マルクスの五感論、軍楽隊・軍歌、そして邦楽の運命――マルクス哲学者田上孝一と音楽史家千葉優子――

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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 田上孝一氏は、自著『これからの社会主義入門 環境の世紀における批判的マルクス主義』(あけび書房、2023年)において、若きマルクスの定言「五感の形成はこれまでの全世界史の一つの事業である。」(『経済学・哲学草稿』)を完全肯定的に紹介する。
 そして、その事例を日本近代史から二例提示する。
 第一例は、五感ではなく、人間の身体運動にかかわる平衡感覚の例であるはずだが、田上氏は、特に説明もなく次の様に書く。「我々は走る際に腕を交互に大きく振って体をよじらせるが、こうした動きは近代以前の日本では一般的ではなかったとされる。江戸時代の庶民は我々が普通にできる単純な動作を、しかし我々のようにごく自然にできなかったというのだ。考えてみれば我々も小学校で走り方を習ったので、……、そうした環境の中で自然に走り方を身に着けたのである。」(p.103)
 第二例は、音感に関する。「我々は自然に音楽を楽しむことができるが、これは西洋音階を幼児期から聞かされ教え込まれているからである。やはり小学校で、ピアノの音と共に起立して礼をさせられたが、これまた西洋音階を刷り込ませる一つの方法だったのだろう。」(pp.103-104)
  第一の身体操作の例は、世に言うナンバ走りのことであろう。近年、その合理性が再評価されつつある。明治初期に来日した西洋人は、すぐに洋人と邦人の歩き方の違いに気付いたと言う。日本人が歩き方・走り方を西洋人の作法に切り換え始めた直接の動因は、近代軍隊=洋式軍隊の創設である。様式訓練が「腕を交互に大きく振って」走る事を必要としたのである。それなくして、日本国家の独立確保は困難だった。
 第二の音感西洋化の例も亦、明治初期の軍楽隊創設に関係する。ここでヨーロッパ楽器の組織的導入。西洋色の音色と西洋の音階が日本人の耳に入り始める。続けて、宮中における国賓接待の音楽が雅楽から洋楽に変えられる。
 田上氏は、このような方向に社会的人間の解放を見る。
 かくして今日、民族音楽史家千葉優子氏が自著『ドレミを選んだ日本人』(音楽之友社、2007年)の冒頭で次のように書く。「今、日本の巷に流れる音楽のほとんどが、西洋音楽あるいは西洋音楽のイディオムによる音楽である。……、ほとんどの日本人が、それらが明治以前の数百年から千年以上もかけて培ってきた自国のそれとはまったく異なるということすら考えもしない。むしろ、能や義太夫節、地歌など自国の伝統的な音楽に違和感を覚え、苦手だったりする。なぜ、…。」(p.5)
 明治国家の基本方針としての音楽の西洋化が国民大衆に浸透する初発は、国民軍の創設と西洋音階・楽器に基づく軍歌の普及であろう。戊辰戦争は最後の武家戦争であって、官軍は日本音楽による「宮さん宮さん御馬の前にひらひらするのは何ぢゃいな」を歌って行進した。まもなく国民軍が創設されて、徴兵された農民達や町人達は、日常生活においては、日本の諸音階による民謡、新内、長唄、地歌、御神楽等の音響世界しか知らなかった。それが突然、軍艦や兵営で西洋音階と西洋楽器による軍歌・軍楽隊と接触する。
 五感(触覚、嗅覚、味覚、視覚、聴覚)と平衡感覚(身体操作)の中で触覚と嗅覚の脱日本化・西洋化の話を殆ど聞かない。味覚と視覚に関しては洋邦のバランスが保たれているようである。千葉優子氏は、料理(味覚)に関して何一つ論じていないが、絵画(視覚)に関して重要な事実を指摘している。「東京美術学校の場合、創立当時は日本画科のみで、西洋画科の設置は7年後の29年後(明治、1896年:岩田)になってからである。」(p.91)
 それに対して、「明治20年(1887)10月に音楽取調掛は東京音楽学校となった。」「東京音楽学校での邦楽が占める割合は、……、ほとんどないに等しかった。わずかに筝が邦楽の中ではなんとか取り入れられた程度である。」(p.93)「日本音楽が単なる選科としてではなく、本科邦楽として設置されたのは、昭和11年(1936)6月になってからのことで、…。」(p.96)「東京音楽学校はほとんど唯一の邦楽科のある音楽大学であったが、第二次大戦後は、それすら廃止の動きがあった。しかし、教官、在校生、卆業生らが反対運動を精力的に…。」(p.97)
 かくして、私=岩田は平成そして令和の今日、テレビや映画で時代劇を観る毎に一種の違和感を覚える。例えば、江戸時代の衣食住、町並、風俗、田園等の絵画的・視覚的背景は、それなりに考証されて再現されているのに対して、その時代の音響環境・聴覚世界をきちんと再現する努力がそれほどなされていない。勿論、登場人物のお姫様が箏を爪弾くシーン等では、例えば六段の調べが流れる。しかしながら、いわゆるBGM(背景音楽)となると、すべて洋楽であり、洋楽器の音色である。私=岩田の脳内で視覚と聴覚が相当にずれてしまう。「咲き匂う桜と人に宵の口野暮はもまれて粋となるここを浮世の仲の町鐘は上野か浅草に其の名も伊達な花川戸」へ馬車かゴンドラで通う不可解な時空が出現する。
 たった一本でも良いから、邦楽だけがBGMで流れる時代劇を観たいものだ!!私=岩田/大和左彦の願いである。こんな不満を私も属するレフトやリベラル系の知人に語った事はない。意味が無いからだ。しかし、ライト系の知人に語った事がある。理解はしてくれたが、共感してもらえない。明治以来の国家主導の西洋音楽化の要、軍楽隊と軍歌の流れに満足しているからだろうか?!
 今年のNHK大河ドラマ「べらぼう」で俳優達にナンバ歩きの演技指導をしているか否か不明だが、BGMは、あいかわらずオーケストラ演奏である。それを止めろとは考えないが、例えば、歌舞伎の下座音楽に倣ったBGMをせめて別立てに創作しても良かったのにと思う。「べらぼう」を観た後に長唄「吉原雀」や地歌「ままの川」をYouTubeやCDで聞くと「べらぼう」の吉原高精度再現映像に調和するし、音響的江戸リアリティが増すからだ。
 最後に一言。千葉氏は邦楽の生命力に、すなわち世界の多様性を支える力に期待する。

         令和7年4月4日(金)   岩田昌征/大和左彦

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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