リスクを背負いこむ

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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「チャームと建材から」の続きです。
https://chikyuza.net/archives/109370

十年以上お世話になった米国の制御機器装置メーカは、システムソリューションの提案はしても、基本的には提案までで、自分ではソリューションを提供しない。提案はしても、提供はしない。なんとも都合のいい中途半端な話で、そんなことで仕事になるのかと誰しもが思う。ところが、実ビジネスの視点で見れば、それで済まないことが多いにしても、あながち間違った戦略ではないことに気が付く。

基本的にというのは、市場の事情と自社の都合が合えばターンキーシステムも提供するという柔軟な戦略だった。全ての産業の全てのアプリケーションにターンキーシステムを提供するなど、妄想としてでもあり得ない。製造業に限定しても、製鉄業が必要とするシステムソリューションと半導体業界が必要とするもの、自動車産業や製薬業界が必要とするソリューションはそれぞれ独自の要件があって、誰も全ては提供できない。その上、提供しようとすれば、本来パートナーであるエンジニアリング会社と競合する。そう見ていくと、市場の事情と自社の都合次第でシステムソリューションの提供も考えるというのが、あながちどころか最も理にかなった戦略になる。

半導体の進化のおかげで単体製品の機能や性能が向上しても、価格は低下し続けている。五年前には五百万円はしたPLC とモジュールの組み合わせが、新機種なら二百万円でお釣りがくるなんてことが当たり前になっている。製品の単体販売では、成長どころか現状のビジネス規模を維持できない。
制御機器の価格が下がれば、アプリケーションソフトウェアの開発コストが問題になる。五百万円のハードウェアに百万円のソフトウェア開発はいいとしても、二百万円のハードゥエアに百万円のソフトウェア開発費は難しい。打開策として思いついたのが電機機械としてのモータを中核においたドライブシステムだった。汎用モータは半導体の進化とはほとんど無縁で、超伝導でも実用化されない限り、百馬力は百馬力、百アンペアは百アンペアで製造コストも販売価格も変わらない。

単体販売を継続しながらドライブシステムビジネスの能力を作り上げる必要に迫られていた。分かっていても、日本支社が独力でシステムエンジニアリング部隊など構築できない。モータなしのインバータなんか売れるわけがないと思いながら、あちこち回って気がついた。単体製品ではなく、システムソリューションを求めている客がいる。どうしたものかと考えぬいた末に、ミルウォーキー郊外にあったドライブシステム事業部を日本市場に引っ張すことを思いついた。

後日、アメリカ人の親しい仕事仲間から聞いた話では、アメリカでも、外せない顧客を持っている営業マン以外はその事業部と付き合おうとはしなかった。だらしがないというのか、事業部の都合で手を抜いた仕事が多くて、よほどのことでもなければ誰も相手にしない。それを知っていて日本の社長も副社長もキャリアに傷がつかないように身を引いて、黙認していたというのかしてくれた。口では中長期の戦略なんていってはいても、所詮ルートセールスからの成り上がり、目の前の売上にしか興味がない。単体売りしか考えたことのない販売組織のなかでシステムソリューションの芽があるとも思えなかったのもわかる。なにをしたとこでどうなるとも思えないが、もしかしたら大化けするかもしれない。トラブったらマーケティングからはずしたノンキャリアを切ればいいくらいに考えていたのだろう。

積極的に市場開拓を進めて行けば、実績はないにしても、今までの経験の応用で対応できるはずというアプリケーションに遭遇する。これならという案件でも、それをビジネスとして追いかけるか断るかはドライブシステム事業部が決めることで、日本支社になんの能力があるわけでもなければ、権限もない。

ある日、タイヤ製造ライン専業メーカの課長から電話がかかってきた。営業マンに連れられて押しかけるように訪問はしていたが、ある日突然営業マンがレイオフされて営業担当がいなくなってしまった。製鉄と輪転機でごたごたしていたこともあって、ちょっと日が空いていた。

「ああ、申し訳ありません。ちょっとひっかかっちゃって無沙汰してます」
頻繁に訪問したあと妙に間が空いてしまって、どことなく後ろめたさがあった。つい言い訳がましい挨拶をしてしまった。大事にしなければならない客だと分かっていても、体はひとつ。あれこれ手をだしすぎて、回りきれない。そろそろ戦線を整理しなければ、先の展開もおぼつかないところまできていた。

「ちょっと教えてもらえるかな」
明るい声に、つい期待してこっちの声まで明るくなる。
年に何度か注文は頂戴してはいるものの、PLCとサーボだけで三、四百万円がせいぜいだった。押し出し機ならざっとみても一台二、三千万円にはなる。似たようなアプリケーションの実績と世界のサービス体制を紹介してはみたが、おいそれとアプリケーションの詳細を教えてはくれない。分からないまま、製品やらシステムソリューションの話していたが、顔つなぎを一歩もでないままだった。

「えっ、どうなさったんですか、改まって」
「いやね、この間きてもらったとき、海外のサポートの話してたよね」
「はい、海外なら日本のご同業よりしっかりしていると思ってますけど、どこでしょうか」
やったと思った。蒔いておいた種が芽をだしてきたのを感じた。黙って聞いていればいいものを、ついどこでしょうとまで聞いてしまった。
日本ではリソースが限られていて、日本のメーカに準じるアフターサービスなど提供のしようがない。ところが日本から一歩でれば話が違う。こっちには世界のあちこちに現地のサービス体制がある。日本メーカはといえば、海外サポートは日本からの出張で、現地にはあっても代理店までしかない。
戦の常識で、相手の土俵には上がらない。上がったら、たとえ勝てたとしても、貴重な戦力を消耗して取り返しのつかないことになりかねない。自分に有利な土俵の上だけでしか戦わない。

「とりあえずなんだけど、トルコとイランとインド、あとタイとマレーシアにインドネシア、南ア。あぁ、あとメキシコなんだけどサービス大丈夫かな」
「イランはちょっと事業部に確認しなければ何とも言えないですけど、今あげられた国ならサポートはどうにでもなります」
イランにもサービス部隊がいるとは聞いていたが、安請けはできない。
それだけで、ほっとした感じが伝わってきた。もう日本の日本の仕事ではなくなって、海外案件が急増しているのだろう。今までのように日本メーカ一本やりでは納入後のサポートがどうにもならなくなってきているのはどこも同じだ。
「そうだよね。そこはグローバルに展開している外資の強みだもな……。ちょっと相談したことがあるんだけど、来てもらえるかな」

二つの要因が追い風になっていた。まず、円高によるアメリカ製品が価格で競合しやすくなったことがあげられる。いくらいい物やサービスでも高ければ、使いたくても使えない。次に国内のタイヤ生産の成長が頭打ちになって、専業メーカとしては海外市場の開拓に本腰をいれなければならない。タイヤは消耗品で、自動車を生産していない国でもローカルなタイヤメーカがある。今までの日本の制御機器屋では限られた先進国までしかアフターサービスを期待できない。そこに世界中に支店網のあるアメリカの制御機器屋がでてきた。

頂戴した見積もり依頼を英語に翻訳して、口頭でお聞きした要件や注意事項、必須ではないが出来ればいいという希望も追加説明をつけて事業部に送った。ところが、待てど暮らせど見積もりがでてこない。しびれをきらして、何度も見積もれるのかと聞いた。そのたびに、同じことを言われた。

「心配するな。なんども似たようなプロジェクトをしてきたから、ちょっと待ってくれ」

心配するなと言われても、時間だけが過ぎていく。心配にならない方がおかしい。
もしかしたら、押し出し機の運転メニューの詳細が分からないから、見積をだせないんじゃないかと聞いてみたが、ちょっと待ってくれしか言わない。どこかでずれている。課長に電話して出かけて行った。

「どうも運転メニューの仕様を提示いただいていないのが見積作業のネックになっているのではないかと気になるんですが」
「ああ、メニューねぇー、それについては最初に言ったよね」
「はい、覚えています。でも」
言い終わらないうちに押し返された。
「エンドユーザがこうしてくれって言ってくれば、それに対するうちの回答をだすけど、うちから先にはだせないんだ。各社各様のノウハウの塊だから」
「いえ、詳細でなく、開発作業がどのくらいになるのかを見積もれるまでの概略でいいんですが、どうにかなりませんか」
概略では見積もれても、開発できない。それでも、とっかかりとして概略仕様をと思った。
「出せないんだよ。エンドユーザはアメリカの会社だけど、そこを買収した日本の会社が横浜にあるから、そっちに行って訊いてくれないかな」
「ああ、そうですね。コンタクト先は教えていただけるんでしょうか。それも機密なんてことないですよね」

横浜に電話して、状況を説明してお伺いした。丁寧な対応だったが、課長と同じこといわれた。
「あっちがこういうメニューでどうでしょうかって提案してくれば、それに対してうちの要望はだすけど、うちから先ってのは……」
おいおい、何なんだ。どっちも後出しじゃんけんの後だしは俺たちで、相手が先に出さなきゃってことなのかと呆れた。
即灘にいって横浜の訪問結果を報告して、概略仕様をとお願いしたら、同じことを言われた。しかたなく、また横浜にいって、同じことを繰り返した。タイヤメーカの機密保持の煩さは聞いていたが、ここまでとは思いもよらなかった。エンドユーザと装置メーカの間に入ってにっちもさっちもいかない。
ただ、常識で考えてだが、似たようなプロジェクトをしてきていれば、メニューもどきを想定して大まかな開発コストぐらいの見当はつく。自分で言っていておかしいとは思うが、メニューが分からないから見積をだせないというのは、ちょっと考えられない。

灘と横浜を何往復かして、ジェコインスキーに電話でなんども見積提出のおおよその日程でもいいから言ってこいといったが、その度に来週には送るからと言われ続けて二ヶ月以上経った。

もう時間がない、来週には米国のタイヤメーカにソリューションの提案に行かなければならない。出張に出る前に見積もりが欲しいと呼ばれて工場の前まできたはいいが、見積もりはない。土下座してでも、何をしてでも謝るしかない。遅刻する訳にゆかないから早めにでてきた。ドアの前で時計をみたら、約束の時間までまだ小一時間あった。
最後にもう一度と思って近くの喫茶店に入って、ジェコインスキーに電話して状況を説明した。返ってきた答えは、また「来週」だった。もうバカバカしくて腹も立たない。見積もれないのなら、さっさとそう言えばいいものを、ちょっと待ってくれ、来週にはを二ヶ月も繰り返されてきた。もう、待つに待てない。

課長に、状況を伝えて平謝りに謝った。どうしようもない。どうしようもないなかで二人して、どうしたものかと話しているうちに、なんとなく世間話になった。

「エアラインはどこですか」「乗り換えは……」
「安いフライトなんでコネクションが悪いんだよね、ワシントンで六時間以上も待ち時間がある……」

これだ、どうにかなるかもしれない。もうミルウォーキーは夜中だが、そんなことにかまってられない。ジェコインスキーに電話した。奥さんに申し訳ないといって電話を代わってもらった。
「来週の月曜日に小林課長がJALのyyy便でワシントンDCに着く。ロアノークへのフライトとのコネクションが悪くて、六時間空港にいる」
「会社名と課長の名前を書いたパネルを持たせて、担当者をワシントン空港に送れ」
「そこで課長と要件や仕様の下打ち合わせをして、課長にくっ付いてタイヤメーカに押しかけろ」
「課長と一緒にタイヤメーカの要求仕様を確認してターンキーシステムの仕様を決めてしまえ」
この期に及んで四の五のは言わせない。

できる、できると言いながら二ヶ月以上経っても、ターンキーシステムの概略仕様すら分からない事業部。分からないなら分からないと言え、この痴れ物がと思っても、口にはだせない。標準プラットフォームとして採用されれば年に億は下らないリピートビジネスになると夢を追いかけたが、いかんせん相手がゆるすぎた。

ワシントン空港での打ち合わせ、タイヤメーカでの打ち合わせもなんとかなって、数週間後には仕様提案書と見積もりが届いた。何でこんなドラフトもどきの仕様書と見積もりが期日までに出せないのかと呆れる同時に、この先どうなるのかと不安になった。

乗ってしまったジェットコースター、途中で降りたくなっても降りられない。先にどんな不安があろうと、走り出したら走れなくなるまで走るしかない。リスクだらけのやばい仕事はいつものことで、今日に始まったことじゃない。
後日、見積もりの納期も守れないヤツがモノの納期など守れっこないという教訓を確認するはめになる。なにがあったところで、驚きゃしないと思ってはいたが、さすがにそれはないというとんでもないことが待っていた。
2016/4/10
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion10880:210516〕