メキシコ出張-その4―はみ出し駐在記(49)

送り迎えしてくれた代理店のサービスマンの都合だと思うのだが、夕方五時ちょっと過ぎにはホテルに戻っていた。そんな時間にホテルにいても何もすることがない。テレビでもあればまだしも、何もない狭い部屋で、ぼーっとしていらるような性格じゃない。五時過ぎに夕飯は早すぎる。ましてや飲みに行く時間でもない。できることは一人で街をほっつき歩くことだけだった。幸い、ホテルはちょっと歩けば繁華街に出れるところにあった。

 

歩いて行ける範囲だから行けるところは知れている。毎夕、一人でぶらぶら歩きながら、ちょっと気になる店があれば入った。入ったところで、英語は通じないし、何があるわけでもない。フツーの店に入って出てを繰り返しても大した時間は潰れない。時間を潰すには土産屋が一番いい。土産屋街に行けば、呼び込みのおかげで、どうでもいいものしか置いていない店でもつい入ってしまう。ペソの貨幣価値がピンとこないせいもあって何でも安く感じた。もうメキシコに来ることもないだろうという気持ちもあるから、誰への土産かなど考えることもなく、ついついあれこれ買ってしまう。もっとも誰というのがろくにいないから、土産はほとんど自分への土産だった。

 

朝飯と夕飯は英語のメニューのある“VIPS”というチェーンのダイナーで済ませていた。親切なアルゼンチン人のマネージャーやディスコで知り合ったメキシコ人の兄弟姉妹のおかげで、有意義な週末を過ごせたが、毎夕の時間潰しには疲れた。”VIPS“で夕食を済ませて、街をぶらぶら歩いて、歩きつかれてまた”VIPS”に入って、コーヒーとデザートか何かを軽いものを食べてという日もあった。土日に一人のときは、“VIPS”で朝昼晩三食だけでなく、二度も三度も暇つぶしに寄った。

 

ある夕方、“VIPS”に行こうかとロビーに下りていったら、痩せて小柄なおじさんに声をかけられた。里帰り(日本)からの帰りで、メキシコで一泊して明朝キューバに戻るところだった。「こんなところで日本人に会えるとは思ってもみなかった、そこのレストランで夕食を一緒にどうだ。。。」どんな人か分からないが一人で“VIPS”で食べるよりはいいだろう。何か面白い話でも聞ければ儲けもの、入るつもりのなかったホテルのレストランに入った。

 

移民の一世で、キューバで農業を営んでいる人だった。日本語がちょっと変わっていたが、方言なのか長いキューバの生活のためか分からない。見ている景色が違いすぎて共通の話題が見つからなかった。おじさんの世間話は知らないことばかりで興味深いのだが、何を話しても直ぐに「共産党の政策がめちゃくちゃでキューバでの生活は大変だ。。。」で終わる。大変なんだろうなと思って聞いていても、何が大変なのかの話にはならない。話し出したら何もかもが大変で、きりがないのだろう。何でも大変だということで納得して、適当な相槌をうっていた。

 

貴重な話だったにもかかわらず、理解する能力がなかっただけかもしれない。ただキューバの生活は大変だということ以外に何を聞いたか覚えていない。話にこれといった内容があったようには思えない。いつもだったら意味のないことに時間を使ってしまったとイヤな気持ちになるのだが、その時は時間潰しをしてもらってありがたかった。それほど時間潰しで困っていた。

 

そろそろ仕事も終わって帰る日が近くなった。既にあれこれ買ってローラにも娘のレオナにも十分な土産があるのだが、改めてローラに電話したら、「お土産はソンブレロがいい。二人にソンブレロを買ってきてくれ」と言われた。土産物街に行けば、イヤでもソンブレロが目に入る。派手な安物の土産物の代表のような顔をしたのが店の軒先に吊るされている。大きすぎてスーツケースに入らないから手持ちしかない。ソンブレロ二個持って帰ったら、絵に描いたようなおバカな観光客じゃないか。ソンブレロはイヤだと言ったが、ソンブレロがいいと言ってきかない。

 

仕事の目処は立ってきたものの、はっきり終わりが見えない限りフライトを予約できない。やっと終わってフライトを予約しようとしたらニューヨーク直行便に空きがない。ヒューストンでアメリカに入ってニューヨークに戻ることにした。ヒューストンの関税で係官に色々聞かれた。聞かれる度にろくに考えもせずに「No」と答えていった。「Souvenir?」と聞かれて、そのまま「No」と答えたら、係官が笑い出した。「お前二個も持ってるじゃないか」何が二個?と思って、ジーンズの後ろのポケットから三省堂の英和・和英辞典『GEM』を引っ張り出して、係官に「その、すーべに。。。は何?」と聞いた。土産のことだった。ニューヨークに赴任して仕事はしていたが、海外旅行などしたことなかったから、Souvenirという単語を知らなかった。係官が辞書を引いて、これと指差してくれた。「ごめん、ごめん、Souvenirを知らなかった、Souvenirはソンブレロ二個だけ」と言ったら、笑いながらOKで通ってしまった。スーツケースのなかは雑貨のような土産がいっぱいで、調べられたらどうしようと心配してたが、何も調べようとしなかった。

 

メキシコからはドラッグも密輸されていたはずなのに、この甘さでいいんかね?と思ったが、後になって考えれば、係り官に見透かされていただけなのだろう。ただの言葉の不自由な日本人、どう見たってドラッグの密輸など考えられない。ちゃちな土産を持ち込むくらいが精々で、関税などかける価値のある物など持ってる訳もない。

 

メキシコシティのエアポートでも時間潰しに、またあっちこちの店に入っては土産物を買っていた。さすがエアポートの免税店、街の土産物屋にあるものより上質な土産がある。全てクレジットカードで支払った(つもりだった)が、いつまで経っても請求書が来なかった。もっと値の張るものを買っておくんだったと悔やんだ。

 

歩いた方が早いという交通渋滞、郵送したものは途中でなくなる、クレジットカードの請求もこない発展途上国。ヨーロッパ系の支配層と支配され続けてきたネイティブの人たちに分断された階層社会。好きになれない。それでも、真昼間からマンボのおばちゃん(一軒目の客の事務所の二階の住人)やディスコで知り合った兄弟姉妹のおおらかさがある限り、好きになれるのものそう遠い将来ではないと思っていた。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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