り理解できても著者の真意が何か、腑に落ちるまでに何度も時間をかけて読みこなしていかないといけません。さらに著者のマチュー・ポット=ボンヌヴィル氏はパリのポンピドーセンターで討論や映画・演劇などの催しのディレクターとして活躍中で文化史に強く、本書でもラッセルやフレーゲなどの分析哲学から、ハンナ・アレントの政治哲学、デカルトの「省察」、ハンス・ブルーメンベルクの隠喩の研究、あるいはベケットやパヴェーゼ、フローベールやプルーストなどの文学と錚々たる思想史・文化史への言及も出てきます。そうなると参考書籍もたくさん読まなくてはならなくなりません。そこで、ようやく本が完成した今になって、心に余裕ができてもう一度、本に収録できなかった2018年の講演テキストを読み返すと、これも非常に面白い内容です。 「フランスにおける人文科学と社会学:出版というプリズムを通してみた傾向と状況」というのが講演のタイトルです。内容の骨子は、フランスの哲学とか社会学と言うと、ともするとフーコーやドゥルーズ、デリダらが生きて活躍していた1960年代から70年代あたりをフランスの「黄金時代」として、今は衰退していると見る通俗的な見方がありますが、実は全然そうではない、と言うのです。2014年にフランスで出版されたトマ・ピケティの「21世紀の資本」が世界を席巻しましたが、ピケティ以外にもかなり面白い研究をしていて、新しい潮流を起こしている研究者たちが存在しているのです。確かに過去に大物たちがいましたが、それを「黄金時代」というような形で<素晴らしかった過去>というノスタルジーで化石化しないように努力をしていこう、という意志を含んでいます。 筆者が実際に講演を聞いたことのある歴史学者のイヴァン・ジャブロンカ氏ですが、彼は作家としても活動しており、歴史学で得た知見をノンフィクション文学に生かす活動をして、その作品のクオリティの高さ、そして想像力の豊かな作品群で世界に知られてきています。著書の1つ「私にはいなかった祖父母の歴史」はアウシュビッツで殺された祖父母のことを、1つ1つ記録を集めながら徹底したリサーチと想像力、そして自分の思索を交えて書いたノンフィクション文学の傑作です。歴史学だけでなく、人類学や心理学、経済学なども含め社会学者は研究の過程に「自己」を注入して語ることで、真実追及を価値とする、新しい文学の創造が可能だと彼は言っています。日仏会館でその講演を聞いたとき、これは大きな波が来ている、という印象を受けました。筆者が学生だった1970年代から80年代はノンフィクションの時代と呼ばれ、アメリカではニュージャーナリズムを旗印にトム・ウルフやデビッド・ハルバースタムなど、様々な作家が輝かしく活躍していましたが、日本でも沢木耕太郎や足立倫行、関川 夏央など、多くのノンフィクション作家が世に出ました。当時はノンフィクションが文学の中心になる、と言われ、小説(フィクション)の時代は終わったなどと言われたものですが、いつしかフィクションが復権しているだけでなく、ノンフィクションはその発表媒体自体も減り、今では書店でも隅に追いやられている印象です。しかし、フランスでこうした傾向に反逆する新たな知的潮流が起きているのです。ジャブロンカ氏はこれからの文学の新しい太陽系は中心の太陽に一番近い軌道をノンフィクションが回っていて、その外周をフィクションが回っていると語っていました。しかし、フィクションか、ノンフィクションか、という二項対立的なことが大切なのではありません。ノンフィクションが蘇生して、真実の面白さ、真実の社会における、人生における価値が再評価されることが政治を変え、時代を変えていく、ということだと思えるのです。そして日本でも昨今、厳しい状況でも意欲的、挑戦的なノンフィクションの本を書く書き手が複数、目立ってきているのは新しい希望だと思っています。 フランスで活躍している研究者には、同じく歴史学者でパトリック・ブシュロンという人がいます。最近、「フランスの世界史」という大著を編纂しています。参加した研究者はのべ120人以上に及び、800ページに迫る分厚さで、筆者は未読ですが、おそらくこれまでのフランス中華思想的な国民の歴史という観点ではなく、世界史の中におけるフランスの歴史というテーマで古代から現代まで、フランス史を脱構築したものでしょう。もし中国人の歴史学者たちが同様の試みをした場合を想像してみれば、これが挑戦的な企画であることは間違いがないと思います。そのため、パトリック・ブシュロン氏は極右のイデオローグやメディアに頻出するナショナリストたちから批判を浴びてもいるようです。今、述べたのは講演「フランスにおける人文科学と社会学:出版というプリズムを通してみた傾向と状況」のごく一端に過ぎませんが、日本が近年、アメリカなどの他の先進国とは異なって極度に鎖国的になってしまったために世界の先端の新しい知的潮流が入りにくい状況にあります。 本書「もう一度・・・やり直しのための思索」はこうしたアカデミーの中の状況だけをつづった内容ではありませんが、見方によっては知の状況もやり直す必要があるでしょう。大学の学費や奨学金、書店や出版社、翻訳者、作家などへの支援体制なども含めて様々な現在の貧困を生み出している新自由主義と反知性主義を捨てて、次の時代を築いていく必要があると思います。 村上良太 (写真キャプション) マチュー・ポット=ボンヌヴィル(Mathieu Potte-Bonneville)1968 年、フランス中部のティエールで生まれる。哲学者で、ミシェル・フーコーの研究者として著名。パリの総合文化施設、ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センターで映画や演劇、討論などの催しを担当するディレクターをつとめている。著書には本書以外に、「Michel Foucault, l’inquiétude de l’histoire」(PUF, 2004)や、歴史家フィリップ・アルティエールとの共著「D’après Foucault ~Gestes,luttes, programmes~」(Les Prairies ordinaires, 2007)など。また、最新刊としてマリー・コスネイとの共著、「Voir venir – écrire l’hospitalité」(Stock, 2019)がある。©Gilles Potte |
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〔opinion9698:200429〕