ルネサンス研究所の4月定例研究会のお知らせ

著者: 中村勝己 なかむらかつみ : 大学教員
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今回は、マルクスやトロツキー、ハーヴェイの翻訳に携わり、この間、矢継ぎ早に著作を刊行しているマルクス経済学者の森田成也さんの新刊書『ヘゲモニーと永続革命』(社会評論社)の合評会を開催します。

本書は、トロツキーの永続革命論とグラムシの陣地戦論の関係を、これまで長く誤解されてきたような対立関係としてではなく、むしろ内在的な継承関係として捉えることを提唱しています。また、「ヘゲモニー」というマルクス主義の政治概念を、マルクス・エンゲルスの使用例やプレハーノフ、レーニンらロシア・マルクス主義における使用例にまでさかのぼって探究する系譜学的なアプローチを見せています。イギリスのエリック・ホブズボームやペリー・アンダーソンら碩学の研究水準に肉薄し、この100年間ほどの日本におけるマルクス主義研究の歴史を塗り替えるほどのインパクトを秘めているかもしれない本格的な研究です。

そこで、普段はルネサンス研究所の活動には参加されてこなかった研究者二人を外から招いて、本書のコメントをしてもらい、それに著者の森田成也さんがリプライする形式の合評会を行うことにしました。マルクス・エンゲルス、レーニン、トロツキー、グラムシ。彼らマルクス主義革命家が確立したヘゲモニー概念は、ポピュリズムと排外主義がはびこる21世紀の現代社会にどのような有効性・影響力を持ちうるのか? 春の大型企画です。多くの皆さんの御参加をお待ちしています。

日 時:4月8日(月)18:00開場、18:30開始

会 場:専修大学神田校舎1号館12階社会科学研究所会議室

報告者:桑野弘隆(英文学・専修大学非常勤講師) 「『ヘゲモニーと永続革命』の画期性」

飯村祥之(政治哲学・筑波大学大学院博士課程) 「2010年代の終わりにヘゲモニー論を読む」

リプライ:森田成也(マルクス経済学・國學院大学非常勤講師)

桑野弘隆

『ヘゲモニーと永続革命』は、マルクス主義研究史において画期をなすものかもしれない。それは、森田成也氏の発想法によるところが大きいと思われる。森田氏の発想の根底には、〈通説を疑う〉という構えがある。ともすると、われわれは新/旧左翼運動、古典哲学/現代思想という対立において考えがちである。たとえば、グラムシは党にこだわるゆえに古く、そしてアントニオ・ネグリは党や知識人による指導を疑っているので新しい、という具合に。

森田氏はこのような前提を「通説」として疑ってかかる。『ヘゲモニーと永続革命』は、なるほど古典的なマルクス主義思想家たち、そして今となっては左翼のあいだでも疑念を引き起こさずにはいない二〇世紀の左翼革命を扱っているので、何をいまさらと言う向きもあるかもしれない。スターリニズムとソ連崩壊の後、左翼知識人にあってもロシア革命を肯定的に評価するのを躊躇ってしまうからだ。しかしながら、それを突くような形で、保守はイデオロギー闘争において勝利をおさめてきた。

このような状況にたいし、そして左翼思想と革命運動に塗られてきたレッテルと臆見にたいして、森田氏は幅広い教養と画期的な観点でもって、ロシア革命のプロセスを再検証し、その歴史的意義をあらためて問い直している。そして、グラムシそしてトロツキーの思想に新たな光を当てるのだ。ロシア革命、そしてそれをめぐる左翼知識人たちに漠然としたネガティブなイメージを抱いている人にこそ、本書を読んで頂きたい。歴史と思想にたいする画期的な視圏が開けるはずである。報告では、森田氏の観点の新しさを読み解いていきたい。

飯村祥之

グローバルな対抗運動の時代として始まった2010年代は、いまやナショナルな反動の時代として終わろうとしているように思われる。もっとも、いまだに多様な政治的・経済的要求の声は上がり続けていて、それは時にグローバルな波及さえ惹き起こしている。とはいえこの10年間に手に入れられたものは、そうした多様でグローバルな要求の実現であるよりは、むしろかつてなく強力な新自由主義と一国主義の台頭だった。私たちは次のように問わずにはいられない。たとえば「ウォール街を占拠せよ」のような運動はどうすれば「99パーセント」の要求を実現へと移すことができたのか、そこには何が欠けていたのか、と。

こうした問いに答えようとするとき、「ヘゲモニー」をめぐる厖大な議論史が重要な意義をもつことを森田成也氏の『ヘゲモニーと永続革命』は示唆してくれる。そこではヘゲモニー概念の練り上げられてきたプロセスが、トロツキーによるロシア・マルクス主義のアポリアとの格闘として、またグラムシによるトロツキー理論との創造的対話として活写される。こうしてトロツキーとグラムシという決定的な関係がテクストの精緻な分析から跡づけられることで、民主主義的でありながら変革を強力に遂行しうる組織についての、そしてそこで鍵となるヘゲモニーについての彼らの理論が差異をもつばかりでなく、相互補完的に発展しうることが明晰に示される。

2010年代の運動は多元的かつ水平的な、民主主義的な組織化に特徴づけられる。しかしそれが短命で要求の直接的な実現には至らなかったことも事実である。こうした問題にヘゲモニーをめぐる議論史は何かしらのヒントを与えてくれるのではないだろうか。私の報告では森田氏によって示されたヘゲモニー論の現代的意義を、2010年代の運動という観点から読み解いていきたい。