リヒャルト・ヴァーグナー 楽劇『ニーベルングの指環(Der Ring des Nieberungen)』について

著者: 高橋順一 たかはしじゅんいち : 思想史
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1.作品概要(アドルノ『ヴァーグナー試論』高橋訳 作品社 2012のために高橋が作成したもの)
【タイトル】
序夜と三日のための舞台祝典劇『ニーベルングの指環』(Ein Bühnenfestspiel für drei Tage und einen Vorabend : Der Ring des Nibelungen)〔四つの楽劇*からなるのでしばしば「四部作(Tetralogie)」と呼ばれる 高橋〕
作曲1848~74年 初演1876年
*「楽劇(Musikdrama)」はヴァーグナーの音楽劇を伝統的な「オペラ」と区別するために作られた用語で、アリア(詠唱)とレチタティーヴォ(叙唱)の区別がなく、位一幕のあいだ音楽は途切れることがない。これは音楽と言葉(ドラマ)の有機的結びつきを実現するための手法であった。

(1)序夜『ラインの黄金』(Das Rheingold) 全1幕
・登場人物
ヴォータン(バス・バリトン)神々の長
アルベーリヒ(バリトン)ニーベルング族の矮人
ローゲ(テノール)火の神、半神でヴォータンの知恵袋
ファーゾルト(バス)巨人族の兄
ファーフナー(バス)巨人族、ファーゾルトの弟
ミーメ(テノール)ニーベルング族の矮人でアルベーリヒの弟
フリッカ(メゾソプラノ)ヴォータンの妻、結婚の女神
エルダ(アルト)地母神で知恵の女神
フライア(ソプラノ)フリッカの妹、美の女神
フロー(テノール)幸福の神
ドンナー(バリトン)雷神
ヴォークリンデ(ソプラノ)ラインの黄金を守るラインの乙女1
ヴェルグンデ(メゾソプラノ)ラインの乙女2
フロースヒルデ(アルト)ラインの乙女3
ニーベルング族(黙役)ニーベルハイムに棲む矮人族

・あらすじ
序奏
コントラバスの低い変ホ音の持続で始まる。ファゴットがこれに加わり、やがてホルンが「自然の生成」を表す動機(「生成の動機」)を奏し始める。序奏は、この変ホ長調の主和音を持続させたまま、世界の生成・変容を象徴的に表現する。ホルンが加わり、さらにファゴットが「ラインの動機」を奏で、弦楽器群が「波の動機」を提示しつつ音楽が高揚してゆく。金管群が加わって総奏へと達したところで幕が開ける。
第1場 「ラインの河底」
舞台はライン川の河底。ニーベルング族のアルベーリヒは3人のラインの乙女たちに言い寄るが、乙女たちはこの醜い矮人をさんざん嘲弄する。そのときアルベーリヒは河の底に眠る黄金を見つける。そしてラインの乙女たちから、愛を断念する者だけが黄金を手に入れて、世界を支配する無限の権力を持つ者に与えてくれる指環をその黄金から造ることができると聞かされる。アルベーリヒは愛の断念を誓い黄金を奪う。
第2場 「広々とした山の高み」
天上の神々の世界の長であるヴォータンは巨人族の兄弟ファーゾルトとファーフナーと契約し、ライン河畔の山上に神々の居城を作らせていた。城の完成の暁には兄弟へ報酬として女神フライアを与えるというのが契約の内容だった。だが城の完成が近づくと、もともと契約を守るつもりなどないヴォータンは、この契約を勧めた知恵(狡知)をつかさどる火の半神ローゲを呼び寄せ、何とかフライアを渡さずにすますための算段をさせようとする。
ローゲはアルベーリヒがラインの黄金を奪い取ったことを話し、ラインの乙女たちが指環を取り戻してほしいと願っていることを伝える。ニーベルング族との確執を抱える巨人たちは黄金の話に惹かれ、フライアよりも黄金の方が報酬として欲しいと言い出す。だがヴォータンは自身が世界を支配する指環を得たいと望んだことからこの申し出を拒む。怒った巨人たちは、フライアを人質にして連れ去ってしまう。フライアの作る若返りのリンゴが食べられなくなった神々は若さを失い衰え始める。そこでヴォータンはローゲとともに、ラインの黄金を手に入れるためにアルベーリヒとニーベルング族が住む地底の国ニーベルハイムへと降りてゆく。
第3場 「ニーベルハイム」
地底の国ニーベルハイム。アルベーリヒはラインの黄金を指環に矯め、その力によってニーベルング族を支配する王となっている。アルベーリヒは鍛冶の才を持つ弟のミーメも服従させ、彼に自由に姿を変えたり消したりすることが出来る魔法の隠れ頭巾を作らせた。ミーメがそれを密かに奪おうとしてアルベーリヒに見つかり、むち打たれる。
ヴォータンとローゲはミーメから事情を聞き出した上でアルベーリヒに近づく。アルベーリヒは警戒するが、次第にローゲの口車に乗せられついに魔法の隠れ頭巾による変身の術を見せてしまう。最初は大蛇に変身するが、小さいものに変身するようローゲに言われて蛙に変身してみせたところを簡単に捕まってしまう。ヴォータンとローゲはアルベーリヒを縛り上げ地上に拉致する。
第4場 第2場に同じ
再び山上の開けた台地。ヴォータンは捕らえられたアルベーリヒに対し身代金を要求し、アルベーリヒは仕方なくニーベルング族を使ってかき集めた財宝すべてを差し出す。だがそれだけでは許されず、ローゲには魔法の隠れ頭巾を奪われ、ヴォータンにはラインの黄金から矯められた世界支配の力を持つ指環を無理やり取り上げられてしまう。ようやく自由の身になったアルベーリヒは、指環に死の呪い(アルベーリヒの呪い)をかけてニーベルハイムへと帰ってゆく。だが指環を手にしたヴォータンは意に介さない。
巨人族の兄弟がフライアを連れて現れ、フライアの身体を隠すのに十分な財宝を要求する。ローゲとフローがニーベルング族の財宝を積み上げてゆくが毛が隠れなかった。そこでローゲがさらに隠れ頭巾も差し出すが、まだフライアのひとみだけがすきまから覗いている。巨人たちはヴォータンの指環も要求する。他の神々は指環を渡すようにいうが、ヴォータンはそれを拒否する。
このとき岩の裂け目から地母神エルダが登場する。エルダはヴォータンに、アルベーリヒの呪いのかかった指環を手放すようヴォータンに警告し、世界の終末が迫っていると告げる。ヴォータンは指環を巨人たちに渡し、ようやくフライアを解放させた。一方財宝を手に入れた巨人の兄弟は取り分をめぐって争い始め、ついにファーフナーがファーゾルトを棍棒で撃ち殺してしまう。ヴォータンはアルベーリヒの呪いが早くも現れたことに衝撃を受ける。やがてドンナーがハンマーを振るって雷を起こし雲を打ち払う。ここから「ヴァルハラ城への神々の入城」の音楽になる。フローが神々の城に虹の橋を架ける。ヴォータンは城を「ヴァルハル」と名付ける。このとき次の『ヴァルキューレ』で初めて登場する剣(ノートゥング)を表わす「剣の動機」がトランペットで演奏され、その後の英雄の登場を予告する。虹の橋を渡って神々は入城してゆくが、ローゲだけはその場に残り、神々の没落を見通しながら、その暁には炎となって愚かな神々を焼き尽くしてしまおうと独白する(この後ローゲは舞台には登場しない)。ラインの娘たちの嘆きが川底から聞こえてくる。壮麗な「ヴァルハルの動機」が響き渡る中、『ラインの黄金』が終わる。
(2)第一夜『ヴァルキューレ』(Die Walküre) 全3幕
・登場人物
ジークムント(テノール)ヴォータンが人間に生ませたヴェルズング族の若者
ジークリンデ(ソプラノ)ジークムントの双子の妹、フンディングの妻
フンディング(バス)ジークリンデの夫、ヴェルズング族の宿敵
ヴォータン(バリトン)
フリッカ(メゾソプラノ)
ブリュンヒルデ(ソプラノ)戦場で斃れた英雄の遺体をヴァルハルへと運ぶ戦女神ヴァルキューレの筆頭格。ヴォータンとエルダの娘
ゲルヒルデ(ソプラノ)ヴァルキューレ
ヘルムヴィーゲ(ソプラノ)ヴァルキューレ
オルトリンデ(ソプラノ)ヴァルキューレ
ヴァルトラウテ(メゾソプラノ)ヴァルキューレ
ジークルーネ(メゾソプラノ)ヴァルキューレ
ロスヴァイセ(メゾシプラノ)ヴァルキューレ
シュヴェルトライテ(アルト)ヴァルキューレ
グリムゲルデ(アルト)ヴァルキューレ
・あらすじ
きたるべきアルベーリヒとの決戦に備えて新たな勢力を得るためヴォータンは人間界に下り、人間の女にヴェルズングの双子の兄妹ジークムントとジークリンデを産ま
せた。しかし他の部族との争いの中でヴォータン父子は離れ離れになってしまう。ジークムントは戦いに明け暮れる孤独な若者となり、ジークリンデは敵の部族のフンディングと結婚させられてしまう。これが『ラインの黄金』から『ヴァルキューレ』までの前史である。
序奏
嵐が迫る中、敵に追われて逃走するジークムントの切迫した様子を表わす激しいリズムの音楽で始まる。トランペットとティンパニの轟音とともに幕が上がる。
第1幕 「館の内部」
第1場
フンディングの館。戦いに傷つき嵐の中を逃れてきたジークムントがフンディングの館にたどり着く。フンディングの妻ジークリンデはジークムントに水を与え、二人は強く惹かれあうものを感じる。
第2場
そこへ主人のフンディングが帰ってくる。ジークムントを見たフンディングは彼が妻のジークリンデと瓜二つであることに気づく。そしてジークムントの話を聞いたフンディングは、ジークムントが宿敵であるヴェルズングの一族であることを知る。そこでジークムントに、今宵一夜は客人として食事と寝床を提供するが翌朝には決闘しようと告げる。
第3場
フンディングに眠り薬を飲またジークリンデがジークムントのもとに忍んでくる。
語らう二人の前で突然館の扉が開き春の夜の月の光が室内にさしこむ。ジークムントは「冬の嵐は過ぎ去り」(ジークムントの「春と愛の歌」)を歌う。ジークリンデも「あなたこそ春です」と歌い二重唱となる。やがて二人は別れ別れになった兄妹であることを知る。館の庭にそびえるトネリコの木の幹には、かつてフンディングとジークリンデの婚礼の場にさすらい人に身をやつしてやってきたヴォータンが刺した剣がそのままになっていた。かつてだれもそれを引き抜くことが出来なかったからである。ヴォータンが密かにジークムントのために用意したこの剣をジークムントは引き抜き、「ノートゥング」(苦難・危急の意)という名を与える。二人の逃亡によって幕。
第2幕 荒涼とした岩山
序奏
ジークムントとジークリンデの逃避行を表す音楽、幕が開くとヴォータンとブリュンヒルデが立っている。
第1場 フンディングの館
ヴォータンは娘でヴァルキューレたち(戦さの女神)の長であるブリュンヒルデに、ジークムントとフンディングの決闘でジークムントを勝たせるよう命じる。しかし、ブリュンヒルデが去ったところへフリッカが登場し、結婚のおきてをつかさどる女神としてジークリンデの不倫、兄妹の近親相姦を許すことは出来ないとヴォータンをなじる。ヴォータンは非難をかわそうとするが、フリッカの舌鋒をしのぐことが出来ず心ならずもフンディングに勝たせることを誓わざるをえなくなる。
第2場
戻ってきたブリュンヒルデに、ヴォータンはジークムントに死をもたらすよう命じる。ヴォータンは長い叙事的語りによって、『ラインの黄金』以降のヴォータンの行動と、ラインの黄金と指環を手に入れ世界を支配しようとしながら、アルベーリヒの呪いのためについには神々の没落を招かざるを得なくなる自らの運命について娘に語る。そして新たな英雄の誕生に後を託そうという決断も同時に告げる。ブリュンヒルデは父の真意を推測しヴェルズングに深く同情する。
第3場
ジークムントとジークリンデが登場。ジークリンデは幻覚にとらわれ、ジークムン
トが戦いで倒れる様を見て気を失う。
第4場
気を失ったジークリンデを介抱するジークムントの前に、ブリュンヒルデが姿を現す。ブリュンヒルデは、ジークムントがフンディングとの戦いで死ぬこと、死せる勇者はヴァルハルに迎え入れられると告げる(ブリュンヒルデの「死の告知」)。しかし、ジークムントは、ジークリンデと離ればなれになることを拒否し、二人で死のうとノートゥングを振り上げてジークリンデを殺そうとする。これを見たブリュンヒルデは、ヴォータンの命に背いてジークムントを救うことを決心し、彼を止める。
第5場
ブリュンヒルデが去ると、フンディングの角笛が響いてくる。フンディングを迎え撃つためにジークムントはジークリンデを置いて立ち去る。ジークリンデは意識を取り戻すが、まだ幻覚から完全に覚めていない。雷鳴が轟き、ジークムントとフンディングの戦いが始まる。ブリュンヒルデがジークムントに加勢しようとするそのときヴォータンが現れ、ジークムントの剣ノートゥングを槍で砕く。ジークムントはフンディングの槍によって斃される。悲鳴をあげるジークリンデを、ブリュンヒルデは愛馬グラーネに乗せて連れ去る。満腔の怒りと侮蔑を込めて「行け!」と一言口にしたヴォータンによってフンディングも命を奪われる。そしてヴォータンは、命に背いたブリュンヒルデへの怒りに駆られ、恐ろしい勢いで退場する。
第3幕 岩山の頂き
序奏
有名な「ヴァルキューレの騎行」の音楽。すぐに幕が開き、音楽に乗って8人のヴァルキューレたちが声を上げながら岩山に集まってくる。
第1場
ブリュンヒルデが一人遅れてグラーネを駆ってやってくる。ブリュンヒルデがヴォータンに背き、ジークリンデを連れ出したことを聞いた他のヴァルキューレたちは恐慌状態となる。ジークリンデは絶望して死を望むが、ブリュンヒルデはジークリンデのおなかにジークムントの子供が宿っていることを告げ、生きるよう説得する。「ジークフリートの動機」が初めて現れ、ブリュンヒルデは来るべき英雄をジークフリートと名付ける。ジークリンデは感謝の言葉を、これも初出の「愛の救済の動機」に乗せて歌い、砕かれたノートゥングの破片を持って森へと逃れる。そうしているうちにもヴォータンが近づいてくる気配が高まる。
第2場
ヴォータンが怒り狂って登場、ブリュンヒルデをヴァルキューレから除名し、父娘の縁を切ると告げる。他のヴァルキューレたちはとりなそうとするが、ヴォータンは聞く耳を持たず、彼女たちをみな追い払ってしまう。ヴォータンとブリュンヒルデの二人だけが残り、重苦しい沈黙となる。
第3場
ブリュンヒルデは、自分の行為はヴォータンの真意をのっとったものだと釈明する。娘の父への愛情に次第に心を動かされるヴォータンだが、ブリュンヒルデに対する処罰は変えられないと言う。ブリュンヒルデは、ひとつだけ願いをかなえてほしいと父に訴える。自分の周りを火で取り囲み臆病者が自分に近づけないようにしてほしいというのだ。ブリュンヒルデの願いをヴォータンは受け入れる。そして「さらば、勇敢で気高いわが子よ」と歌い始める。ここからいわゆる「ヴォータンの告別」の音楽になる。ヴォータンはブリュンヒルデに「神である自分よりも自由な男だけが求婚する」ことが出来ることを認め、娘を抱擁する。そしてブリュンヒルデの輝く目を見つめ、閉じさせるとまぶたに口づけして神性を奪う。力を失ったブリュンヒルデのからだは岩山に横たえられ、盾で覆われる。ヴォータンは槍で岩を三度突いてローゲを呼び出す。ここから「魔の炎の音楽」が始まる。
岩から火柱が上がり、炎がブリュンヒルデを取り囲む。「まどろみの動機」が繰り返し奏される中で、ヴォータンは「この槍の穂先を恐れるものは、決してこの炎を踏み越えるな!」と叫ぶ。「ジークフリートの動機」が繰り返され英雄の誕生を予告する、舞台一面の炎に包まれて横たわるブリュンヒルデからヴォータンは名残惜しげに去っていく。
(3)第二夜『ジークフリート』(Siegfried)全3幕
・登場人物
ジークフリート(テノール)ジークムントとジークリンデの子、ヴォータンが望みを託す英雄。
ミーメ(テノール)ジークフリートの養父となっている
さすらい人(バス)ヴォータンの地上における変装姿
アルベーリヒ(バス)
ファーフナー(バリトン)大蛇に姿を変えて財宝とともに指環を護っている
ブリュンヒルデ(ソプラノ)ジークフリートの伯母にして妻となる
エルダ(アルト)
森の小鳥(ソプラノ)鳥の言葉でジ-クフリートに助言する
・あらすじ
ブリュンヒルデによって救われたジークリンデは、逃避行のさなかに出会ったミー
メに生まれた子どもとジークムントのかたみであるノートゥングの砕かれた破片を託
し死ぬ。ミーメは託された子どもジークフリートを養育しながら、ノートゥングをつぎ直し、それで大蛇に変身したファーフナーを斃して、ファーフナーが護っていたラインの黄金、財宝、隠れ頭巾、指環を手に入れることを夢見ている。これが『ヴァルキューレ』から『ジークフリート』への前史である。
序奏
「思案の動機」、「財宝の動機」、「ニーベルング族の動機」、「苦痛の動機」という示導動機が多層的に示される。「指環の動機」「剣の動機」も加わるが、ともに変形されており、「指環」を手に入れるため、ミーメがノートゥングを鍛え直そうとしている様子が示唆される。短い序奏のあと幕が開く。
第1幕 森の中の洞窟
第1場
ミーメはノートゥングの破片をつぎ直そうと試みるがうまくいかない。そこへジークフリートが森から帰ってきて、ミーメに熊をけしかける。慌てふためくミーメを見て嘲笑するジークフリートに、ミーメは「養育の歌」を歌い、ジークフリートを育てた自分にこのような仕打ちは恩知らずだと愚痴をこぼす。 ジークフリートは、水に映った自分の姿がミーメに似ていないことに気づいて自分の両親についてミーメを強引に問いつめる。ミーメは、母親のジークリンデが難産のために死んだこと、父親のことは知らないが、ノートゥングの破片が父のかたみであることを語る。ジークフリートはすぐにその剣を元通り鍛え直すようにミーメに命じて再び森に入っていく。
第2場
ミーメのところへ、「さすらい人」と名乗る紺色のマントを着た旅人が訪ねてくる。さすらい人はミーメに、首をかけて知恵比べをしようと言い出す。早く厄介払いしたいミーメはこれを受ける。ミーメが出した三つの問いにさすらい人はすべて答える。このやりとりのなかで、ミーメはさすらい人の正体がヴォータンであることに気づく。今度はさすらい人が三つの問いを出す。二つまで答えたミーメだったが、三つ目の問いである「ノートゥングを鍛え直せるのは誰か」には答えられない。さすらい人は「剣を鍛え直せるのは怖れを知らぬ者だ」と語り、ミーメの首はその者に預けるといって立ち去る。
第3場
戻ってきたジークフリートにミーメは「怖れ」を教えようとするが、ジークフリートは一向に理解しない。ミーメはジークフリートに、ファーフナーの洞窟に行けば恐怖を知るだろうという。ジークフリートは、ミーメがいつまで経っても剣を鍛え直せないのに業を煮やし自分で鍛冶に取りかかる。ジークフリートはまずノートゥングの破片をすりつぶし、坩堝にかけて溶かし合わせるとそれを型に流し込む(ジークフリートの「鍛冶の歌」)。その間にミーメはジークフリートを殺すために毒汁を煮る。ついにノートゥングは鍛え直され、ジークフリートが剣を振り下ろすと鉄床がまっぷたつに割れる。
第2幕 森の奥
序奏
「巨人の動機」、「大蛇の動機」、「呪いの動機」、「怨念の動機」が示される。
第1場
ナイトヘーレ(ファーフナーの洞窟)の前でアルベーリヒは様子を窺っている。そこへさすらい人姿のヴォータンが現れる。アルベーリヒはヴォータンを激しく罵るが、ヴォータンはとりあわず、ミーメがジークフリートを使って指環を奪おうとしていると告げる。そして洞窟の奥で眠っている大蛇姿のファーフナーにも警告する。アルベーリヒもファーフナーに、ジークフリートへ指環だけは渡して身を護るよう呼びかけるが、ファーフナーは相手にせず再び眠りに落ちる。ヴォータンが去り、アルベーリヒも隠れると夜が明ける。
第2場
ミーメがジークフリートを森に連れてくる。ジークフリートはミーメを追い払い、父母への想いに浸る。小鳥のさえずりによる「森のささやき」の音楽。ジークフリートは小鳥のさえずりをまねて葦笛(舞台上のイングリッシュ・ホルン)を吹くが調子がはずれる。そこで今度は角笛を吹き鳴らすと、ファーフナーが目を覚まして洞窟から現れる。ジークフリートはファーフナーに「怖れ」とは何かを教えるようにいうが、ファーフナーはジークフリートを取って食おうとする。戦いとなり、ジークフリートがついにノートゥングをファーフナーの急所に突き立てる。ファーフナーは「このことをおまえにけしかけた者が、おまえの命を狙っている」とジークフリートに告げて息絶える。指に付着したファーフナーの返り血をジークフリートがなめると、突然小鳥の鳴き声が言葉として理解できるようになる。ジークフリートは小鳥の言葉に
したがい、洞窟内の宝を取りに入る。
第3場
アルベーリヒとミーメが洞窟の前に飛び出してきて、宝の所有をめぐって口論する。そこへジークフリートが洞窟から隠れ頭巾や指環などを運び出してくる。再びアルベーリヒは姿を消し、ミーメはジークフリートに眠り薬を飲ませようとする。しかし、ジークフリートはファーフナーと小鳥の警告でこのことを予期しており、ミーメはごまかそうとすればするほど害意があることを漏らしてしまう。ミーメの殺意が明らかとなり、ジークフリートはミーメを斃してしまう。小鳥はさらに、炎に包まれて眠るブリュンヒルデのことを告げ、ジークフリートは岩山をめざす。
第3幕 荒涼たる岩山の麓―岩山の頂き
序奏
「騎行の動機」とともに「生成の動機」が速いテンポで切迫した様子を描く。
第1場
「さすらい人」姿のヴォータンがエルダを呼び出す。ヴォータンはエルダの助言を求めようとするが、エルダはまともに答えようとせず、かえって『ヴァルキューレ』においてなぜ娘であるブリュンヒルデのいう通りにしなかったのかとヴォータンをなじり、男の権力志向が女の愛への志向をいかに傷つけたかを語る。ヴォータンは神々の没落をむしろ望んでいるといい、自らの「遠大な構想」が英雄であるジークフリートによって実現されることへの期待を一方的に語ってエルダを再び眠りにつかせる。
第2場
岩山に近づくジークフリートに、ヴォータンが声をかける。はじめのうち、孫との会話を楽しむヴォータンだが、相手がだれかを知らないジークフリートの不遜な態度に次第に怒りをつのらせ、ついにはジークフリートに向かって槍を突き出す。だがかつてノートゥングを砕いたその槍は、ジークフリートが鍛え直した剣でまっぷたつに叩き折られてしまう。ヴォータンは退場し二度と舞台には登場しない。ジークフリートはそのまま炎に包まれた岩山を登り、炎を超えてゆく。
第3場
ジークフリートは岩山の頂上で一頭の馬(グラーネ)、そして盾に覆われて横たわ
る人間(ブリュンヒルデ)を見いだす。身体を覆っていた盾と鎧を外し、眠っているのが女性であることに気づいたジークフリートは、初めて「怖れ」を覚える。しかし、次第にブリュンヒルデの美しさに魅せられ、「目を覚ませ!」と叫ぶび唇を重ねる。
ブリュンヒルデが目覚める。目覚めさせたのがジークフリートであることを知ったブリュンヒルデは感動し、二人による長大な二重唱となる。一度は不安におののき、取り乱した姿を見せるブリュンヒルデだが、本能の赴くままに求愛するジークフリートについに応える。二人は声を合わせて愛の歓喜を歌い上げ(二重唱)、「輝く愛! 笑う死!」という言葉で幕を閉じる。
(4)第三夜『神々の黄昏』(Götterdämmerung)全3幕
・登場人物
ジークフリート(テノール)
グンター(バリトン)ライン河畔のギービヒ家の当主
ハーゲン(バス)アルベーリヒが人間の女に生ませた息子、グンターの異父弟。
アルベーリヒ(バス)
ブリュンヒルデ(ソプラノ)
グートルーネ(ソプラノ)グンターの妹
ヴァルトラウテ(アルト)ヴァルキューレ、ブリュンヒルデの妹
3人のノルン「運命の女神」三姉妹、エルダの娘
第1のノルン(アルト)
第2のノルン(メゾソプラノ)
第3のノルン(ソプラノ)
3人のラインの乙女
ヴォークリンデ(ソプラノ)
ヴェルグンデ(メゾソプラノ)
フロースヒルデ(アルト)
ギービヒ家の家来たち(合唱)
・あらすじ
序幕 岩山
序奏は「覚醒の動機」のライトモティーフで始まるが、『ジークフリート』(第三幕第三場)のときより半音低い変ホ短調で、拍子・速度指定も異なる。エルダの娘で「運命の女神」である三人のノルンが登場し、運命の綱を操りながら「過去」、「現在」、「未来」を語る。『指環』全体のドラマの流れにおいて、『ヴァルキューレ』第二幕第二場のヴォータンの語りと並ぶ重要な叙事的語りの場面である。第1のノルンは、『ラインの黄金』以前の前史を、第2のノルンはヴォータンの槍が叩き折られたことを、第3のノルンは、ヴォータンがヴァルハルの城の広間に薪を山と積み上げ劫火のうちに神々の世界が終焉するのを待ち望んでいることを告げる。突然ノルンたちが操る綱が切れ、驚愕する3人は大地の下に姿を隠す。
ここから「夜明け」の音楽が始まる。「ブリュンヒルデの愛の動機」が繰り返され、高揚したところでブリュンヒルデとジークフリートが登場する。ジークフリートは「支配の指環」をブリュンヒルデに愛の証として預け、ブリュンヒルデは愛馬グラーネをジークフリートに贈る。ライン川に向けて旅立つジークフリートを、ブリュンヒルデは岩山に残って見送る。管弦楽による「ジークフリートのラインへの旅」が第1幕への間奏曲となる。
第1幕 ライン河のほとり、ギービヒ家の館の大広間―岩山
第1場
グンターとグートルーネ、ハーゲンが話しあっている。ギービヒ家の名声を高めるため、ブリュンヒルデをグンターの妻に迎え、英雄ジークフリートをグートルーネの夫に迎えるようとハーゲンが言い出す。ハーゲンはそのためにジークフリートに薬を飲ませて過去を忘れさせるという計略を考え出す。グンターとグートルーネは同意する。そこへジークフリートの角笛が聞こえてくる。小舟でライン川をさかのぼるジークフリートにハーゲンが呼びかけ館へと招く。
第2場
ギービヒ家の館に入ったジークフリートは、戦いか友好かどちらかを選べと迫る。グンターは歓迎の意を表し、グートルーネが「忘れ薬」の入った飲み物をジークフリートに手渡す。忘れ薬を飲んだジークフリートはブリュンヒルデのことを忘れ、グートルーネに夢中になってしまう。ジークフリートはグンターと義兄弟の盟約を誓い、グンターがブリュンヒルデを妻として欲していると聞くと、グンターのために岩山を囲む炎を超えてブリュンヒルデを手に入れることを約束する。二人は岩山めざして館を後にする。
見張りのためにひとり残ったハーゲンは、すべてがニーベルング(アルベーリヒ)の息子である自分が指環を奪うための策略であることを語る(「ハーゲンの見張り」のモノローグ)。
第3場
岩山の場面。ブリュンヒルデのもとへ妹のヴァルトラウテが訪ねてくる。ヴァルトラウテは、ジークフリートに槍を折られたヴォータンが、ヴァルハルに戻った後、世界に中心であるトネリコの樹を切り倒させ、それを打ち砕いて作った薪を高く積み上げて神々の終焉を待ち受っている様をブリュンヒルデに語る。そして神々を救うために、アルベーリヒの呪いがかかった指環をラインの乙女たちに返すようブリュンヒルデに懇願する。しかしブリュンヒルデはジークフリートとの愛の証しである指環を手放すつもりはないとして拒絶する。ヴァルトラウテは絶望して姉のもとを去る。そこへ隠れ頭巾でグンターの姿になったジークフリートが現れる。ブリュンヒルデは抵抗するが、ジークフリートはついに彼女を押さえ込み指環を奪い取る。
第2幕 ライン河畔、ギービヒ家の館の前
「闇の領域」を表す、暗く重々しい序奏
第1場
ハーゲンの前にアルベーリヒが現れる。アルベーリヒはハーゲンに指環を手に入れ
ることを誓うように求めるが、ハーゲンは心配無用だと答える。
第2場
夜明けとともにジークフリートがギービヒ家の館に戻ってくる。ジークフリートはハーゲンに、ジークフリートがグンターになりすましてブリュンヒルデを妻にするという策略がうまくいったことを告げる。グートルーネはジークフリートとブリュンヒルデが岩山で一夜をともすごしたと聞いて気にするが、ジークフリートは「二人は近くにはいたが、遠く隔たっていた」と釈明する。
第3場
ハーゲンがギービヒ家の家臣たちを呼び集める。これに応えて集まってきたギービヒ家の家臣たちに、ハーゲンは陽気な調子で、皆を集めたのはグンターとブリュンヒルデの婚礼のためだったことを告げ、これを聞いた家臣たちは愉快そうに歌い出す。
第4場
グンターがブリュンヒルデを連れて館に戻ってくる。グンターは自分とブリュンヒルデ、ジークフリートとグートルーネの婚礼を告げる。そこにジークフリートがいるのを見たブリュンヒルデは愕然とする。そしてジークフリートがグートルーネと結婚しようとしていることを知り、さらにはグンターに奪われたと思っていた指環をジークフリートがはめていることに気づくと、ブリュンヒルデは、ジークフリートが自分とグンターを裏切り、グンターになりすまして自分を陵辱し指環を奪ったのだと激しくジークフリートを糾弾する。グンターは家来たちの前で面目を失い、グートルーネは不安のあまりジークフリートに裏切りを犯していない誓約を求める。ジークフリートは、ハーゲンが突き出した誓いの槍に手を当てて自らの潔白を宣誓する。だがブリュンヒルデはジークフリートを押しのけ、裏切りを犯し偽の宣誓を行ったジークフリートは槍によって斃されるべきだと宣誓する。騒然となるなか、ジークフリートは「口での争いの際には男はいさぎよく引き下がったほうがよい」と言い残し、グートルーネと家来たちを従えて館へ引き上げる。
第5場
あとに残ったブリュンヒルデ、グンター、ハーゲン。ブリュンヒルデにハーゲンは巧みに取り入り、ジークフリートへの瞋りに我を忘れているブリュンヒルデから、彼女の力でジークフリートのからだは不死身となったが、敵に背を見せない英雄ゆえに、背中だけは不死身にしなかったことを聞き出す。ハーゲンはグンターに、失った名誉を回復するにはジークフリートを殺すしかないとジークフリートの殺害をそそのかす。さらに指環を奪い世界を支配する力を手に入れようとグンターを煽る。グンターは躊躇するが、ハーゲンに押し切られて同意する。そしてジークフリートを狩りに誘い出しそこで殺害することを決める。復讐を誓うブリュンヒルデとグンター、二人を利用して指環を奪おうとするハーゲンによる三重唱となる。館からジークフリートとグートルーネの婚礼の行列が繰り出すところで幕となる。
第3幕 ライン河のほとりの、原生林と岩に囲まれた谷間のあらあらしい低地
「角笛の動機」に「苦痛の動機」が応える不吉な序奏。
第1場
翌日。狩りの途中で道に迷ったジークフリートは3人のラインの乙女たちと出会う。乙女たちは最初はからかい気味の言葉でジークフリートに指環を返すようすすめる。一度は渡す気になるジークフリートだったが、乙女たちが真剣な様子で、指環には呪いがかかっており、指環の持主には必ず死が訪れると警告したため、かえって反発して指環を渡すことを拒否する。ジークフリートの愚かさに愛想を尽かした乙女たちは、指環がブリュンヒルデのものになるだろうと予言し、ブリュンヒルデのもとへと向かう。
第2場
ようやくジークフリートはグンター、ハーゲンの一行と落ち合し、酒を酌み交わし始める。憂鬱な様子のグンターを励まそうと、ジークフリートは自分のこれまでの身の上を語り始める。ハーゲンは記憶を呼び戻す薬を酒に入れてジークフリートにすすめる。酒を飲んだジークフリートは、過去を語るうちに岩山でのブリュンヒルデとの出会いを思い起こし、一同に明かしてしまう。驚愕するグンター。ハーゲンは、ジークフリートの頭上から飛び去ろうとするヴォータンの使いの二羽の大ガラスへとジークフリートの注意を向けさせ、ハーゲンに向かって背を向けたジークフリートに「からすがおれに復讐を勧めたのだ」というやいなやその背中へと槍を突き立てる。「なんということをしたのだ!」というグンターや家来たちに、ハーゲンは「偽誓を罰したのだ!」と答える。記憶を取り戻したジークフリートは、今際のきわにふたたびブリュンヒルデへの愛に目覚め、「ブリュンヒルデが私にあいさつする」と語りながら息絶える。第3場への間奏である「ジークフリートの葬送行進曲」が奏される。第1幕への間奏曲「ジークフリートのラインへの旅」とともにしばしば独立して演奏される『指環』屈指の名音楽である。とくに中間で高らかに奏される「剣の動機」が印象深い。
第3場
グンター、ハーゲンたちがジークフリートの亡骸とともにギービヒの館に帰ってくる。ジークフリートの死を知ったグートルーネは取り乱しグンターを非難する。グンターはハーゲンがジークフリートを殺したことを明かす。ハーゲンは開き直りながら、ジークフリートは偽誓の報いで殺されたのだと言って指環を自分によこすよう要求する。グンターは「アルプ〔アルベーリヒ〕の子め!」とハーゲンを罵り指環を渡すのを拒絶するが、ハーゲンはグンターに襲いかかり斃してしまう。そして亡骸となったジークフリートの指から指環を取ろうとするが、ジークフリートの手が威嚇するように上がり、女性たちが叫び声を上げる。 そこへブリュンヒルデが厳かな様子で登場する。グートルーネが「おまえが破滅をもたらしたのだ」とブリュンヒルデを激しく非難するが、ブリュンヒルデは「黙りなさい、私こそジークフリートの真の妻なのだ」と告げる。すべてを知ったグートルーネは恥辱の中でグンターの遺体に突っ伏し動かなくなる。
ここから終幕までがいわゆる「ブリュンヒルデの自己犠牲」の音楽となる。ラインの乙女たちからすべてを聞かされたブリュンヒルデは、ギービヒ家の家臣たちに河畔に薪を積み上げるよう命じる。そしてジークフリートを称えるとともに、ヴァルハルのヴォータンに向かって、ヴォータンの立てた計画がジークフリートを、そしてブリュンヒルデ自身を呪いがもたらす破滅へと追いやったのだと訴え、すべての桎梏からの解放を宣言する。ジークフリートの亡骸が薪の山の上に運ばれると、ブリュンヒルデは指環を手に取り、ラインの乙女たちに指環を返して再び清らかな黄金に戻させ、指環の呪いを解くという決意を語る。そしてヴォータンの使いのからすたちにこの様をヴォータンへと伝えるように、さらには岩山になお燃えさかるローゲの火にヴァルハルへと行くよう命じる。ブリュンヒルデはついにヴァルハルの炎上とともに神々の世界が終焉を迎えることを宣告したのだった。積まれた薪の山に松明が投じられ火が燃え上がると、ブリュンヒルデは愛馬グラーネにまたがり炎の中に飛び込む。
やがてギービヒの館は炎に包まれて崩れ落ち、ライン川が氾濫して水が押し寄せてくる。ラインの乙女たちが姿を現すと、ハーゲンは狂ったように槍も楯も兜も捨てて、「指環から離れろ!」と叫びながら流れに向かって身を躍らせるが、ヴォークリンデとヴェルグンデに水の中へと引き込まれてしまう。フロースヒルデが歓呼しながら指環を高くかざしている姿が見え、乙女たちは泳ぎ去る。炎は天上に広がり、神々と勇士たちが集まるヴァルハルが炎に包まれる。「愛の救済の動機」が鳴り響く中、『指環』のドラマは終末を迎える。

【作品について】(『ニーチェ事典』弘文堂 1995中の高橋執筆による「ニーベルングの指環」の項をもとにした)
ヴァーグナー(Richard Wagner 1813‐1883)の楽劇『ニーベルングの指環』は、その創作が開始されて以来、完成までに二六年を費やした文字通りヴァーグナーのライフワークというべき作品である。全体は序夜劇『ラインの黄金』とそれに続く楽劇『ヴァルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』の四部からなり、上演にはほぼ一四時間かかる。この大作の構想は、ヴァーグナーがドレスデンの宮廷歌劇場の楽長を務めつつ、友人ミハイール・バクーニンの主導したドレスデン武装蜂起へと参加した一八四八年から四九年にかけて執筆を開始したドラマ草案『ジークフリートの死』とともに始まる。同じ頃ヴァーグナーは論文『ヴィーベルンゲン 伝説に発した世界史』を執筆するが、そこで彼は、ゲルマン諸族の抗争の歴史と、英雄ジークフリートおよびニーベルング族に関する神話伝承とを結びつける「伝説世界史」、つまり歴史と神話の融合を模索しようとしている ― ちなみにこの世界史の構想には明らかにヘーゲルの歴史哲学の影響が見られる ― 。この「伝説世界史」という考え方によって方向づけられた神話への志向が、一八四九年の革命の挫折後の亡命時代にヴァーグナーのなかで次第に熟していった未来芸術の構想、すなわち芸術による世界の根源的な革命の手段としての「綜合芸術作品」(詩文芸術と音楽芸術と舞踏芸術の総合)の構想の受け皿となったのである。『ジークフリートの死』の草案はこうした神話への志向を具体化する素材としての意味と位置を与えられる。ヴァーグナーは主に北欧の古伝承であるエッダやサガに素材を取りながら、後に『神々の黄昏』と改題されることになる『ジークフリートの死』の台本を五二年までに完成させた。ここでヴァーグナーの思想的背景について触れておくと、ヴァーグナーのスタンスはヘーゲル左派と「若きドイツ」派にもっとも近いところにあった。前者に関して言えば、初期のヴァーグナーがヘーゲルとともにもっとも影響を受けたのがフォイエルバッハであったことを挙げておきたい。『指環』に投影されている貨幣=資本の支配する世界に対し愛の合一を対置しようとする発想にはその影響が現われている。後者に関しては、ヴァーグナーがハイネやルートヴィヒ・ベルネと親しかったことが挙げられよう。とくにハイネの存在は、前期のオペラ『タンホイザー』の素材をあおいでいることや神話の見方などヴァーグナーにとって重要な意味を持っていた。またパリにヴァーグナーが滞在していた時期は義人同盟の活動が展開されていた時期、さらにはマルクスがいた時期と重なるとともに、何よりも「一九世紀の首都パリ」(ベンヤミン)を支配する資本主義的近代への激しい批判の意識において義人同盟のメンバーやマルクス、ハイネと共通の問題意識をもっていたのである。ちなみにパリ時代のヴァーグナーの愛読書の一つがプルードンの『貧困の哲学』であった。こうして見ていくとき、ヘーゲルとフォイエルバッハを真ん中に置くとヴァーグナーとマルクスは兄弟弟子の関係になることが明らかになる。さらにはハイネはマルクスとヴァーグナーの共通の友人だったし、もう一人、ヴァーグナーにショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を教えた「若きドイツ」の詩人ゲオルク・ヘルヴェークもまたマルクスとヴァーグナーの共通の友人であったという事実も挙げておこう。
さてその後ヴァーグナーは英雄ジークフリートの死へと至るドラマの伏線を明らかにするために、ヴァーグナーはさらに『若きジークフリート(『ジークフリート』と改題)、『ヴァルキューレ』、『ラインの黄金』と、ちょうどドラマの時間的順序とは逆に台本を書き進めていった。音楽のほうは『ラインの黄金』から作曲が始められたが、途中五七年から六四年にかけて長い中断の期間があり、最終的に全四部作が完成するのは七四年になる。全体が初演されたのは七六年の第一回バイロイト祝祭においてであった。

この長大な作品にヴァーグナーは彼の世界観、芸術観、人間観、革命観などのすべての要素を注ぎ込んでいる。ドラマの骨格となっているのは、ヴォータンを長とする古い神々の世界である天上のヴァルハル、ヴェルズングと呼ばれる、ヴォータンが人間の女に産ませた息子ジークムントと娘ジークリンデをはじめとする人間族や巨人族ファーフナー、ファーゾルド兄弟の住まう地上世界、長であるアルベーリヒとその弟ミーメたちニーベルング族の住まう地底世界ニーベルハイムの三つの空間を座標軸としながら繰り広げられる、神々、巨人族、ニーベルング族らの世界支配の権力(その証しとしての「ラインの黄金」とそれから作られた指環)をめぐる抗争である。黄金と指環は最初アルベーリヒのものになるが、ヴォータンとその知恵袋である火の神ローゲに騙されて強奪される。アルベーリヒは指環に呪いをかけヴォータンへの復讐を誓う。ところがヴォータンもまたヴァルハルの城建築の代金として巨人族の兄弟に黄金と指環を取られてしまう。こうした抗争の過程で古い勢力は没落し、ジークムントとジークリンデのあいだに生まれた英雄ジークフリートと、ヴォータンの娘でヴァルキューレ(戦女神)たちの長姉であるブリュンヒルデのカップルに指環とともに世界の救済と解放の夢が託されるが、その二人も最後には復讐をたくらむアルベーリヒの息子ハーゲンの姦計にかかって命を落とし、炎上するヴァルハルを背景にしながら、あふれ出たライン川の水底へと指環が還っていく場面とともにドラマの終結を迎えるのである。
そこにはヘーゲルの歴史哲学、フォイエルバッハの愛の思想、ショーペンハウアーの意志否定のペシミズム、さらにはジョセフ・プルードンの貨幣批判や、ヴァーグナーの親友でドレスデン武装蜂起の指導者であったミハイール・バクーニンのラディカルなアナーキズム(権力否定の思想)など、ヴァーグナーが影響を受けた思想的要素が複雑にからみあい、極めて錯綜した世界が現出している。そしてもっとも注目しなければならないのは、北欧神話やケルト・ゲルマンの古伝承などに素材を求めたこの神話劇が、神話というヴェールの向こう側に、そのドラマトゥルギーおよび音楽語法を通じてまるで判じ絵のようにヴァーグナーの生きた一九世紀近代という時代の根源史を浮かび上がらせている点である。アドルノの言葉を使えば、これがヴァーグナーにおける「ファンタスマゴリー(幻燈・幻影)」としての神話のもたらすもっとも本質的な表現効果、作用に他ならない。そしてこの劇の主題である黄金=指環とは一九世紀近代においてついに王座に就いた貨幣=資本を象徴するもののであり、その限りにおいて『ニーベルングの指環』は、神話的音楽劇のかたちを取ったもう一つの『資本論』であるとさえいえるであろう。ヘーゲルとフォイエルバッハの弟子を自認していたヴァーグナーはある意味でマルクスと兄弟弟子でもあったのである。また長い作曲中断期に書かれた楽劇『トリスタンとイゾルデ』とともに、この作品でもを大胆に侵犯する近親相姦(兄ジークンムントと妹ジークリンデ、伯母ブリュンヒルデと甥ジークフリート)を描くことによってヴァーグナーは、近代市民社会が抑圧してきた性愛の根源性を明確に表現している。この点でヴァーグナーはフロイトの先駆としての意味も持つのである。また社会的規範にとらわれない自由な性愛の賛美は、女性原理(愛=エロス)と男性原理(権力)の対立を通して表現されていることにも注目しなければならないだろう。これらの点を踏まえればこの『指環』という作品に代表されるヴァーグナー芸術はまぎれもなく一九世紀のモダニズム芸術の一頂点をなしているといえるだろう。

このような『指環』という作品についてニーチェは『反時代的考察』第四篇『バイロイトにおけるリヒャルト・ヴァーグナー』において次のようにいっている。「ヴァーグナーの詩人性が示されるのは、彼が概念によってではなく目に見えるもの、感覚しうるものによって思考している点においてである。すなわち民衆がいつもそうなように神話的に思考している点である。人工的に歪められた文化の下にある人々が考えがちなように神話は思想を基礎として成り立つものではなく、神話それ自体が思想なのである。つまり神話は出来事や行為や苦悩の連続の中で、一個の世界表象を伝えるのだ。『ニーベルングの指環』は概念形式を持たない巨大な思想体系である」(『ニーチェ全集』第Ⅰ期第五巻『反時代的考察』第四篇『バイロイトにおけるリヒャルト・ヴァーグナー』 三光長治他訳 白水社 1980 75頁)。ここでニーチェはヴァーグナーが亡命期に書いた著作『未来の芸術作品』『オペラとドラマ』などに依拠しながら、五感の全体性に根ざした綜合芸術作品の構想やその担い手としての民衆という考え方に基づいて『指環』における神話の意味を明らかにしようとしている。このようなニーチェによるヴァーグナーの神話の意味規定はトーマス・マンのヴァーグナーの核心へと引き継がれることになる(マン「リヒャルト・ワーグナーの偉大と苦悩」
(『ワーグナーと現代』小塚敏夫訳 みすず書房 1971 所収 参照)。
ところでニーチェの『反時代的考察』におけるこのような『指環』の見方がヴァーグナーへの強い共感に基づいているとすれば、ヴァーグナー批判へと転じた後のニーチェの『指環』観が展開されているのは『ヴァーグナーの場合』においてである。ここでニーチェは、『指環』の主人公ジークフリートに託されたヴァーグナーの基本理念が革命にあったこと、つまりいっさいの「道徳への宣戦布告」としての意義を持った古い世界のアナーキスティックな破壊と「自由恋愛の秘蹟」に基づく非抑圧者としての女性(ブリュンヒルデ)の解放にこそジークフリートの意味があったことを指摘した上で、そうした革命の理念がショーペンハウアー哲学という「暗礁」に乗り上げてしまった結果、『指環』全体がデカダンスに転落してしまったという。「デカダンスの哲学者〔ショーペンハウアー〕がはじめてデカダンスの芸術家〔ヴァーグナー〕に自己自身を与えたのだ」(『ニーチェ全集』第Ⅱ期第三巻『ヴァーグナーの場合』 秋山英夫他訳 白水社 1983 225頁)。このニーチェの認識は、『神々の黄昏』の最終場面、いわゆる「ブリュンヒルデの自己犠牲」と呼ばれている場面において、ヴァーグナーが当初フォイエルバッハの愛の思想に基づき「革命的」な台詞を書いたにもかかわらず、ショーペンハウアーとの出会い後にその哲学から影響を受けてよりペシミスティックな台詞へと変更したことを踏まえていると思われる。ニーチェは、このようなフォイエルバッハ・ヴァージョンからショーペンハウアー・ヴァージョンへの変更を、『指環』におけるヴァーグナーのデカダンとしての自己覚醒過程として捉えているのである。もっとも皮肉なことにニーチェが終生ヴァーグナーの最高傑作として評価していたのは、ヴァーグナーの作品のなかでもっともショーペンハウアーの影響の濃い作品『トリスタン』であった。それはおそらく、『トリスタン』における神話の美的仮象への昇華の純度の高さに対して、『指環』の神話には不透明な錯綜した性格が現われているからであろう。だがこの不透明な錯綜した神話性の核にヴァーグナーの逆説的な近代性が現われているといえよう。――

【『ニーベルンゲンの歌』との関係について】
合澤清さんの「書評「ニーベルンゲンの歌」」と対比するかたちで、リヒャルト・ヴァーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』について書いてきた。ここであらためて両作を比べてみると、名前から連想される共通性よりもむしろ違いのほうがより強く感じられる。ニーベルンゲン伝説はゲルマンからケルト、北欧まで広がる広範な地域に伝承されていたキリスト教以前の古伝説に由来する。ヴァーグナーが主な素材としたエッダやサガにもそれはつながっている。たとえば両者はニーベルンゲン=ニーベルング族という共通の素材を扱っている。彼らが莫大な財宝を持ち、それが英雄ジークフリートのものになることからその後の葛藤と悲劇が始まることも共通している。しかし「歌」のほうではニーベルング族はドラマの初期に一度登場した後(とくにその首領アルプ)その後は直接ドラマに登場しない。それに対し『指環』のほうでは、「歌」には登場しない北欧神話の神々の長ヴォータン(エッダ・サガではオーディン)と矮人族ニーベルングの長アルべーリヒ(劇中でしばしば「アルプ」と呼ばれる)の対立が一貫してドラマ全体の骨格をなすのである。私はこの対立を、新旧世界の対立、すなわち封建貴族+大ブルジョアジーと新興中下級市民+プロレタリアートの対立と捉えたいと思う。ちなみにニーベルングのニーベルはドイツ語のネーベル、つまり「霧」からきているのだが、ヴァーグナーはこの「霧」を産業資本主義の都であり、石炭の排出するスモッグに覆われる「霧の都」ロンドンと結びつけていた。さらにニーベルングの財宝は、ヴァーグナーにおいてははっきりと黄金、すなわち貨幣=資本として表象されており、しかもその黄金は最初にそれを手に入れた(したがってヴァーグナーの『指環』では財宝は最初からニーベルングのものではなかった)アルベーリヒによってニーベルハイム(ネーベルハイム=霧の住処=ロンドン)の地底工場へと持ち込まれ、富の増産(拡大再生産=剰余価値生産)が進められるのである。ヴァーグナーは『指環』を、一九世紀を支配する黄金=資本のドラマとして構想したといってよいだろう。少し極端に聞こえるかもしれないが、『指環』はもう一つの『資本論』とさえいえるのである。もちろん個々の場面でヴァーグナーが「歌」から取った素材を使っているのも確かである。その最大の要素が「隠れ頭巾」による変装、なり替わりの話であろう。「歌」のグンテル王と『指環』のグンターとは明らかに対応しているし、隠れ頭巾を使ってグンテル=グンターとジークフリートがなり替わり、プリュンヒルトを我がものとするところはまったく同じといってよい。ただわたしはさらにもう一つの決定的な点で両者が全く違う意味を持つ作品であると考える。
それは女性、より正確にいえば性愛の持つ意味である。「歌」の、特に後半は凄絶な復讐劇、殺戮劇となっている。そこでは二人の女性の嫉妬、憎悪、復讐、名誉等が複雑に絡み合いながら最後にすべてが破局を迎える地点まで突き進む。私たちはこの凄絶さに衝撃を受けるとともに、ここでの女性の描き方にある種の違和感を覚えざるを得ない。もちろん「歌」が成立した時代の人々の生や死、自らの名や家の名誉などをめぐる意識のあり方の問題はあるだろう。だがそこに女性を貶めるものと言わざるを得ない側面があることは確かである。ひと言でいえばヴァーグナーは「歌」における女性のこうした側面を、全部と言わないにせよ(ブリュンヒルデがジークフリートに裏切られた(と思い込んだ)怒りからハーゲンにジークフリートの弱点である背中を教えるところなどは「歌」と共通する)おおむね排除し、根本的には女性を極めて肯定的に描いている。その背景には貨幣=資本と並ぶ『指環』のドラマトゥルギーのもう一つの基本要素の問題が存在する。それは、<黄金=資本=権力=愛の断念=男性(ヴォータン・アルベーリヒ・ミーメ・ハーゲン・グンター)>対<愛(性愛)=権力の拒否=合一=女性(ブリュンヒルデ・ジークリンデ・エルダ・グートルーネ)>という対立である。そしてヴァーグナーが窮極的に目指しているのは後者による前者の打倒・廃絶であった。つまり貨幣=資本なき社会、権力と支配のない社会の実現であり、それを可能にするのが女性と性愛の力なのである。その意味で『指環』は貨幣=資本劇であると同時に権力の消滅を目指す革命劇(それはジークフリートの死によって挫折するのだが)でもあるのだ。さらにいえばジークフリートは男性(祖父であるヴォータン)と女性(伯母であるブリュンヒルデ)のあいだで引き裂かれている。彼はいわば両性具有なのでありそれによって「革命的」であるのだ。なぜか。彼はジークムント(兄)とジークリンデ(妹)のあいだの近親相姦によって生まれた子供だったからである。『指環』において近親相姦は、貨幣と権力という現世の支配秩序に反逆するもっともラディカルな武器であった。それは近親相姦が現世の秩序による抑圧や変形を受けないもっとも純粋なエロス=リビドーの発現だからである。だからこそジークフリートは、母(妹)と父(兄)に続いて、叔母である(実質的には第二の母である)ブリュンヒルデと結ばれるのである。この二つの近親相姦こそが『指環』のドラマトゥルギーの最大の結節点といってよいだろう。ヴァーグナーは中世の古伝説からこうした、もともスト-リーからはかけはなれたドラマの構造を引き出していったというべきであろう。ちなみにいえばこの点でヴァーグナーは、先に挙げたマルクスとの思想的共鳴・通底と並んで、フロイトの思想的先駆としての意味も持つのである。
もちろんこれまで述べてきたことは決して「歌」と『指環』の作品の優劣の問題などではない。両者の違いをふまえつつ、それぞれを独立した作品として味わうべきであろう。

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