マルクス生誕200周年記念 慶應大学におけるコンファレンス――中国、労働搾取、技術――

 2018年(平成30年)9月6日、「マルクス生誕200周年記念コンファレンス マルクス――過去と現在」が慶應義塾大学三田校舎で開かれた。
 聴講して、若干の論点に印象付けられたので、私=岩田の感想・所感を記しておきたい。

 中国南海大学の喬暁楠氏は、中国における数理マルクス経済学の発展と現在の氏による研究を日本語で発表された。
 氏によると、中国経済学の発展は大きく三つの段階に分けられる。第一期は、社会主義的計画経済期(1947-1977)、「ソ連の経済学も学んで、計画経済が直面するする問題に取り組んだ。」(予稿集)第二期は、改革開放期(1978-2014)、近代経済学の導入、普及が市場経済と共に進んだ。現在は第三期である。中国の第十三次5ヶ年計画(2016-2020)に「中国的特色社会主義政治経済学」の発展が銘記された。そんな状況下で、近年数理マルクス経済学が次第々々に注目されつつあると言う。
 喬氏の報告によれば、中国においては第一期に「数理マルクス経済学」のきざしは全くなかったようだ。不思議である。何故か。
氏の言う第一期の1960年にソ連の数学者・経済学者のカントロヴィチは『資源最適利用の経済計算』(ソ連科学アカデミー出版、モスクワ)を出版していた。私=岩田も1962年3月9日から26日にかけて露語辞書に頼って読了していた。今日的用語では「線型計画法」であるが、その世界的権威であるアメリカのジョージ・ダンツィクに先行していた。またシステムの効率的制御に関する数学理論は、ソ連のポントリャーギン等によって研究開発され、1961年に公刊された。日本では1967年に『最適過程の数学的理論』(総合図書)として翻訳されていた。近代経済学は、1970年代以降この理論を応用した経済成長モデルを群生させた。喬氏が日本から中国に導入した「マルクス派最適経済成長理論」は、かかる研究史の中からかなりおそくなって誕生した。
 氏に問いたい。中国経済学発展第一期において、カントロヴィチやポントリャーギンの著作はどのように受け止められたのであろうか。当時、ソ連においては、「数理マルクス経済学」と言う呼称はなかった。「マルクス経済学における数学的方法の適用」と呼ばれていたように記憶する。
 もう一つ具体例を出す。ソ連の数理経済学者ア・ヤ・ボヤルスキーは、1960年に「拡大再生産における微分方程式」をテーマに報告している。論文「拡大再生産におけるタイムラグ問題」を『ソ連邦国民経済の諸問題 アカデミー会員エス・ゲ・ストルミリン85歳記念』(露文、ソ連科学アカデミー出版、モスクワ、1962)に発表している。

 喬暁楠氏によれば、中国で最も研究されている数理マルクス経済学の分野は、「転形問題」である。すなわち、労働価値の生産価格への転化である。マル経の数学化の入口としては自然な行き方である
 ここで転形問題の岩田解釈を記しておこう。
① 労働の社会力/政治力が資本家のそれを凌駕して行くと、一般利潤率は0に近付く。あるいは、資本所有にかくされている経営能力への対価、すなわち経営労働の再生産を保証するだけの水準に低下する。価格体系は、いわゆる労働価値、価値価格に接近する。
② 通常は資本家の社会力/政治力の方が強い。従って、労働者の賃金は一般労働力の再生産を保証するだけである。価格体系は、いわゆる生産価格が支配的となる。
③ ①の場合、労働者の収入は労働力再生産の保証をはるかに超える。その超過部分は、市場経済においては蓄積されて、資本に転化する。要するに労働者階級の内部から新生資本家が生み出される。従って、②のような資本家の社会力/政治力の方が強い状態が通常になる。
④ かくして、①の局面は経済社会の底に沈む。経済社会の現実は②によって支配される。こうして、価値は本質論、生産価格は現象(現実)論と言う「哲学」が生まれる。
⑤ しかしながら、価値も生産価格もともに市場経済の現実である。労働と資本の社会力/政治力の強弱の反映である。価値が生産価格に転形と言うよりも、価値価格と生産価格の相互転形である。従って、中国的特色社会主義市場経済において現実に成立している価格体系が価値価格と生産価格の間でいずれかにどれほど傾斜しているか、計量経済学的に測定できるはずである。喬氏の見解を知りたい。

 「マルクス生誕200周年記念コンファレンス」のリーダー大西広氏は、その報告において「マルクスの基本定理」(FMT)を近代経済学からの批判から防衛しようとする。FMTとは、労働価値の世界における労働搾取率が正値と生産価格の世界における利潤率が正値は等価であると言う命題である。要するに、資本主義的経済活動が正値の利潤を実現していると言う観察される事実自体が、資本家による賃金労働者の搾取を意味するとの数学的証明である。
近代経済学は、その数学的・形式的証明は正しいと認める。しかしながら同じ数学的・形式的証明は、労働力商品に妥当するだけでなく、他のすべての諸商品に妥当する。すなわち、小麦、米、牛肉・・・に。同じ数学的形式において労働を示す記号を小麦、米、牛肉等々に読み替えても、貨幣的利潤率が正値である必要十分条件になる。労働価値ならぬ小麦価値説、米価値説、牛肉価値説に立脚して、利潤率の根拠を説ける。労働に特権的位置を与えて議論する先見論はマル経的観念論であると近代経済学は批判する。
 大西氏によれば、マルクス経済学者の多くは、諸財と人間を区別し、諸財はより良き財となろうとする意志を有さぬが、労働力の担い手である人間はより良き生活を求める意志を有する所に、経済学における労働特権的位置の説明を求める。私=岩田は、こんな単純な反論を正しいと見る。近代経済学においても、諸財は自己の効用関数を持たない。人間だけが効用関数を持つではないか。
 しかしながら、この正しい反論は余りに一般論である。FMTの数式にそった反論が可能である。例えば、米価値説や小麦価値説に立って、剰余米(米の純生産)や剰余小麦(小麦の純生産)を増加させる点で、資本家と労働者の間に対立は基本的に不在である。すなわち米搾取や小麦搾取は成立しやすい。それに対して、労働搾取に関しては、資本と労働の間に利害対立があり、搾取率は階級的力関係の関数である。それ故に資本家の貨幣的利潤率の正値性の根拠を労働価値説、労働搾取論に求めるのは、自然である。
 大西氏の報告は、効用関数と生産関数から出発して、財の労働価値の安定性を証明しようとする試みであり、FMTの周辺状況を補強する「人間の意志」論の具体化として有意味である。

 名城大学の渋井康弘氏は、報告「現代技術とマルクス経済学」の冒頭に「技術の問題を正面から扱い、それを理論体系の中に位置づけるという方法は、技術を与件として扱い、その内容につて殆ど問わない諸派の経済学に比して、マルクス経済学の際立った特徴のひとつとなっている。」と語る。このような諸派経済学評価は、若干言い過ぎであろう。例えば、渋井氏が卒業された慶應大学教授の丸山徹氏の『経済原論』(第二版、岩波書店)第16章「経済成長」では技術進歩が注意深く議論されている。
 先ず丸山氏は、過去1825年から200年近くの期間に観察され統計的に「確認された事実」として以下の8項目を提示する。

 近代経済学のマクロ経済学は、技術進歩を三分類する。①ヒックス中立的技術進歩は、資本Kと労働Lと無関係にY=F(K、L)の生産関数F自体の性能が向上する。②ソロー中立的技術進歩は、FやLとは無関係に、同量のKがあたかも何倍ものKになったかのように発現する。③ハロッド中立的技術進歩は、FやKとは無関係に同量の労働があたかも何倍ものLになったかのように発現する。すなわち、①Fの性能上昇、②Kの性能上昇、③Lの性能上昇。
 丸山徹氏によれば、上記8項目の資本主義経済史の諸確認事実をすべてスムーズに矛盾なく近代経済学的に説明出来るのは、③ハロッド中立的技術進歩である。すなわち、マルクス経済学で言う「強められた労働」―単なる労働強化ではない!―の概念が近代経済学によって実証されたわけである。ハロッド中立的技術進歩→強められた労働の前進→経済成長。これは、資本主義経済の生産と流通の総過程をマルクス労働価値論が規定している事の近代経済学的実証にならないだろうか。渋井氏の意見を知りたいものである。
 最後に一言。かかるハロッド中立的技術進歩の確認は、中国経済の近年の成長を説明するにおいて、総労働生産性(TLP)の方が全要素生産性(TFP)より重要であるとする、喬報告で紹介された中国の実証研究の成果にも斉合する。私=岩田の理解では、TLPはハロッド中立的技術進歩に対応し、TFPはヒックス中立的技術進歩に対応する。マル経学者はTLPを好み、近経学者はTFPを好むようである。

平成30年9月8日(土)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study991:180913〕