ミャンマーの政治情勢―新大統領の就任前後

Ⅰ 新大統領の就任演説
3月30日、突然のテインチョー大統領辞任のあとを受けて新大統領に前下院議長ウィンミン氏が就任しました。弁護士出身の氏はスーチー氏の側近の一人で、獄中経験もあり、土地問題などでやり手の評判をとっている人物です。まもなく73歳を迎えるスーチー氏ですから、当然後継者人事の意義を帯びていることは否定できないでしょう。氏はさっそく就任演説を行ないましたが、それによれば、「我が国は国際的な圧力や批判、誤解にもさらされた」とまず主張しました。ロヒンギャ問題についての基本姿勢を示したとみられますが、しかし「誤解」という認識は国際社会の理解とは真逆です。70万人近いロヒンギャが一挙に難民化して隣国に逃れ、危機的な状況にある事実は誤解の仕様もなく、またその原因となるような大規模な破壊や暴力、殺戮があったろうことは容易に想像できることです。航空写真やロヒンギャ難民の聴き取り調査によっても、あらゆる状況証拠が「組織された暴力」の存在を証し立てています。本当に誤解を解きたいのなら、国連はじめとする国際社会の調査団を受け入れるべきでしょうが、スーチー政府は今まで一貫して拒否して来ました。また「誤解」というのなら、国際社会のどこが誤解かを指摘し、正しい認識とは何かを対置しなければ、一国のトップの発言としては無責任のそしりを免れません。
 ただ新大統領就任の手土産でしょうか、同政府が設置した国際諮問会議は3日、ミャンマー政府が国連安全保障理事会の代表団の視察を受け入れる方針だと明らかにしました。依然政府は国連人権理事会―「民族浄化」だと断定し、国際刑事裁判所への提訴も辞さない構え―が設置した国際調査団を拒否してはいるものの、一定の前進と評価していいでしょう。
 大統領が発表した重点目標は、1.法による支配と国民の生活水準の向上、2.全民族の和解と国内平和、3.民主連邦共和国を建設するための基盤となる2008年憲法の改正の3項目。このほか、不当に没収された農地の返還と補償、農民の生活水準の向上、麻薬の撲滅、教育の高度化、国民や公務員の意識改革と汚職の撲滅、廃れた政府組織や司法制度の改革、メディアの存在を重視、国家予算の有効活用、人権侵害の防止などでした(AFP)。
 大統領交代について一言すれば、スーチー氏の幹部政策のミスの手直しという意味をもっています。大統領にイエスマンを据える弊害は、当初から我々の指摘したところです。一国の民主的変革と近代化という大事業に取り組む政府の―形式上であれ―トップが、自分の判断力も行政能力も持たない傀儡であるなどという事態は異常でした。スーチー氏の素人政治の現れというほかありません。ただし先日の演説では、新たにcollective strength(集団力、総合力)を強調しています。いつもながら抽象的な言い回しで真意は忖度するしかありませんが、遅まきながら自らの政治スタイルを変える必要を感じているのかもしれません。政府幹部がそれぞれに力量を発揮しつつ、集団的パワーを形成・発揮することなしには、国軍の持つ強大な組織力に対抗し、民主化を進めることはできません。現政府の任期の残りは、あと2年半です。ロヒンギャ危機、和平交渉の行き詰まり、経済の低迷と三重苦状態をいかにして打開するのか、新大統領の手腕とスーチー氏の器量が試されます。

Ⅱ 英紙ガーディアン(4/6)から――「Facebookのヘイト・スピーチは、ロヒンギャ危機の際にミャンマーで爆発した」
ミャンマーの市民社会、人権、監視団体の連携6団体は、公開書簡でFBのCEOマーク・ズッカーバーグのヘイト・スピーチの拡散に対する対応に批判を強め、ソーシャルメディア大手が、国内での暴力を誘発する危険なメッセージを迅速に抑制するための行動をしなかったと非難したそうです。ミャンマーFBの内部告発によれば、ヘイト・スピーチの開始からそれへの対応に4日もかかったといいます。昨年9月、ヘイト・スピーチは、9月11日にムスリム・ジハードが行われると警告、国軍は臨戦態勢に入った。同日ヤンゴンで、マバタ(仏教愛国者協会)と過激主義的なナショナリストが協力し、抗カラー運動(カラーはインド系ムスリムへの蔑称)を開始するとした内容でした。これに対しFacebookはメッセージの拡散を止めなかったため、通勤、通学を控えた家族は多数に上ったそうです。そういう事態を招きながらズッカーバーグがFacebookのシステムの有効性を称賛したことに、公開書簡を出した6団体は驚きを禁じ得ないとしています。
 ミャンマーではスマホの普及に伴いこの数年間に急速にSNS=FBが普及(一説では1500万人)している。しかし多くの人々は新聞、テレビやラジオなど他の媒体に接する機会がないため、FB上のフェイク・ニュースを正規の報道と取り違えて反応しているといいます。
 半世紀に及ぶ軍部独裁による情報封鎖、言論統制の結果、この国では人々は容易に風評に踊らされる傾向があります。私が体験した在ヤンゴン中の出来事ですが、根拠のまったくない地震来襲の噂に、教育のある人々すら怯え、全市が浮足立っているのにびっくりしたことがありました。
 賢い政府であれば、危機的事態に際してはFBに対して緊急介入し、拡散を阻止するよう要請するなり何らかの手立てを取ったでしょう。しかしロヒンギャ問題に関しては、スーチー氏先頭に政府は無視無作為を決め込んでおりました。その結果としての全土を巻き込んだ排外主義の嵐です。排外主義団体であるマバタらは、ネットのほかビデオや紙の宣伝物とも合わせて効果的にロヒンギャへの差別と憎悪をかきたててきたのです。
 こうしたなかで市民社会系の団体が勇気を奮い起こし、FBにヘイト・スピーチ削除などに努力するよう要請したことはきわめて意義のあることです。仏教徒が国民の90%以上を占めることと、仏教排外主義が蔓延することはイコールではありません。国際NGOなど国際社会とも連携し、ヘイト・スピーチに対するカウンター・アクションを初期段階で組織できれば、状況は変わりうるのです。

Ⅲ 新党結成に当たり、ネーミングにクレーム
 コーコージー氏ら88世代の活動家が中心となり、新しい政党「4・8人民党」が成立する運びになっています。NLD政権の現状に不満を持つ活動家が、多元的民主主義の実をあげるべく、もう一つの選択肢を国民に提起するとして立ち上げるものです。ところが「8888」―1988年8月8日の国民的決起の徴表―という神聖な数字を一団体が使用するのはけしからんという批判が巻き起こっている由。ある意味で仏教の精神風土にもとづくミャンマー独特の反応です。
新政党に「8888」にちなんだネーミングをしたのには、NLD政府が国民総決起で掲げられた民主主義の初心を忘れて既成勢力化していることへの批判が籠められています。そこには8888の精神を正統に受け継ぐ政党としての自負があるのです。しかしある人々は、8888という数字は国民全体のものであり、私物化はけしからんと思っているようです。
 客観的にみてまず言えることは、8888の数字をどう使おうが自由だということです。批判も自由ですが、8888の数字の妙な神聖化は、8888精神とは別物です。スーチー氏や運動を神聖化していいことは何もありません。政治にはリアリズムが不可欠です。8888の運動は歴史的に敗北した運動であり、だからこそその弱点や限界を批判的に分析し、そこから必要な教訓を引き出すことが必要なのです―88決起の最終盤では、全国で国営工場設備の徹底的な破壊や殺人が行われ、アナキーな様相を呈しました。私個人としては、88年から年月が経ち、新しい有権者が大勢を占める今日では、あまり88のネーミングにこだわらなくてもいいのではないかと思いますが、88世代の思い入れも理解できます。新党の活動内容として、亡命して帰国した元活動家を同志として獲得すること、多くの傷ついた政治犯のために社会復帰のための措置を講じることを挙げています。どちらもNLDやスーチー政権が無視してきたことです。「裏切られた民主改革」――現在50歳前後となる活動家、元活動家の多くがNLD政権に抱いている思いです。ただ新党は権力の獲得を自己目的にせず、国民の日常的な要求に寄り添って行きたいとコーコージーは述べています。しかし国民の諸要求を実現するには、権力に与ること、あるいは与ることをめざすことが必要です。政党の機能、政党政治の在り方等、欧米の政党政治の歴史から多くをまだまだ学ぶ必要があります。いずれにせよ、ミャンマーの民主化運動は新しい政党を求める段階に入ったという事実は評価していいと思います。

2018年4月7日  
             
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/ 
〔opinion7546:180409〕