マルクス・エンゲルスが断罪する野蛮と黙認する野蛮――『Karl Marx 一八世紀秘密外交史 ロシア専制の起源』を読んで――

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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 『Karl Marx 一八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』(石井知章+福本勝清編訳、周雨霏訳、白水社、2023年)は、編訳者の一人石井知章の「あとがき」によれば、「プーチン大統領統治下のロシアで起きたウクライナ戦争をどう理解すべきなのか」(p.253)なる今日ただいま的思想問題に直面して、「本書の歴史的性格と社会的背景に鑑み、急遽、緊急出版」(p.257)された。

 訳者達の問題意識の焦点は、プーチン・ロシア専制の歴史的起源解明にあると思われるが、一読者の私=岩田にとっては、中西欧人たるマルクスやエンゲルスの諸スラヴ族蔑視とロシア族憎悪が「モンゴルのくびき」を介してアジア的野蛮論に帰結する事が本書読了によって納得できた。そして、今日のプーチンによるウクライナ侵略―常民社会はアメリカ・NATOのコソヴォ侵略もこの侵略も共に許さない。―が孕む多面的意味を考えず、NATOやポーランドの姿勢を殆ど無批判に支援するリベラル・レフト市民社会が19世紀のマルクスやエンゲルスに重なる歴史性が見えて来た。
 そんな寒々とした気持で、マルクスやエンゲルスの諸発言を以下に引用してみよう。

 ―――ヨーロッパの選ぶ道は、二つのうち一つしかない。モスクワに率いられるアジア的野蛮が、なだれのようにその頭上に襲いかかるか、それともポーランドを再興し、こうすることによって二千万(当時のポーランド人口:岩田)の英雄によってアジアからわが身を守り、自己の社会的改造を完成するための時間をかせぐべきか。――(マルクス、1867年、『マルクス・エンゲルス全集』第16巻、204頁、強調は岩田)
 ―――〈ポ―ランド万歳〉の叫びはおのずから次のことを語っていた。神聖同盟に死を、ロシア・プロイセン・オーストリアの軍事的専政に死を、近代社会に対するモンゴル的支配に死を―――(マルクス、1880年、『マルクス・エンゲルス全集』第19巻、236頁、強調は岩田)

 今日的には、「ポーランド」をウクライナに、「二千万の英雄」を「四千五百万の英雄」に読み替えればよい。
 上記二引用文で強調しておいた文辞は、『一八世紀秘密外交史』を読むまでは、文飾的表現だと受け止めていた私=岩田であった。しかるに、単なる感情表現ではなく、マルクス学説の鍵的カテゴリーであった。すくなくとも、本書のウィットフォーゲル「序」、編訳者による「解説」と「あとがき」に従えば、マルクス学説の本質をなす概念である。
 そうだとすれば、以下に長々と引用するエンゲルスの所論も亦、単なる感情的強調表現と見るべきではなく、本気の政策目的、闘争目標であったと深刻に再考すべきであろう。

 ―――ヘーゲルのことばによれば、歴史の歩みによって無残にも踏みつぶされた一民族のこれらの名残り、これら衰亡した民族の残片は、つねに反革命の狂信的担い手であり、そして、全く根絶されるか、民族性を奪いさられてしまうまではいつまでもそうなのである。……オーストリアでは、汎スラブ主義の南スラブ人がそうである。彼等は、一千年にわたってきわめて混乱した発展をとげてきた衰亡民族の残片にほかならない。―――(1849年、エンゲルス、『マルクス・エンゲルス全集』第6巻、168頁)
 ―――……フランス・プロレタリアートの蜂起が勝利すれば、ただちにオーストリアのドイツ人とマジャール人は自由となって、スラブの未開人に対して血の報復をとげるであろう。そのとき勃発する全般的戦争がこのスラブの分離同盟を粉砕し、これらすべての強情な小民族をその名も残さず抹殺することになろう。次の世界戦争は、反動階級と諸王朝はもちろん、あらゆる反動的な諸民族をも地上から滅ぼしさることであろう。そしてこれもまた一つの進歩である。(同上、172頁)
 ―――オーストリア内の大小すべての諸民族のうちで、いまなお生命力をもっているものはわずかに三つ――つまりドイツ人、ポーランド人、マジャール人だけである。従って、これら三民族はいまや革命的である。その他すべての大小の諸種族や諸民族はさしあたり、世界を吹きまくる革命の嵐の中で滅びて行く使命をもっている。従って、彼等はいまや反革命的である。(同上、163―4頁)

 ここで、「その名も残さず抹殺する」べしとされた、「滅びて行く使命をもっている」とされた諸民族は、チェコ人、スロヴァキア人、クロアチア人、ルテニア人、セルビア人、ブルガリア人、ルーマニア人、アルバニア人等である。ここにロシア人は入っていない。19世紀、ロシア帝国は、ヨーロッパの「反動階級」と「諸王朝」を支える強大な軍事力であった。エンゲルスの筆をもってしても、「抹殺する」とか「滅びて行く」とか簡単に宣告できなかった。小民族は気の毒だ。先進国のプロレタリア革命の中で「その名も残さず抹殺」される。中西欧人ヒットラーに通ずる思想と言える。
 それに対して、ポーランドは別格である。マルクスは書く。

 ―――すべての国のうちでイギリスこそは、プロレタリアートとブルジョアジーの対立がもっとも進んだ国である。だから、イギリスのプロレタリアートのイギリスのブルジョアジーに対する勝利は、全被圧迫の、その圧迫者に対する勝利にとって決定的である。だから、ポーランドはポーランドで解放されるのではなく、イギリスで解放される。―――(マルクス、1847年、『マルクス・エンゲルス全集』第4巻、430頁)

 プロレタリア革命が多くの「反革命的」スラヴ諸民族を抹殺すると予定されているのに対し、「革命的」ポーランドだけは例外であって、解放する事になると想定されている。

 最後に私=岩田は強調したい。中西欧人マルクスは決して「ロンドンに率いられるヨーロッパ的野蛮」―頃は幕末西郷隆盛ならば用いたに違いない―表現を使用したことがなかった、と。1857-1858年の「インドの反乱」に関する論説で、イギリス軍の残虐行為を非難して、ぺナレスの一将校からの手紙「ヨーロッパ兵は原住民にぶつかると悪鬼になった。」(『マルクス・エンゲルス全集』第12巻、272ページ、強調は岩田)を引用している。だがしかし、19世紀中葉に、「モスクワに率いられるアジア的野蛮」が中欧において行った野蛮に百倍する野蛮を「ロンドンに率いられるヨーロッパ的野蛮」が同時期に行っていた。マルクスは、このような露骨な文辞で事態を表現しなかった。

 私=岩田は、森本達雄著『インド独立史』(中公新書、昭和47年・1972年)の一節をここで紹介し、悪鬼の物理相を示す。

 ―――反乱軍の捕虜には、殆ど裁判もなく死刑が宣告された。処刑の方法は、数人づつ束ねて大砲の前に立たせ、弾丸もろとも吹っ飛ばすとか、マンゴーの木の下に荷車を置き、その上に何人かの罪人を立たせて枝から吊したロープを首に巻き、牛に車を引かせるとか、象を使って八つ裂きにするとかいろいろ趣向(、、)がこらされた。アラーハーバード近郊の街路に沿うて、樹という樹に死体が吊され、「絞首台に早変わりしなかった樹は一本もなかった」ほどであった。
 それから、ヒンドゥー教徒の口に牛の血、ムスリムの口に豚の血を流し込んで苦しめたり、とろ火でゆっくり罪人を焼き殺す「新しい料理法」も考案された。イギリスの史家エドワード・トンプソンは、「炎のなかで肉がはじけて焦げるとき、肉の焼ける異様な臭いが立ちのぼり、あたりの大気に充満した」と、その戦慄すべき情況を伝えている。また、反乱者を出したり、かくまったりした村や町には、四方から火が放たれ、火をくぐって逃げ出して来る者を、老若男女を問わず、待ちかまえていて狙い撃ちするといった手のこんだ演出までしでかした。
筆者はここで、なにも百年前のイギリス人の恥ずべき蛮行を誇張してまで告発するつもりはない。これらの行為は、イギリスの軍人じしんが誇らしげ(、、、、)に伝えた証言にもとづく事実(、、)である。しかも、そのなまなましい恐怖の記憶は、イギリス支配のつづくかぎり、けっして「過去のもの」となることなく、インド人の脳裏に昨日のことのようにやきついていたのである。―――(47-48頁)

 長崎暢子著『インド大反乱一八五七年』(ちくま学芸文庫、2022年)の一節を紹介し、悪鬼の精神相を示す。
 ―――降伏した皇帝は裁判にかけられた。最大の罪状は、皇帝がインドの統治者であると宣言したことであった。・・・・・・。一度「有罪か無罪か」と問われた時、始めは質問の意味が分からぬようにぼんやりしていたが、やがて、「無罪」だと、その時だけは断定的に答えた。・・・・・・。1862年11月7日、ラングーン流刑地で死んだ。八七歳であった。・・・・・・。墓を建てることはゆるされず、一本の棗(なつめ)の木が植えられただけであった。―――(189頁)

 このような悲惨な形で、印度のムガール王朝、すなわち「モンゴル的支配」、「アジア的野蛮」は、終止符を打たれた。文明の勝利と称すべきか、新種の野蛮の登場と見るべきか。

 東洋中国史流に評さば、ロシア皇帝(イワン雷帝)は禅譲の形で、イギリス女帝(ビクトリア女王)は放伐の形で、モンゴル帝国から天明を継受したと言えよう。

                          令和5年5月25日(木)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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