マルクス主義をプロデュースしたフリードリヒ・エンゲルス 

著者: 浅川 修史 あさかわ・しゅうし : 在野研究者
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世俗に生きる人間の理想型

 マルクス主義を単純化しすぎて(弁証法的唯物論など)後世に伝えたと、一部の識者から批判されているフリードリヒ・エンゲルス(1820年から1895年)。エンゲルスはマルクスのパトロンとして終生支えながら、マルクス存命中は、マルクス主義の指揮者ではなく、第一ヴァイオリン奏者であり続けた。マルクス主義のプロデュサーである。
 人物として見た場合、エンゲルスは超一流の人物だ。世俗に生きる人間なら、マルクスよりもエンゲルスのような自立した人間でありたいと思う。
 エンゲルスの人となりを伝記などから推測すると、次のような人物が浮かぶ。

① 家柄は連合王国にも紡績工場を持つ、裕福なブルジョアの出自。
② 家は当時のブルジョア家庭にありがちな、「学歴より商売」という方針からか、大学を出なかったが、頭脳明晰。ただ、マルクスと違って、何事も単純化する(=わかりやすくする)傾向があった。これが後世に禍根を残す結果になるという意見もある。
③ 実務能力は抜群で、軍事にも関心があり、能力も高かった。
④ 家庭では、厳格なカルヴァン主義の教育を受けた。カルヴァン主義の教育により、几帳面なしっかりした人物に育ったが、父親が語る「予定説」には強い嫌悪感を持っていた。このことが、のちに青年ヘーゲル派の宗教批判を受け入れる素地をつくった。
⑤ 連合王国に移住後は、紡績工場の経営に携わり、マルクスを金銭的に支える。マルクスのような金遣いの荒い人物の一家を支えるとは、どれだけ大変なことか。
⑥ 連合王国ではアイルランド人の姉妹を愛人にして(注 同時ではなく)人生を楽しむ。この姉妹はカトリックと推測できるので、プロテスタントとカトリックが交流しなかった時代に、宗教的な偏見を捨てていたと想像される。
⑦ マルクスを支え、マルクス主義の第一ヴァイオリンとして活動しながら、地元の商工業者(ブルジョア)ともきちんと付き合う。
⑧ マルクス没後は、「資本論」の遺稿を世に送り出したり、ドイツ社会民主義を指導する。
⑨ マルクスが奥さんの付き人の女性に生ませた男子を自分の養子として引き取る。

 どれも普通の人間にできることではない。

 エンゲルスに比べると、マルクスは父親の代にプロテスタントに改宗しているうえ、採用したプロテスタンティズム(カルヴァン派とルター派の統合教会?)も便宜的なものだったので、しっかりした宗教教育を受けていない。これが、マルクスの性格や「だらしない」と伝記家に評される生活態度に反映しているも筆者は勝手に考える。
 ユダヤ教からの改宗に最後まで抵抗したマルクスの母親は、教養がなく迷信深い人物として伝えられているが、各種の「マルクス伝」を読むと、母親とマルクスの関係は良好ではなかったらしい。
 母親はマルクスの金銭に頓着しない非ユダヤ人的性格を危惧して、「ユダヤ人の物乞い」になることを心配した。この心配は半分的中したかもしれない。
 マルクスがロンドンに亡命した後の一時期、エンゲルスが紡績工場で稼ぐまでの期間、経済的に窮迫したが、母親から財産を分与されなかったことも原因のようだ。

 おそらくエンゲルスがいなかったら、マルクスは亡命先で窮迫して人生を終わり、「資本論」も刊行されなかっただろう。

 これだけ歴史に貢献したエンゲルスだが、忘れさられようとしている。

 実務家としては超一流ながら、理論は超一流でなかったからだ。たとえば、「家族・私有財産・国家の起源」や「自然弁証法」など、世界の共産主義政党・団体で一般的だったテキストも、今はあまり顧みられない。

 エンゲルスの名をとった地名や機関は少ない。筆者の知る範囲では、DDRのフリードリヒ・エンゲルス陸軍士官学校くらいだが、これもなくなったのだろう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0632 :111004〕